基調講演
異文化理解と保育 (わたしの夢)
声楽家 バイマーヤンジン氏(チベット出身)
私の夢
バイマーヤンジン
チベットの両親は遊牧民でした。草原では学校がないところが多く、母も学校に通えなかったため、今も字が読めません。手紙を書けないのはもちろん体の調子が悪くて病院に行っても渡された薬の飲み方も読めません。その苦い経験のなかで、母がもっとも衝撃を受けたことがありました。
ある日、母は父と一緒に、チベットの隣の四川省に行きました。たまたま父がいない時に公衆トイレに行ったのですが、男・女と書いてある字が読めず、男便所に入りひどく罵られたのです。身体がぶるぶる震えるほど悔しくて悔しくてしかたがありませんでした。字が読めないための辛い思いはたくさんあり、それだけに「自分はどんな苦労をしても、子供達には絶対学校に行かせる」と決心したのです。
そんな強い思いで両親は町に定住し、雑貨店を開きました。でも何代にもわたった遊牧民の生活をいきなりやめるわけにはいきません。7人の兄弟のうち1番上の兄が家畜3百頭を引き継ぎました。ですから兄だけは小学校さえ行くことが出来ませんでした。
大学まで出してもらった私は本当に幸せです。教育を受けたお陰で私の知識、視野は広がりました。日本に来てから、それまであまり意識しなかった故郷チベットに対する思いが一層強くなってきました。
去年、テレビを見ていてびっくりしたのは、北海道の牧場で牛の乳搾りをすべて機械で行っていることでした。「今も手で搾っている故郷の親戚や村の人たちに、これをプレゼントできたらどんなに助かるだろう」と思いました。その話を母にすると「無理だよ、皆、字が読めないから、機械の使い方が分からない。よけい難しくなるだけだよ」と言われてしまいました。母の字の読めない辛さはわかっているつもりでしたが、教育はここまで生活に、そして人の人生に深く関わっていることを知り、あらためて教育の大切さを痛感しました。
私は音楽を本格的に勉強するために国立四川音楽大学に進学、オペラを学びました。結婚して日本に来てからも、「オペラで世界の舞台に立ちたい」という夢を持ち続け、今もそのため勉強を続けています。
でも最近、とりわけ日本の学校を訪ね、子供達と交流することが増えるにつれ、「自分の夢を実現し、一人幸せな気持ちになって、それだけでよいのだろうか」と思うようになりました。多くの子供達が学校に行けないチベットの遊牧地区に、ひとつでも学校を建てたなら、そこで学んだ多くの知識が、その子供達の将来の遊牧生活にどんなに役に立つだろうと考えるのです。そのようなことを思うと、どうしても自分一人の夢よりも、故郷のために役立ちたいという使命感のほうがどんどん重くなっていくのです。
遊牧民の生活は朝晩がとても忙しく、一家でヤク、ヤギ何百頭もの世話をするため、子供達も総動員して手伝わないといけません。ですから、その生活に合った学校を建てないと、学校の建物はできても子供達は通えません。そこで、建物も、授業の仕組みも、遊牧民の生活に合うように作っていきたいと思います。
私自身のオペラの夢を実現するにも大変な努力が必要です。でも故郷に学校を建てる夢はそれ以上に大変です。私一人の力ではどうすることもできないかもしれません。でもその気持ちを強く持ち、日本の皆様に応援していただきながら、実現するその瞬間まで頑張っていきたいのです。