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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成8年7月8日10時02分 長崎県鷹島北西岸沖合 2 船舶の要目 船種船名
漁船道洋丸 総トン数 0.6トン 登録長 5.36メートル 幅
1.71メートル 深さ 0.67メートル 機関の種類 電気点火機関 漁船法馬力数
30 3 事実の経過 道洋丸は、一本釣り漁業等に従事する和船型FRP製漁船で、強風、波浪注意報が発表されている状況下、船長BとA受審人の2人が乗り組み、たこ籠(かご)揚収の目的で、船首0.40メートル船尾0.20メートルの喫水をもって、平成8年7月8日09時50分長崎県阿翁浦漁港を発し、同漁港北西方1,500メートルばかりの貝瀬付近の漁場に向かった。 ところで、鷹島北部西岸からその西方の黒島にかけては険礁群が存在し、貝瀬とその東方250メートルばかりのところにあるカキ瀬との間では、水深10メートル以上ある水域が幅約70メートルにわたって南方へ約300メートル延び、同水域の北側が外海に向かって広く開いていたので、北方沖合からのうねりがあると波が高起しやすく、このことは、地元漁民の間で広く知られていた。 また、A受審人は、B船長の幼友だちで、高校卒業後家業を引き継ぎ、1人で船の修理工場を営んでおり、以前3年ほど地元の漁船に乗り組んで手伝いをした経験があったので、貝瀬付近では北方沖合からのうねりがあると高波が発生することを知っていたものの、当日、B船長から、荒天となるので設置したたこ籠を早く揚収したいと手伝いを依頼され、目的地も知らされないまま、道洋丸に乗り組んだが、同船で同人を手伝うのは初めてであった。 発航後、B船長は、右舷船尾部に腰掛けて船外機の操作に当たり、A受審人が左舷船首部で船尾方を向いて腰掛け、阿翁浦港沖防波堤灯台を右舷側に航過したのち、09時54分半少し過ぎ同灯台から270度(真方位、以下同じ。)100メールの地点で、針路を326度に定め、自船周辺に白波が立ち始めたので、機関を半速力前進にかけて6.1ノットの速力とし、手動操舵で進行した。 定針後、B船長は、北北東方からの風波を右舷船首方から受けながら、貝瀬灯台の東側の岩礁に接近する態勢で続航するうち、自船周辺から貝瀬の南側にかけて白波が一面に立ち込め、波頭が砕けて白いすじを引くようになったが、貝瀬付近の波が高起しやすい浅礁海域に対する配慮を十分に行わなかったので、貝瀬付近の波浪の状況をよく確かめたり、引き返したりしないで、原針路、原速力のまま進行した。 10時00分B船長は、貝瀬灯台東方110メートルばかりの漁場に至り、右舷船尾部に腰掛けたまま、船外機を操作して風に立てるため、船首を約022度に向け、行きあしを止めたのち、A受審人にたこ籠投入場所の標識とした旗付き竹竿(たけざお)を船内に取り込むよう告げた。 こうして、道洋丸は、10時02分少し前A受審人が立ち上がって前示竹竿を船内に取り込んだとき、突然岩礁を乗り越えてきた大波を左舷側から受け、一瞬のうちに右舷側に大傾斜して復原力を失い、10時02分貝瀬灯台から101度110メートルの地点において、右舷側に転覆した。 当時、天候は曇で風力5の北北東風が吹き、潮候は上げ潮の初期で、強風、波浪注意報が発表されており、海上には約2.5メートルの北北西からのうねりがあった。 転覆の結果、道洋丸は、船外機に濡(ぬれ)損を生じたが、のち修理された。また、B船長とA受審人は、救命胴衣を着用しないまま海中に投げ出され、来援した漁船によって救助されたが、B船長(昭和41年11月20日生、一級小型船舶操縦士免状受有)は病院に収容されたのち、溺死と診断された。
(原因) 本件転覆は、強風、波浪注意報が発表されている状況下、長崎県阿翁浦漁港北西方沖合において、漂泊してたこ籠を揚収しようとする際、波の高起しやすい外洋に面した浅礁海域に対する配慮が不十分で、大波を左舷側から受け、右舷側に大傾斜して復原力を喪失したことによって発生したものである。
(受審人の所為) A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。 |