統計の重要性
調査の始まり
世界の歴史の中で、過去に存在したどんな国でも、国の統治者は、その国土に住む人々について男女別の人数や、様々な物資の生産の実態を知っておく必要がありました。それらの情報は、軍隊や労働者の徴集のためにも、物資の過不足の状況を把握するためにも、また税収を確保して国の施策を実行していくためにも、欠くことの出来ない重要な情報であったからです。しかし世界の国々のなかで、近代的な統計調査である人口センサスが行われるようになったのは、ようやく17世紀に入ってからのことでした。
新聞と統計
日本の経済力は、国内総生産(GDP、1997年)を尺度として計ると、アメリカに次いで世界第2位です。かつての敵国同士は、今や世界経済のリード役として、互いに牽制しながらも、緊密なパートナーの関係にあります。
この日米の経済関係が、いつ頃始まったかを調べてみますと、安政5年(1858年)に江戸幕府が、アメリカとの間に日米修好通商条約を締結しております。この時、アメリカを代表して幕府との交渉にあたったのが、かの有名なハリス総領事でした。ところでハリスは、その2年前に伊豆の下田に上陸したのですが、その時「この国には新聞と統計がない」と言って驚いたという話があります。
新聞も統計もない国と、どうして条約の交渉をする気になったのか分かりませんが、たしかに日本で日刊新聞が初めて発行されたのは、ハリスが上陸してから14年後の、明治3年(1870年)のことで、横浜毎日新聞というのが最初の日刊新聞だったそうです。
統計の日
ところでこの明治3年という年は、日本の統計の歴史のうえでも記念すべき年でありました。この年の9月24日に、民部省という役所が全国の府県に対して、「物産表」という統計表の提出について命令を出したのです。統計を作るための調査が、初めて全国に命令されたということで、この日は記念すべき日なのです。
1973年以来毎年10月18日を「統計の日」として、この日を中心に、国民に統計の重要性を訴える広報活動が、全国的に展開されていますが、この日付は、物産表の布告が交付された9月24日を、新暦の日付に換算して定められたものです。
現代と統計
わが国で、新聞と統計とが同じ年にスタートしたのは、まことに奇縁と言ってよいでしょう。それから130年の歳月がたった今日では、新聞も統計もない世の中は想像もできません。それでも新聞は、ラジオ、テレビ、最近ではインターネットなどの代替物がありますから、数日間は新聞がなくても、世の中はさほど混乱しないでしょう。しかし統計は、水や電気と同じように、それがなければ国の経済も私たちの生活も成り立たないのです。
日本のように貿易立国の国では、日本に信頼できる統計があればこそ、相手国は安心して貿易交渉の席に座ってくれるのです。日米の間に繰り返される貿易摩擦は、統計があればこそ起こる摩擦であり、ハリスの時代と違って、統計がなければ相手は交渉の席に座ることもないでしょう。
本誌には、世界の中における日本の位置を、様々な角度から、豊富な統計を使って説明しています。グラフを一見するだけでも、統計の重要性を、あらためて認識していただけるのではないかと思います。