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1998年(平成10年)

平成9年広審第68号
    件名
漁船第五十六天祐丸転覆事件

    事件区分
転覆事件
    言渡年月日
平成10年11月18日

    審判庁区分
地方海難審判庁
広島地方海難審判庁

釜谷奨一、上野延之、黒岩貢)
参審員(田村孝夫、高木幹雄
    理事官
道前洋志、喜多保、川本豊

    受審人
    指定海難関係人

    損害
航海計器、機関、漁労機器等に濡れ損を生じ、のち廃船、船長外5名死亡

    原因
荒天に対する安全配慮不十分、乗組員に対する安全指導不十分

    主文
本件転覆は、荒天に対する安全配慮が不十分であったことによって発生したものである。
船舶所有者が、荒天時の対応について、乗組員に対する安全指導が十分でなかったことは本件発生の原因となる。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年3月25日16時20分
隠岐諸島南方沖合
2 船舶の要目
船種船名 漁船第五十六天祐丸
総トン数 19トン
全長 22.90メートル
登録長 17.08メートル
幅 5.31メートル
深さ 1.95メートル
機関の種類 ディーゼル機関
漁船法馬力数 190
3 事実の経過
(1) 指定海難関係人及び第五十六天祐丸
ア 指定海難関係人
指定海難関係人A(以下「A」という。)は、昭和46年5月に現代表取締役B(以下「B代表者」という。)によって設立され、当初、小型漁船3隻を所有してカニかご等の漁業を行っていたが、昭和53年、設立当時から目標にしていた中型旋網漁業の許可がおりて同漁業に進出し、9トンの網船のほか6隻の付属船で小規模の旋網漁業船団(以下「天祐丸団」という。)を編成し、同人が網船の船長兼漁労長として日本海沿岸、隠岐諸島周辺海域において、いわし、さばなどを中心に操業を始め、昭和57年に19トン型の網船を建造し、畑船、うらこぎ船、運搬船など付属漁船7隻を含む計8隻で船団を構成し、現在に至っており、陸上社員6人、雇用船員39人の構成となっていた。
ところで、B代表者は、すでに網船船長兼漁労長の職から退き、息子のC(昭和38年8月24日生)に同職を譲り、同社では、網船の船長を航海、漁労のすべてに権限を有する統括責任者に定め、灯船、うらこぎ船及び運搬船を含む船団所属船の漁場における操業指揮のみならず、根拠地と漁場間を往復する航海の指揮命令も同人に行わせていた。
また、荒天時の出漁判断については、隠岐諸島の西郷、浦郷両漁業協同組合に所属する10箇統の旋網船団の漁労長が打合せ会議で決定し、それに従っていたものの、航行中または操業中に荒天となった際の対応については、網船船長兼漁労長にすべてを任せていたのが実情であった。
イ 第五十六天祐丸(以下「五十六号」という。)建造の経緯
五十六号は、昭和57年に建設した網船の油圧系統が故障しがちとなったことから、山口県の造船所において、中型旋網船として使い勝手がよいように先代網船より船幅を広くするなど、総トン数19トンの制限一杯に設計、建造され、平成3年10月に進水したが、同社としては3代目の網船であった。
ウ 五十六号乗組員
C船長は、B代表者の次男で、昭和56年10月一級小型船艦操縦士の免状を取得し、昭和61年大学の水産学部を卒業したのち、当時父親が船長をしていた網船に5年ばかり甲板員として乗り組んで経験を積み、五十六号就航後半年ほど経過したころ、B代表者と交代して同船の船長兼漁労長となり、網船船長の経験は5年に及んでいた。
その他五十六号には、機関長D(昭和28年6月21日生)、甲板員E(昭和18年1月16日生)、同F(昭和20年5月20日生)、同G(昭和22年11月10日生)、同H(昭和52年12月7日生)、同I、同J、同K、同L、同M、同N及び同Oの計13人が乗り組んでいた。
エ 五十六号の船体構造
五十六号は、球状船首を有する船首楼付き一層甲板型FRP製漁船で、船体中央部に船橋及び炊事室を、船底列板の中心線下に方形キールをそれぞれ有し、上甲板下には、船首から後方にかけて、ボイドスペースとなる球状船首部、倉庫、1番燃料油タンク(左右舷)、ソナー設置庫、機関室と続き、同室後部中央には船員室に通じる通路が、左右には2番から4番までの燃料油タンクが分散し、その直下の2重底が海水バラストタンクとなり、それらの後方が船員室で、同室後部には、中央に操舵機室、その後方に清水タンクが、操舵機室の左右舷に5番燃料油タンク、海水バラストタンクが設置され、2重底の海水バラストタンクは、平素、燃料油タンクとして利用されていた。
両舷側甲板下外板には、バルジと称するエアータンクが設けられ、その部分の船幅がその下方の部分に比べ50センチメートル(以下「センチ」という。)広くなり、漁網を積載した状態では、喫水線はバルジの部分に達していた。
船首楼甲板は、上甲板より1メートル高く、ムアリングウインチ、同キャプスタン、ローラ等のほか、左舷側にのみアンカー台が設置され、船首楼後方は、機関室囲壁の前面まで長さ約3.9メートル、ブルワーク上縁間の最大幅6メートルの前部甲板で、油圧管の保護と作業の安全確保のため、舷側付近を除いて高さ約40センチの根太付き板子で覆われ、左舷側にパースウインチ、右舷側にパースダビットなど漁労機器をそれぞれ備えていた。
中央部甲板には、上部が船橋となる機関室囲壁が、長さ3メートル幅2メートルの機関室開口部上に設置され、その右舷側は船首楼甲板から続く板子で覆われた長さ4.3メートル幅1.8メートルの作業甲板で、左舷側は長さ2.2メートル幅1.4メートル0炊事室となり、同囲壁後方左舷側に船員室出入口となる長さ1.2メートル幅70センチのコンパニオンが設けられ、さらに囲壁の右舷後端から後方1.2メートルの箇所に立てられた支柱と、コンパニオン左舷後端に沿って立てられた支柱との間に横柱が掛けられ、支柱と囲壁の間は、その上部及び右舷側に漁労機器が設置できるよう、後方力開放されたコの字型の漁労となっていた。また、各出入口は、炊事室がその後方に、機関室が囲壁後部左舷側に、コンパニオンがその左舷側にそれぞれ設けられ、前示収納室上にセクリローラのブームや各種ウインチなどが、同右舷側壁に魚締めウインチなどの漁労機器がそれぞれ取り付けられていた。
後部甲板は、前示支注より船尾端のネットホーラ架台までの長さ9メートル、ブルワーク上縁間の幅6メートルの部分で、網置き場となり、同甲板右舷側端には甲板面からの高さ25センチ、幅39センチの油圧管保護カバーが設けられ、その上面は木製の板が敷かれ、沈子置き場となっていた。同甲板左舷後端には網吊り用の大型マリンクレーン、同ブームが架台上に設置され、ブームの先端には網捌き機が取り付けられていた。
後部甲板船尾側は、ネットホーラ架台となり、ネットホーラ、同レールのほか、キャプスタン等が取り付けられていた。
ブルワークの甲板上高さは、船体中央部で1.10メートルで、右舷側の傾斜が左舷側に比べて立ち上がり角度が大きく、そのトップレールには網を巻き上げるためのサイドローラが取り付けられていた。
排水口は、上甲板両舷の対称位置に各舷口箇所ずつ設けられ、前部に2箇所、中央部に3箇所、後部に6箇所となり、その大きさは、幅10ないし13センチ長さ20ないし29センチで、それぞれの外板側にはロケットと称する半円筒形のカバーが取り付けられ、後部甲板右舷側の油圧パイプ保護カバーには、排水口と対称の位置に同寸法の穴が開けられていた。
(2) 天祐丸船団の構成
当時の天祐丸船団は、五十六号の他、4隻の灯船、1隻のうらこき船及び2隻の運搬船の計8隻で構成されていた。
灯船 第八天祐丸
船質    FRP
総トン数  19トン
長さ×幅×深さ  18.79×4.19×2.00
機関(漁船法馬力数)  ディーゼル(190)
第十一天祐丸
船質 FRP
総トン数 19トン
長さ×幅×深さ 20.67×4.29×1.90
機関(漁船法馬力数) ディーゼル(190)
第十八天祐丸
船質 FRP
総トン数 19トン
長さ×幅×深さ 20.00×4.32×1.83
機関(漁船法馬力数) ディーゼル(190)
第31天祐丸
船質 FRP
総トン数 13トン
長さ×幅×深さ 14.94×3.35×1.10
機関(漁船法馬力数) ディーゼル(160)
うらこぎ船 第一天祐丸
船質 FRP
総トン数 18.57トン
長さ×幅×深さ 15.98×3.55×1.39
機関(漁船法馬力数) ディーゼル(190)
運搬船 第六十二天祐丸
船質  鋼
総トン数 188トン
長さ×幅×深さ 36.58×7.40×3.75
機関(漁船法馬力数) ディーゼル(640)
第十五大師丸
船質 鋼
総トン数 158トン
長さ×幅×深さ 36.17×6.70×3.47
機関(漁船法馬力数) ディーゼル(500)
(3) 漁網
ア 材質及び重量
漁網については、B代表者自身の、またば漁網会社作成の設計図をもとに、同社が資材を提供してB代表者が作製していた。五十六号が当時積載していた漁網は、事故の数日前に積み込んだいわし用のもので、作製当初は沈子に鉛を使っていたが、その後チェーンに変えられ、網の材質にナイロン及びテトロンを用いており、漁網、沈子、浮子、その他の付属物を加えたその総鍾量は、水分を含んだ状態で18.07トンとなっていた。
イ 積み込み状況
漁網は、ネットホーラで巻き上げられて後部甲板の網置き場に置かれるが、網捌き機により、船幅一杯に、船首側から船尾側にかけて徐々に低くなるように順次三山に区分され、平均してサイドローラの高さになるよう、漁網の浮子側を左舷側に、沈子側を右舷側として隙間なく積み上げられ、沈子は右舷端の沈子置き場の上に置かれていた。
また、網の移動、荷崩れ防止のため、網捌き機が取り付けられたマリンクレーンのブーム、セクリローラのプームが、網を押さえるように油圧をかけ、網の上に置かれていたが、ロープ等による固縛はされていなかった。
(4) 建造時の安全性についての検討と事故当時の船体要目
ア 建造時の安全性についての検討
建造時の試運転は、艤装品のほとんどが取り付けられた軽荷状態で実施され、そのときの重量計算は次のとおりである。
以下余白

以上のデータから次の数値が得られる。
排水量(トン)  70.25
平均喫水(メートル) 1.45
重心高さ(メートル) 1.62
GM(メートル) 1.19
乾舷(メートル) 0.50
ブルワーク上縁(船体中央部)の海面上高さ(メートル) 1.60
五十六号は、20トン未満の漁船であることから、復原性については、船舶復原性規則は適用されず、小型漁船安全規則の適用を受け、同規則第44条(復原性の保持)には、「小型漁船は、検査機関が十分と認める復原性を保持できるものでなければならない。」と規定されている。この規則に関する細則では、停泊中の横揺れ試験により求めた自由横揺れ周期が、幅及び深さにより求められた標準値以下であれば十分と認める復原性を有しているとされ、五十六号の場合、幅4.83メートル、深さ1.38メートルで標準値は4.08秒となり、動揺試験の結果は下記のとおりである。

この結果から見ると、十分な復原性を有していると認められるが、これはほぼ軽荷状態での数値であって、漁網等が積まれた状態での動揺試験は行われていない。
イ 事故当時の船体要目
アにおける軽荷状態の重量に、事故当時の出港状態における搭載物を加える。

以上のデータから次の数値が得られる。
排水量(トン) 102.17
平均喫水(メートル) 1.78
重心高さ(メートル) 1.60
乾舷(メートル) 0.17
GM(メートル) 1.19
ブルワーク上縁(船体中央部)の海面上高さ(メートル) 1.27
なお、喫水は船体中央キール下端から水面までの高さ、乾舷は水面から上甲板までの高さ、その他は基線(キール取り付け部)上高さである。
表中の記号については
t---------トン
mid.G-----船体中央から各重心までの距離
KG-------基線から各重心までの高さ
GM-------横メタセンタ高さ
t-m-------トン・メートル
とする。
(5) 気象海象
平成9年3月25日は、前日に関東の東海上にあった1.006ヘクトパスカルの低気圧が東に移動し、中国大陸にあった1,026ヘクトパスカルの高気圧が朝鮮半島南部に移動して、九州や日本海西部に張り出し、日本北西部に対しては、11時45分舞鶴海洋気象台から海上風警報が発令されたが、山陰沖には、とりたてて注意報、警報等は発令されておらず、同日07時00分に舞鶴海洋気象台から発表された地方海上予報簿によると、山陰沖東部には毎秒10メートルの南西風及び波高1.5メートルが同西部には毎秒13メートルの南西風及び波高2メートルが、それぞれ予報されていた。
一方、発生時刻における転覆現場付近の海上には、毎秒10ないし15メート路の南西風が吹き、波高2ないし3メートルの南西からの波浪があった。
(6) 本件発生に至る経緯
五十六号は、C船長ほか12人が乗り組み、操業の目的で、船首1.17メートル船尾2.80メートルの喫水をもって、平成9年3月25日14時15分島根県西郷港を発し、自船の前後に出港した天祐丸船団の僚船7隻とともに、鳥取県赤碕港沖合の漁場に向かった。
このころB代表者は、多少風が強いとの認識もあったが出漁を中止するほどの風ではないと思い、いつものとおり、運航や操業についてはC船長に一任し、出漁中、荒天となった際の安全に対する指導を十分に行わないまま出漁させた。
ところで、五十六号は、前々日の23日は時化のため出漁できず、24日は出漁したものの魚群を探しきれなかったため、操業に至らないまま引き返し、当日は、風は強かったが、気象に関する注意報、警報が発令されていなかったことから、各漁労長による打合せ会議はなく、他旋網船団から漁模様が好調であるとの情報を得た前示漁場へ向かうこととなった。
C船長は、D機関長に補佐をさせて自ら操舵操船に当たり、14時22分西郷港姫島灯標から213度(真方位、以下同じ。)200メートルの地点に達したとき、針路を漁場に向く155度に定めて自動操舵とし、機関を全速力よりわずかに減じ、9.4ノットの対地速力として進行した。
14時45分ごろC船長は、西郷岬灯台から146度3海里ばかりの地点に至ったころ、南西風が強まるとともに同方向からの波浪が高まり、その後徐々に風力、波浪とも増勢し、やがて風速は毎秒10メートルを超え、高さ2メートル以上の波浪がほぼ真横から打ち寄せるようになり、先に出港した第一天祐丸が、速力を13.0ノットから9.0ノットに減じて針路を少し右寄りに変え、第31天祐丸が、針路をいったん180度として速力を9.0ノットから7.0ノットに減じるなど、それぞれ横揺れを軽減させる措置をとる状況となったが、同人は、荒天に安全配慮が不十分で、減速し、進路を変更して横揺れを抑えるなど、甲板上への海水打ち込みを防ぐ適切な操船方法をとることも、操業を中止して発航地に引き返すこともせず、15時00分ごろには第31天佑丸船長から、「この海象では漁場まで行けないかも知れない。」旨の無線連絡を受けたが、そのままの針路、速力で続航した。
ところで、このような海象の下、五十六号の船型において、高さ2ないし3メートルの横波があった場合、船体傾斜による相対水位変動は船体中央部におけるブルワークの海面上高さ1.27メートルを越え、海水が甲板上に流入するおそれが十分にあり、また、そのような状況となった場合、復原てこが大幅に減少し、片舷に滞留した海水による傾斜モーメントが復原モーメントを越え、傾斜が戻らず、転覆に至る可能性があった。
こうして五十六号は、波高2メートルを超える横波を受けて各舷20度ばかりの横揺れを繰り返し、ときには一時的に海水が甲板に打ち込む状態で進行中、16時19分ごろ、とりわけ大きな波浪により船体が大きく右に傾斜してブルワーク上縁が海中に没し、復原てこが大幅に減少する中、流入した大量の海水が右舷側に滞留し、これによる傾斜モーメントが復原モーメントを越え、元の体勢に復さないまま、なおも押し寄せる波浪により海水の打ち込みが続き、船体傾斜は更に強まり、復原てこが負となって復原力を喪失し、16時20分西郷岬灯台から153度17.8海里の地点において、原針路、原速力のまま右舷側に転覆した。
当時、天候は曇で風力6の南西風が吹き、波高2ないし3メートルの南西方からの波浪があった。
(7) 救助、捜索活動
天祐丸船団の各船は、五十六号が転覆する直前、C船長の「船がひっくり返る。」旨の声を無線で聞き、全船が救助に向かった。そのうち、五十六号の船尾方1海里にいた第八天祐丸と右舷正横1.5海里にいた第31天祐丸は、無線を聞いてから30秒もしないうちに五十六号の赤い船底を認め、接近するうち付近で漂流する8人の乗組員を発見救助し、第31天祐丸は、彼らを乗せて直ちに西郷港に帰港し、病院に収容したが、救助したときから意識のなかったF甲板員は約3時間後溺水により死亡した。
西郷漁業協同組合では、同日18時00分災害対策本部を設置し、直ちに比較的大型の漁船13隻を捜索に向かわせた。
現場海域では、やがで到着した僚船、連絡を受けて駆けつけた他の旋網船団、海上保安部の巡視船艇航空機などが付近の捜索に当たったが、当日他の乗組員は発見されず、翌26日船内からC船長、D機関長、翌々28日00時00分過ぎから早朝にかけての底引き網漁船による捜索で、E、G、H各甲板員がそれぞれ遺体で発見された。
また、五十六号は、航海計器、機関、漁労機器等に濡れ損を生じるとともに、船体の損傷も大きく、のち、廃船とされた。
(8) 事故再発防止対策
Aは、事故後、安全衛生委員を組織して漁船事故再発防止のための改善計画書等を作成し、社内教育や各種講師を招いての安全教育の実施に努め、出漁時や航海中などにおける注意事項と安全対策を明記した運航マニュアル及び荒天時における注意事項を明記した転覆事故防止マニュアルを作成した。

(原因に対する考察)
本件は、西郷港から赤碕港沖合の漁場に向けて発航した旋網船団の網船が荒天下、漁場に至る前に転覆し、乗組員13人のうち7人の生存者を残して6人が死亡したものであり、生存者の供述をはじめ、当時同船の周辺を航行していた同船団の乗組員、同船建造関係者の供述、当時の気象海象、同船の船体構造、搭載物の状況及び操船模様をもとに、その原因を総合的に検討する。
1 船体
五十六号は、総トン数19トンの網船であるが、船舶のトン数の測度に関する法律施行規則第19条に示された測度長24メートル未満の船舶容積の算定方法によると、総トン数は、ほぼ上甲板下決まることとなり、作業がし易く、十分な大きさの漁網を積載できるよう、その限度一杯に船体の長さ、幅を大きくとって建造されたことから、船体深さの小さな船ができ、そのうえ、船舶安全法第3条の満載喫水線の適用を除外されているため、出漁時には喫水線が甲板排水口近くになるまでの漁具が積載されて排水量は100トン前後となり、本来予備浮力としての役目を成すべきバルジのほぼ半分までが没水する状態となっていた。
この結果五十六号は、乾舷の小さな状態となり、艦幅が広いことから、横波によって僅かな傾斜が生じただけで海水の打ち込みが発生する状況となっていた。
2 復原力
前述のように、五十六号は船舶復原性規則の適用を受けず、造船所は復原力曲線を作成していないことから、同曲線については日當教授の鑑定書謄本中のものを引用する。
出港時における復原力曲線を別図1に示す。これによると、横傾斜してもブルワーク上縁が海面に沈む直前(21.2度)までの傾斜であれば、復原てこは0.5メートルと十分な値を示すが、ブルワーク上縁が没水すると復原てこが半分以下の0.21メートルとなり、(排水量)×(復原てこ)から求められる復原モーメントば約21トン・メートルとなる。
一方、ブルワーク上縁が没水するまで傾斜した船体に流入し、片舷 に滞留する海水量は、最大約17トンで、漁労機器等の体積を排除しても、その重じが船首尾中心線から約1.9メートル外舷側となることから、上記復原モーメントを越える傾斜モーメントが容易に構築される可能性があり、この場合、船体は元の水平状態に復原できないまま転覆に至ることとなる。
3 波浪打ち込みの可能性
事実認定の根拠で記した気象資料、乗組員や僚船船長の供述及び当時付近を航行していたフェリー船長の回答書によると、当時の風速力海秒約10メートル以上であったことは間違いなく、一般に用いられているピアソンモスコヴィッチのスペクトルを適用し、風速毎秒10メートルにおける当時の波高、平均波周期等の海象状態を推定すると、次のような結果が得られ、波高については上記供述や回答書のものとほぼ一致し、周期については舞鶴海洋気象台の気象資料と一致する。

ここで、当時の五十六号の排水量、喫水、メタセンタ高さ等を含む主要目及び船体線図、オフセット表から求めた船型データをもとに、真横からの規則波及び不規則波中における船体中央部の相対水位変動を推定すると、次のような結果が得られる。

相対水位変動の1/3有義値は、1.31メートルで船体中央部のブルワーク高さ1.27メートルを超えているものの、この程度であれば、十分に甲板排水口の能力範囲内と考えられる。しかしながら、1/10最大値においては、これを0.4メートル以上超え、大量の海水が打ち込み、滞留し排水能力の限界に達し、甲板冠水の可能性は十分にあった。
また、1/3有義波高2.14メートルの波が規則波中のように連続して入射した場合、平均波周期5.19秒では、相対水位変動は優に2メートル以上となり、甲板冠水は確実に発生することとなる。
4 気象海象に対する判断及び配慮
当時、出港時から外海はややしけ模様との予測はできたものの、気象に関する注意報、警報ともに発令されておらず、出港後30分ほど経過したころから、風浪ともに強くなり、荒天模様となったものであり、五十六号出港時における気象海象は出港を中止するほどのものではなかったと認められる。
荒天となってからは、船団中、比較的小型である2隻の船長と、大型の運搬船の船長が、当時の海象が非常に厳しく、怖かった旨を述べ、なかには漁場まで行けない旨を網船に対し報告した船長もいるなど、五十六号にとっても大変厳しいものであったと認められる。
C船長は、このような状況の下操業を中止して引き返すことも、減速し、波浪を真横から受けない針路に転じて続航するなどの対策をとることもせず、そのままの航行したことは、海象判断が適切でなく、荒天に対する安全配慮が不十分であったといわざるを得ず、本件発生の原因と認めるのが相当である。
5 転覆時の船首方向
検査調書及び舵角に関する報告書によると、五十六号の舵板は右舵一杯となっており、舵魚指示器は左側一杯に振れ、同調書添付の写真によると操舵室ジャイロコンパスのリピーターは356度を指示しており、転覆に至ったとき、舵を左または右一杯に切って北を向首していた可能性もあり、転覆に至る直前に大角度の転針を試みたことも考えられるが、操舵機メーカーである株式会社マロール及びジャイロコンパスメーカーの古野電気株式会社の回答書によれば、舵板及び舵角指示器は電源の切れた状況によってどちらかに振り切れる可能性ががあり、ジャイロコンパスのリピーターは、電源が切れた状態で船体が急激に動くと指度が変わることがあるとしている。
また、I甲板員はそのままの針路で転覆したようだと述べており、その他の乗組員からも転覆直前に転針した、またば縦揺れが大きくなったなど、舵か大きく取られたことを示す証言も出てこない。したがって、原針路のまま転覆したものと認めるのが相当である。
6 漁網の移動について
五十六号の乗組員、B代表者及びP代理人は、船尾甲板の網置き場には高さ10センチ幅16センチの縦通材を2本設置し、網の移動防止措置を施している、漁網は網置き場一杯にきちんと並べて置かれるので移動することはない、左舷側は浮子が舷側一杯に置かれ、右舷側は油圧ラインのカバーの上に沈子を乗せ、ブルワークと網との隙間があるといっても高さ50センチ位のものである、網の上には網捌き機が付いた油圧式デリックブーム及びセクリローラのブームを載せて押さえている、大型の網船では網とブルワークとの間に余裕があるが、19トン型では舷側一杯まで積むので移動することはないと思う旨を供述し、一様に漁網が移動することはないとしている。
一方、漁網移動防止用縦通材状その高さからして確実にその役目を成すものか疑問があり、漁網最上面に前述の網捌き機等を載せて、油圧とその重量でこれが押さえられているのみで固縛されておらず、甲板上に打ち込んだ海水による浮力が働く中で、右舷への傾斜により包小状態となった網がその重量によって形が変わり、重心の移動と同様の効果が生じる可能性も否定できない。
しかしながら、前述のように、当時、船体が大きく傾斜し、その結果海水の流入があったことは明らかであり、漁網力個縛されていなかったことにより、重じ移動が発生して傾斜モーメントの増加を招いたことは十分考えられるが、それ以前の段階で右舷側に大きく傾斜し、ブルワーク上縁が海中に没して復原カが大幅に減少したものと認められ、漁網が移動したという確実な証拠もないことから、本件発生の一因をなしたものとは認められない。
7 排水口
排水口については、小型船舶安全規則第13条が準用され、事実の中で述べたように、ロケットと称するカバーの付いたものが左右舷各11個あり、その大きさはこの細則を定めた小型船舶安全規則に関する細則に十分合致するものであるが、今回のように、ブルワーク上緑が没水し、大量の海水が打ち込んだ場合、すでに排水能力を超えており、検討の余也がない。
8 浸水
五十六号の開口部は、前部甲板下倉庫ハッチ、炊事室後部出入口、機関室出入口、船員室出入口、後部甲板舵機室ハッチ、機関室空気取入口及び煙突であり、右舷側に大きく傾くには船員室または機関室への浸水が考えられるが船員室から脱出した甲板員によれば、転覆するまで同室への浸水は認められず、機関、発電機が正常に稼働していたことから、いずれも転覆以前の浸水はなかったものと考えられる。
9 転覆に至る経過
当時の海域では、激しい横揺れからときどきブルワーク上縁が海水に浸かる状況であったことは明らかであり、甲板冠水に至る可能性が十分にあった。その結果、前述のように、打ち込んだ海水による傾斜モーメントが復原モーメントを上回る現象が生じたもので、棄組員の、「ぐらっと傾き4秒くらいして更に傾いていった。」という証言は、その両者がバランスする過程があり、引き続く波により転覆に至ったことを示すものと認めるのが相当である。
10 指定海難関係人の指導監督
B代表者は、荒天時の出漁の判断については、各漁労長による打合せ会議の決定に従って実施していたものの、航行中及び操業中に荒天となった際の対応については、C船長を船団全体の責任者として指揮命令の全ての権限を任せていた旨を述べている。
ところで、荒天下における航行、操業の安全を確保するには、統括責任者自らが船団全体の安全を十分把握していることはいうまでもなく、当該海象下における最も適切な操船法に対応することのできる海技能力については、平素からの社内安全教育など通じて習得していることを要し、また、荒天に遭遇したときの航行、操業の継続の限界については、これを客観的に定める安全基準を設定し、これらの安全指導を共に実行に移すことによって社内の安全管理体制が確実なものとなる。
B代表者は、C船長に対し、十分な指導を通じ、安全教育を施していた旨を述べるが、同人が、当時の海象下、横波を受けながら進行中、ブルワーク上縁が没水するまで傾斜するに至り、これを繰り返すような状況の下、大量の海水が打ち込み、滞留して船体が傾斜した場合、船体は元の水平状態に復原できないまま転覆に至る危険性があり得ることは、復原性に関する数理的な理解を待つまでもなく、その危険性を察知しなければならないが、その具体的な回避方法は、社内の安全教育と安全基準を徹底することによって習得可能となる。
また、今回、転覆に至るまでの航行中、僚船からの「この状態では漁場に着けない。」旨の無線連絡を受けながら、これを無視して荒天下の航行を続けていたなどの現実を総合的に考慮すると、B代表者の、平素からのC船長に対する荒天下の安全に対する指導が十分であったと認め難い。
従ってAとしては、荒天に遭遇し、波浪による海水の甲板上への打ち込み等により、航行あるいは操業が困難になった際の対応策に関する基準を明確に示すべきであり、これらの指導を徹底するため、平素からの社内安全教育の実施と安全基準の作成が重要であったが、これらを行わず、C船長に船団全体の指揮命令の全てを包括的に委譲して放任、安全指導を徹底していなかったことは、本件発生の原因と認めるのが相当である。

(原因)
本件転覆は、漁場へ向け航行中、しけ模様となり、真横からの波浪で船体か大きく横揺れを繰り返すようになった際、減速し、針路を変更して横揺れを抑えるなど、甲板上への海水打ち込みを防ぐ適切な操船方法をとるとか、操業を中止して発航地に引き返すなどの荒天に対する安全配慮が不十分で、船体が大きく傾斜してブルワーク上縁が海中に没し、流入して滞留した海水による傾斜モーメントが復原モーメントを越えて復原力を喪失したことによって発生したものである。
船舶所有者が、荒天時の対応について、乗組員に対する安全指導が不徹底であったことは本件発生の原因となる。

(指定海難関係人の所為)
Aが、荒天時の対応について、乗組員に対する安全指導を徹底しないまま、漁労長兼任の網船船長に船団全体の指揮命令の全ての権限を包括的に委譲し、放任していたことは本件発生の原因となる。
Aに対しては、本件後、社内教育を含むマニュアルを作成して安全指導を徹底し、事故の再発防止に努めている点に徴し、勧告しない。

よって主文のとおり裁決する。






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