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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成7年9月24日18時20分 京都府加佐郡大江町の由良川 2 船舶の要目 船種船名
プレジャーボート(船名なし) 全長 7.13メートル 幅 1.26メートル 深さ
0.33メートル 機関の種類 電気点火機関 出力 7キロワット 3 事実の経過 プレジャーボート(船名なし、以下「浪江丸」という。)は、建築業を営むB指定海難関係人がA受審人とともに建造し、同指定海難関係人が実質的に管理に当たる、甲板を有しない平底和船型の木造船で、厚さ3.0センチメートル(以下「センチ」という。)幅8.5センチから9.6センチまでの角材6個で骨格が形成され、これに外板として厚さ1センチのベニヤ板が張られ、両舷上部2箇所に渡し板が補強されていた。 A受審人は浪江丸が完成したとき、一度、自らが操船に当たって同人の家族及びB指定海難関係人を同乗させ、京都府加佐郡大江町尾藤付近の由良川を航行したものの、このときは水位が低く十分に航走できなかった。そこで今回、降雨により水位が増していたので、同指定海難関係人からの提案を受け、これに同意して由良川に乗り出すこととした。 こうして、浪江丸は、知人から借りた小型船舶用船外機を船尾に取り付け、船舶安全法に基づく検査を受けないまま、また救命胴衣も備え付けず、船遊びの目的で、A受審人が1人で乗り組み、B指定海難関係人及び友人のCを同乗させ、平成7年9月24日15時40分同町尾藤の、由良川に架かる尾藤橋の下流右岸約150メートルの地点を乗り出して同川を下航したのち、折り返して再び同地点に戻り、更に友人のDを同乗させ、16時15分同地点を発して上流に向かった。 由良川は、京都府の西部を蛇行しながら北に流れて若狭湾に注ぐ一級河川で、尾藤橋の上流約1,450メートルのところにある在田橋付近の川幅が平常時約90メートルであり、同橋の上流右岸約10メートルのところで川幅約5メートルの在田川が合流していた。 また、在田橋は、由良川の右岸側から340度(真方位、以下同じ。)にほぼ直角に架かる幅員約4.50メートル長さ約131メートルの橋で、同橋両端から4本1組の円筒胴差し付橋脚が中心部に向かって約12.30メートルの間隔をもって各2組ずつ、それ以降は約7.10メートルの間隔をもって12組設置されていた。 ところで、浪江丸に取り付けられた船外機は、トーハツ株式会社製355A(L)型と称する、推進力の小さい、前進時の最大速力が毎時約20キロメートル、また後進時の最大速力が毎時約5キロメートル程度のものであったがA受審人は、あらかじめ自船の操縦性能の確認を行っていなかったので、このことを知らなかった。 16時30分ごろA受審人は、乗り出し地点の上流約750メートルの由良川右岸の浅瀬に至ってバーベキューを始め、各人が350ミリリットル入り缶ビールを3本ほど飲んだ。その後、17時20分ごろ更に船遊びを楽しむつもりで、同地点を発進して上流に向かっている途中、同場所から約1,300メートル上流にあたる、在田川の近くにある行きつけの居酒屋に短時間だけ寄ることにした。 そして、A受審人は、在田橋の下を通過し、すぐに左転して在田川に入り、17時40分ごろ増水していつもより川幅が広がった由良、在田両川の合流地点から約10メートル奥に入った在田川右岸に着き、船首部を川岸に引き揚げ、船首から延出したロープを在田橋の転落防止用支柱にとって係留し、その後居酒屋に行き、再度少しばかりのビールを飲んだ。 A受審人は、30分ほどで切り上げるという約束であったことから余り飲酒せずに、18時15分B指定海難関係人、C同乗者及びD同乗者とともに同居酒屋を出て前示係留地点に戻った。 このころ、由良川は、日本海を北東進した台風14号の影響による集中的に降った雨のため、増水して平常時より水位が約1メートル高まるとともに、水流も強まり濁流状態となって、流速が毎時4.5キロメートルほどに達しており、推進力の小さい浪江丸が後進で由良川の本流に出たとき、強まった流れを受けて操船が困難になるおそれがあった。 A受審人は、係留地点に戻ったとき、その場で船首を回して前進で進行することが困難な状況のもと、最初に尾藤橋の下流を乗り出したときに比べ、由良川の本流の流れが一段と強まっていることを知った。しかし、同人は、この程度の流れなら大丈夫と思い、折から日没後で暗くなりかけていたこともあって、乗り出し地点に戻ることを急ぐあまり、水流状況に対する検討を十分に行うことなく、発航を中止しなかった。 そして、A受審人は、浪江丸に乗り込み、船尾部に腰掛けて左手で船列機のハンドルを握り、その前方に3人が1列に並んで座り、18時17分機関を後進にかけてスロットルを一杯に開き、船首を左転させようと同ハンドルを左舷方に操作しながら、船尾を北西方に向けて毎時4キロメートルの速力で後退した。 間もなく浪江丸は、本流の強まった水流を受けるようになり、これによる船体の後進力の減少が加わって、船首が南東方に向首したまま、急速に下流に圧流される状況となった。 A受審人は、後方を向いて操船に当たっているうち、約10メートル下流の在田橋の、右岸端から約46メートルの5番目の橋脚に向けて圧流され、18時19分半ふと前方を向いたとき5メートルほどに迫った橋脚を認めたものの、どうすることもできず、左舷側中央部が同橋脚に接触し、橋脚に当たって盛り上がった水により右舷側に傾斜して同側から水が流入し、18時20分京都府加佐郡大江町の陣取山三角点から292度1,840メートルの地点で、船首が南東に向いたまま右舷側に転覆した。 当時、天候は曇で風力2の東南東風が吹き、付近には毎時約4.5キロメートルの水流があった。 転覆の結果、下流約400メートルの右岸に流され、左舷外板及び船底に擦過傷を生じ、全員が水中に投げ出され、2人は自力で船体に取り付いたり、川岸に泳ぎ着いたりしたが、C同乗者(昭和24年7月14日生)とD同乗者(昭和25年8月1日生)が行方不明となり、のち遺体で発見され、船体は陸揚げされて廃棄処分された。
(原因の考察) 当時、由良川は、日本海を北東進した台風14号の影響による降雨のため、増水して水位が平常時より約1メートル高まるとともに、水流も強まり毎時4.5キロメートルほどに達していた。 一方、浪江丸に装備された船外機は、出力7キロワットで推進力も小さく、前進時の最大速力が毎時約20キロメートル、また後進時の最大速力が毎時約5キロメートル程度のものであったが、A受審人は浪江丸の操縦性能の確認を行っておらず、このことを知らないままであった。当時の由良川の流れを考慮すれば、後進して本流に進入することは極めて危険であった。 次に、前示係留地点で船を回し、前進で進行したらどうであったかを検討すると、在田川の川幅は約5メートル、浪江丸の全長は7.13メートルであり、発航地点で回頭させることについて、A受審人は当廷で、「腰ぐらいまで水かさが増していた、船を降りて水中に入って船体を回したら回せたかもしれない。」旨供述しているように、その場で回頭することが無理な状況で、実行に適さなかったと認められる。 加えて、由良、在田両川の合流地点の下流約10メートルのところに在田橋が存在し、全長7.13メートルの浪江丸が在田川の係留地点から出てすぐ由良川の本流を受けながら回頭して、7.10メートルの橋脚間を通過することは、高度な操船技術を必要とされる状況であったと言わざるを得ないうえ、上陸して居酒屋に行ったのち、係留地点に戻ったときは日没も過ぎた薄明時で、すでに周囲が薄暗い状況となっており、そのまま航行を続けること自体無理な状況にあった。 したがって、当時、在田川の係留地点から発航できる状況ではなかったと認める。
(原因) 本件転覆は、日没後の薄明時、降雨のため増水した京都府の由良川において、同川支流の在田川から由良川に向けて発航するにあたり、操縦性能の確認及び水流状況に対する検討がいずれも不十分で、発航を中止せず、由良川の本流に後進し、強まった水流により圧流され、下流至近に存在する在田橋の橋脚に接触し、水の打ち込みを受けたことによって発生したものである。
(受審人等の所為) A受審人は、日没後の薄明時、降雨のため増水した由良川において、船外機を取り付けた手製の浪江丸に乗り組んで船遊び中、同川支流の在田川から由良川の本流に向けて発航する際、同川の水流が一段と強まっているのを知った場合、推進力の小さい本船で由良川の本流に後進したとき、水流に圧流され操船の自由を奪われて危険に陥るおそれがあったから、安全に発航できるかどうかを判断できるよう、水流状況に対する検討を十分に行うべき注意義務があった。しかし、同人は、この程度なら大丈夫と思い、折から日没後で暗くなりかけていたこともあって、乗り出し地点に戻ることを急ぐあまり、水流状況に対する検討を十分に行わなかった職務上の過失により、由良川の本流に後進した際、強まった水流に圧流され、下流至近に存在する在田橋の橋脚に接触して転覆させ、同乗者2人が行方不明となって遺体で発見されるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の四級小型船舶操縦士の業務を1箇月15日停止する。 B指定海難関係人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。 |