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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成8年7月17日11時30分 宮崎県宮崎港大淀川河口 2 船舶の要目 船種船名
教習艇はやと39号 全長 5.44メートル 幅 2.04メートル 深さ
0.97メートル 機関の種類 ディーゼル機関 出力 80キロワット 3 事実の経過 (1) はやと39号の来歴等 はやと39号(以下「はやと」という。)は、平成7年3月ヤマハ発動機株式会社において建造された最大搭載人員5人のFRP製モーターボートで、財団法人日本船舶職員養成協会が購入し、指定海難関係人B(以下「B支部」という。)の宮崎教習所に配属され、四級小型船舶操縦士の資格取得のための実習用船舶(以下「教習艇」という。)として使用されていた。 はやとの船体構造は、船首から順に、物入れ、操舵室及び機関室が配置され、後部が開放されたコックピット型の操舵室には前部に操縦装置、その後方にいすが備えられ、推進装置として船内外機が装備されていた。 (2) 受審人及び指定海難関係人 受審人Aは、一級小型船舶操縦士の免許のほか、二級海技士(航海)の免許を併有し、外航貨物船の航海士などを経て、平成2年4月B支部に採用され、主に宮崎教習所において、はやとあるいは同型の教習艇であるはやと40号に乗り組み、実技教員の職務に従事していた。 B支部は、昭和41年1月に財団法人日本船舶職員養成協会の支部として発足後、船員養成などの事業を営んでおり、小型船舶職員の養成事業として、教習艇28隻を備え、乗船履歴を有しない一般人の受講者を対象にした第一種船舶職員養成施設(以下「養成施設」という。)を九州各地に開設し、養成施設ごとに管理者を任命し、管理者に学科と実技を担当する教員を監督させて事業の運営に当たらせていた。 B支部は、九州各地の養成施設の管理者を統括管理する立場にあり、実技教習を実施する際の安全確保にあたっては、管理者に気象、海象を把握させて実技実施前あるいは実施途中における中止決定の権限を与えるとともに、実技教員にも実施途中における中止決定ができるようにしていたが、風速、波高などに関して操船上の具体的な中止の判断を実技教員に任せていた。 (3) 宮崎教習所及び実習用水域 宮崎教習所は、四級小型船舶操縦士受講者のための講座を毎月1回開き、B支部から任命された管理者、学科教員及び実技教員によって教習に当たり、学科を宮崎市内の公民館などの施設で、実技を宮崎港内の実習用水域でそれぞれ行っていた。 実習用水域は、宮崎港内北部にあり、大淀川河口(以下「河口」という。)北側の宮崎市市街地とその東方沖合の埋立地に挟まれた南北に細長い水路(以下「水路」という。)の北側で、北防波堤の内側に設定されていた。 水路は、南北に開口し、北側が南防波堤と北防波堤とに挟まれた入口、南側が河口左岸に設けられた宮崎港水門(以下「水門」という。)となっていた。 はやと及びはやと40号は、河口右岸の津屋原沼の宮崎マリーナに保管され、同マリーナから実習用水域に至るには、大淀川を横断して水門を経たのち、水路を北上するようにしていた。また、河口沖合から同マリーナに至るには、河口付近の水深が浅いので、東西に構築された北導流堤と中導流堤間の水深のある幅約130メートルの通航路を経由していた。 ところで、水門は、大淀川の増水や沖合から高波が寄せるようなとき、水路への土砂流入防止などのため閉鎖されることがあったが、宮崎教習所には連絡されていなかった。そのため、教習艇は、実技教習中に水門が閉じられると、河口付近の海上が穏やかであれば防波堤入口を出て外洋から導流堤間を経て帰航できたが、荒れているときは水路内の岸壁から受講者を上陸させて仮泊することもあった。 (4) 本件発生に至る経緯 A受審人は、平成8年7月17日受講者6人の第1日目の実技教習を行うこととなり、はやと40号の船長とともに早朝から宮崎マリーナに赴いて出航準備にあたり、折から九州南方海上にある台風6号が北上中で、宮崎地方気象台から前日発表された波浪注意報が継続中であることも知っていたが、台風は遠方で宮崎港付近では風も弱く、管理者から中止の連絡も受けていなかったので、実技教習の現場責任者の立場にあった自らの判断で正午前に教習を済ませることとした。 こうして、はやとには、A受審人が1人で乗り組み、受講者3人を乗せ、船首0.4メートル船尾0.8メートルの喫水をもって、09時10分他の受講者を乗せたはやと40号とともに宮崎マリーナを発し、全員に救命胴衣を着用させて実習用水域に向かった。 A受審人は、水門経由で実習用水域に至り、同水域に仮設した浮標間を航走する実技教習を行ううち、沖合からの波浪が高まって水門が閉鎖されたが、そのことを知らなかった。 11時08分A受審人は、予定の教習を終えて帰途に就き、水路を南下中、水門が閉鎖されているのを認め、あいにく備え付けのトランシーバーが僚船との連絡専用で管理者と相談できなかったので、とりあえず河口経由で帰航することとし、はやと40号に後続するよう告げると、反転して防波堤入口に向かった。 11時22分A受審人は、防波堤入口を通過して宮崎港南防波堤仮設灯台(以下「仮設灯台」という。)から069度(真方位、以下同じ。)380メートルの地点で外洋に出たところ、波高約2メートルの南東方からのうねりがあるのを認めたが、河口の状況を見て帰航できるかどうか判断することとし、河口に接近する間、受講者にうねりのあるときの操船をさせようと交替で操縦に当たらせ、大きく蛇行しながら埋立地沖合を南下した。 11時28分半A受審人は、仮設灯台から206度1.4海里の、河口まで600メートルの地点に達したとき、受講者に代わって操船に当たり、針路を北導流堤東端の少し沖合に向く212度とし、機関をほぼ半速力前進の15.0ノットにかけて進行した。 11時29分A受審人は、導流堤間の通航路入口まで300メートルに接近したとき、防波堤沖合ではなだらかなうねりであったものの、遠浅な河口水域では、波高が約3メートルに高まって波の進行側の波面が急峻となり、波頂が砕ける寸前のほぼ磯波状態となっていて、船幅約2メートルのはやと級のモーターボートの航行には危険であることを認め得る状況にあった。 しかるに、A受審人は、河口水域の波が高まっているのを認めたものの、波高が船幅を超える磯波の危険性に配慮せず、これまで導流堤間の通航路を経て何度か帰航した経験から、何とか通航できるものと思い、河口水域への進入を中止して防波堤内に引き返すことなく続航し、11時30分少し前北導流堤東端を右舷50メートルに見て並航したとき右舵をとって導流堤間の通航路に進入した。 その直後、はやとは、高起した磯波を左舷船尾方から受けてコックピット内に大量の海水が滞留し、A受審人は機関を停止したところ、続いて第2波を受け、11時30分仮設灯台から208度3,220メートルの地点において、船体が波にあおられて大傾斜し、船首が279度に向いたまま復原力を喪失して右舷側に転覆した。 当時、天候は曇で風力3の北北東風が吹き、潮候は下げ潮の末期にあたり、河口水域には高い磯波があった。 転覆の結果、はやとは、北導流堤の消波ブロックに打ち付けられて大破し、回収されたのち廃船処理された。 一方、乗船者全員は、海中に投げ出され、A受審人と受講者2人が北導流堤の消波ブロックに漂着したところを、河口水域への進入を中止して防波堤内に引き返したはやと40号の通報で来援したヘリコプターに救助されたが、入院治療を伴う打撲傷などを負い、波にさらわれて行方不明となった受講者C(昭和23年12月27日生)が、のち遺体で発見された。 本件後、B支部は、波高などに関する具体的な実技教習中止基準を設け、管理者と常時連絡がとれるよう教習艇に携帯電話を備えることとし、宮崎教習所におけるはやと級の教習艇では、波高が1.0メートル以内で実技教習を行うようにしたほか、水門の管理者との間の連絡体制を確保し、帰航中に水門が閉鎖されたときクレーン車により教習艇を陸揚げする措置をとることにした。
(原因に対する考察) 本件は、宮崎港内において、実技教習を終えて係留地に向け帰航中、往路に通航した水門が閉鎖されたので、帰路を防波堤外を迂回する河口経由に変更し、磯波が高起する河口水域を通航中に発生したものであるが、その原因について検討する。 A受審人は、防波堤入口を出たところで外洋には波高約2メートルのうねりがあり、遠浅な河口水域に接近して同水域の波高が約3メートルに高まっているのを認めたものである。 このような場合、操船者としては、波高が自船の船幅を大きく超える磯波中に進入すれば転覆の蓋然性が極めて高かったから、この危険性に配慮し、進入を取り止めて防波堤内に引き返し、これまでにも行っていたように、受講者を上陸させて教習艇を係留するなどの手段をとるべきであった。 しかるに、A受審人は、これまで何度も同水域を航行していたから何とか通航できるものと考え、磯波の危険性に対する配慮を欠き、河口水域への進入を中止することなく続航したことは、本件発生の原因である。 B支部の所為については、河口水域を通航できるかどうかの判断は船長であるA受審人にあるのであって、原因とは認めない。
(原因) 本件転覆は、宮崎港において、実技教習を終えて係留地に帰航中、遠浅な大淀川河口水域の磯波が高まっているのを認めた際、磯波の危険性に対する配慮が不十分で、同水域への進入を中止することなく進行して船尾から大波を受け、復原力を喪失したことによって発生したものである。
(受審人等の所為) A受審人は、宮崎港において、防波堤内における実技教習を終え、同港大淀川右岸の係留地に帰航中、往路に通航した水門が閉鎖され、防波堤外を迂回する大淀川河口経由に変更し、遠浅な河口水域に接近して磯波が高まっているのを認めた場合、波高が自船の船幅を大きく超えていたのであるから、河口水域への進入を中止すべき注意義務があった。しかるに、同人は、何とか通航できるものと思い、河口水域への進入を中止しなかった職務上の過失により、大波を受けて転覆を招き、はやとを大破させるとともに、受講者1人の死亡と同受審人及び受講者2人の負傷を生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。 指定海難関係人Bの所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。
(参考)原審裁決主文平成9年11月28日門審言渡(原文縦書き) 本件転覆は、河口水域の磯波に対する配慮が不十分であったことに因って発生したものである。 指定海難関係人Bが、小型船舶操縦実技教員に、宮崎小型船舶職員指定養成施設の受講者に対する教習艇の操縦実技教習を行わせる際、荒天時における実技教習中止基準を規定していなかったことは本件発生の原因となる。 受審人Aの一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。 |