序章 本調査研究の背景・目的と位置づけ
1 本調査研究の背景−時代の潮流−
近年、地域社会を取り巻く環境は、急速に変化してきている。本節では、本調査研究の背景にあって看過しえないこうした時代の潮流を、先ず概観しておくことにする。
地域社会を取り巻く環境の変化の中でも、最も顕著なものの一つが、電気通信技術のめざましい進歩によってもたらされている高度情報化である。この情報化への対応の巧拙が、今後、地域間格差の拡大を招き、地方分権化によって国と地方の役割分担が明確にされ、自己責任・自己決定の下で地域間競争が激しくなる中で、地域活性化の勝敗を決することになる。
情報化は、また、急速に社会の国際化、グローバル化、ボーダーレス化を押し進めており、今日では、これまで地域社会に固有の問題と考えられてきたような地域経済や公害などの問題も、グローバルな視点で検討していかなければならなくなってきている。
この、社会のグローバル化、ボーダーレス化は、人・モノ・情報の流動性を高め、これらの移動速度のさらなる高速化をも要求してきている。高速化が迫られることによってもたらされる多忙さは、人々から余裕を奪い、人々は豊かさが実感出来ないでいる。
多忙な生活に疲れた人々は、余暇などの私生活に、そして忘れ去られていた自然環境に、安らぎ(アメニティ)や癒やし(ヒーリング)を求める。こうした私生活重視ないしは個人主義化の傾向は、他者との差別化・個性化を嗜好する消費の多様化にも、看て取れる。無論こうした傾向は、現実の自我の喪失感、没個性化と表裏の関係にあるとの指摘もある。だがいずれにしても、こうした私生活重視の傾向あるいは脱集団主義の傾向の下、従来の農村社会的な地域活動や、会社中心的な経済活動のあり方が、見直しを迫られてきていることは間違いない。
もっとも、従来の農村社会的な地域活動が見直しを迫られたからといって、地域社会の活動が、必ずしも停滞しているとばかりは限らない。確かに伝統的な農村社会的地域の活動は行き詰まりをみせているが、一方で、集団や地域から自立して市民的感覚を身につけた個人は、阪神・淡路大震災の際に見られたボランティアのように、機会さえあれば、主体的・積極的に社会に関わっていく姿勢を見せ得るのである。このことは、原発や産廃処理施設の立地などをめぐってなされた住民投票のような、住民参加の要求の噴出にも看て取ることができ、こうした"市民化"とも言える動きは、地域社会の新たな再編の可能性を示すものとして注目されている。
さて、多忙で余裕が無く豊かさが実感されないという状況は、晩婚化ないしは非婚化と、それに伴う出生率の低下、少子化を招く一因ともされる。出生率の低下、少子化は、医療技術の向上と相俟って、当然に社会の高齢化をもたらす。ことに中山間地域や離島などの地域では、若年労働者層を中心に人の流出が激しく、こうした過疎化の進んでいる地域では、高齢化は一層深刻な状態となっている。
もっとも、晩婚化ないしは非婚化と、それに伴う出生率の低下、少子化は、何も豊かさが実感されない多忙さのみによってもたらされているわけではない。男女共同参画型社会の形成が叫ばれながらも、依然として女性により多くの社会的犠牲を強いているような不十分な子育て支援体制、あるいは、先に指摘した消費の多様化にも見られるような、価値やライフスタイルの多様化もまた、その一因である。