身に受ける喜びと癒し
次の方ですが、「アートプログラムの押し花に参加して、とてもいいものができたと私の手を握って喜んで下さった。身に余る感謝をいただいた」。このボランティアの方ご自身は、「私の老後の趣味にもできるので、ここでこのプログラムをやらせていただいていることがありがたい」と書いておられます。
患者さんによってここまでの喜びが与えられることは、医者にはどうでしょう。ないかもしれません。看護婦にはあるのかもしれませんが、ボランティアほどあるのでしょうか。もう治してあげることができなくなった医者に対して、せめて患者さんが望むことは、痛みをとってもらいたいとか、吐き気をとってもらいたいということですね。そのような症状がとれたからといって、患者さんにとってはある意味では当たり前なのだとさえいえましょう。とれないほうが不備でしょうね。とれたからといって医師を喜ばすほどのものではないでしょうね。ところが、ボランティアのやってくれることは、損得なしに、期待なしの状況の中で人間としての友情ですね。そして人間としてのお互いの心を確かめあえたという思い。看護婦さんにもあるとは思うのですが、多くの医者にはまずないでしょうね。ホスピスで終末期にある患者さんが医者に感謝するというのは、私に言わせればその前の医者が悪すぎたのではないか。痛いのに放っておくとか、逆に次から次に検査や化学療法ばかりをやりすぎるとか。