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そこで向こうに渡れと言われたのです。ところが、縛られたままですから結構危なかったのですが、海賊二人が本船側で体を支え、向う側で一人が受けてくれたのです。

本誌 海賊にしては意外に安全な方法で移乗させてくれましたね。

池野 そうです。怪我することもなく全員が老朽船に移ると船を離しA号は走り去りました。その後老朽船の二つの部屋に分けて入れられ六日間の監禁の後、救命いかだに移され、あてのない漂流が始まったのです。

 

救命いかだの水と非常食

 

本誌 海賊が用意した救命いかだは日本製でしたか。

池野 どうも本船のもののようでした。救命いかだは日本製で、いかだ内部に船名の記入はなく、製品番号が書かれているのです。製品番号を覚えていませんでしたが、製造年月日が一九九八年四月とあり、本船の新造時期に合っていたので本船のものと推定しました。

本誌 救命いかだに備え付けの品々はそのままあったのですか。

池野 飲料水、非常食などそっくりありました。それと老朽船を離れる際、海賊が一日分くらいの食料、予備の電池までつけた懐中電灯、それに本船の乗組員から奪ったタバコ五カートンをくれました。

本誌 救命いかだ備え付けの飲料水はどのくらいありましたか。

池野 ポリタンク入りの一五リットルが二本と救命水と書かれたプラスチック容器の○・五リットル入りが六〇本、合計で六〇リットルありました。このプラスチック製の容器は、空になった後はコップ代わりや排尿に利用できました。

 

漂流中の生活

 

本誌 排尿に利用したというのは、どういうことですか。

池野 意外と救命いかだの入口が高くて外に向けてはやりずらかったり、危なかったり、また、揺れの中で掴まっていますと中々出ないということもあって、ほとんどの者はプスチック容器を利用しました。

本誌 食料はどうですか。

池野 食料だけはオランダ製でした。一人分と書かれた一〇センチくらいの包みが二〇個、カロリーが二、四〇〇いくらとかありました。そうするとこれを一人一日一つ食べると一七人で一日でなくなってしまいます。何日漂流するか分かりませんので、少なくとも十日は生き長らえるように分配せよと一等航海士に指示したのですが、彼はそれをもっと引き延ばして分配したのです。ですから助かったときに五つくらい残っていたようです。これを公平に少しづつ分けて食べるのですが、せいぜい一日一人二〇〇カロリーくらいでした。

本誌 トラブルなくいきましたか。

池野 一等航海士に助手を二人つけて、実に厳正に食料を分けて皿のようなものに乗せて回しました。水はコップが一つしかなかったので、朝夕は五〇cc、昼は一〇〇ccを皆が見ているところで厳正に入れて一人が飲んで戻ってくるとまた入れてを繰り返して分配することを繰り返しました。

面白いのは、食料を分配するとき全員から鋭い視線が集まっていて、同じような大きさにカットするのですが、多少の大小ができ、回している間に、大きい方からなくなっていくのです。私は、気を使って小さい方から取りました。

本誌 配分の場面で険悪になるようなことはなかったですか。

池野 そういうことはなかったですね。実に冷静で、配分を増やせなどの不満も出ませんでした。もっとも漂流がもっと長くなるとどうなったか分かりませんが。それから、救命いかだ備え付けの釣り道具で飛魚が数匹釣れましたが、これも十七人で公平に分けて食べました。釣り道具はもう少し多く備え付けてほしいと思いました。

 

トラブルのなかった要因は

 

本誌 乗組員間がうまくいったは、日常の船内生活がよかったからではないでしょうか。

池野 どうだか分かりませんが、私はどの船でも「乗組員は家族だ。私が親父みたいなもんだ。もし悩みや問題があればいつでもきなさい。」と言って、ドアーも常にオープンにしていました。乗組員と険悪になったり、おかしくなったりしたことはなかったです。

本誌 やはり日ごろの対話が十分で、うまくいっていたのではないでしょうか。救命いかだの中で生き残るための話をされましたか。

 

 

 

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