今年は、台風の当たり年。私たちの後を、いつも台風が追いかけてきました。
それでも、追いつかれることもなく、公演の時には、不思議に晴天のことが多かったのに、とうとう追いつかれてしまったようです。せめて、本番中は激しくならないように祈るのみです。
御存知のように盲学校には、子どもはもちろん大人の人、それもかなり年輩の方も学んでおられます。大人になって、病気や事故など様々な理由で視力をなくされた方もいらっしゃるのですから。
ここ、新潟盲学校にも、そういった方が60名ほどいらっしゃるのですが、子ども向けの公演ということで遠慮したのか、他に理由があったのかは分かりませんが、客席には66名の高校生までの子どもたちと60名の教員の方々が並んでいました。
ちょっと残念な気がしました。
いえ、人数が少ないからではありません。以前、ある盲学校の先生から、こんなお話を伺ったことがあるのです。
「ここ(盲学校)に来て三ヶ月になる人なんですけど、44才で突然失明した人なんです。彼、凄いショックで落ち込んじゃって、三ヶ月間、全然顔に表情が無かったんです。
こちらがいくら話しかけても反応しないんです。どんなに激励してもダメなんです。ホント、私も悩みました。
それが『リーダースシアター』を観て笑ってるんですよ。私、彼が笑ったの、初めて見ました。なんか、ホッとしました。希望が見えてきましたよ、私にも」。
もちろん、こんなケースはごく稀に違いありません。それに、ここにそういう人が居るという訳でもありません。ただ、子ども向けというのが理由だったとすれば(そんなことは無いと思いますが)、大人の人にこそ観ていただきたかったのに、と思ったのです。
さて、いよいよ最後のステージが始まりました。祈りが通じたのか、雨も小降りになっています。
テーマ音楽にのってプロローグ。元気一杯舞台に上がり、大きな声で今日のメニューを紹介する私の目に飛び込んできたのは、最前列で下を向いて、両手で耳を塞いでいる男の子の姿でした。
シマッタ、ここは盲学校、しかも三分の一は全盲の子だった。
でっかい声を出しゃいいってものじゃ無いのです。
彼らが、聞こえる音に神経を集中させている以上に、私たちは、発する音に神経を尖らせなければならなかったのに……。
私は、森繁久弥氏の話を思い出していました。
『屋根の上のバイオリン弾き』でのことだったそうです。
最前列でずっと下を向いて寝ている人がいる。
「寝るなら家で寝てりゃいいじゃないか」「わざわざ来ることないんだよナ」等々、俳優たちは口々に言いながら、何とかして起こしてやろうと、大きな声を出したり、わざとドンドンと足音をさせて歩いたり、セットのドアをバタンと蹴っ飛ばしてみたり、袖で物を落としたり、あらゆることをしても一向に起きない。
終演。カーテンコールの幕が開いて、初めてその人は顔をあげた。
全盲の少女であった。
森繁氏は、思わずその娘の前に手をついて泣きながら詫びたそうです。
「申し訳ありませんでした。解りましたね?」
「ハイ。解りました」
その娘は、はっきりと答えました。
「誰が何処から何処へ動いたか、どんな表情で話しているか、あなたがどんな顔をしているか、全部解りました」。
久しぶりの盲学校とはいえ全く迂闊でした。
彼らは、私たちの発する声と気配から、その場の情景や表情や心まで読み取ってしまいます。恐ろしく、また、最高の観客です。こちらの、ちょっとした声の変化にもキチンとリアクションしてくれるのですから。
怖がらなくても大丈夫、もっとリラックスして楽しんで、との願いも虚しく、その子の手は最後まで耳から外れることはありませんでした。
私たちの「リーダースシアター」は「声」が生命です。背景となるセットも無く、衣装も取り立ててある訳でも無く、照明も大して変化しません。言葉で全ての世界を表現します。
「リーダースシアター」は、役者の人間性がモロに見えるからね。とは、我々のプロデューサーかめやまゆたか女史の言葉です。
恐ろしい限りです。
声も肉体も年を経るごとに衰えていくでしょう。
とすれば……、人間性を磨く以外仕様が無いじゃないか !!
今年のツアーも終わりました。車は東京を目指して、関越道をひた走っています。子どもたちや先生との楽しかった思い出と、さまざまな反省と、最後までやり遂げられた喜びと、旅の疲れを乗せて。
今回もまた、忘れられない出合いがいくつもありました。たくさんの「宝」を与えてもらいました。そして私の「使命」らしきものも、微かに分かってきたような気がします。