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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成7年4月21日18時52分 鹿児島県西之表港 2 船舶の要目 船種船名 旅客船サンシャインふじ
引船第56庄栄丸 総トン数 7,262トン 11トン 全長 127.00メートル 12.40メートル 機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関 出力
7,649キロワット 330キロワット 3 事実の経過 サンシャインふじ(以下「ふじ」という。)は、不定期航路に従事する2基2軸の船首船橋型旅客船で、A受審人及びB受審人ほか40人が乗り組み、屋久島・種子島の観光航海の目的で、長崎、唐津両港で旅客487人を乗せ、平成7年4月20日16時ごろ唐津港を発し、途中、屋久島に寄せたのち、翌21日16時15分種子島の西之表港中央埠頭(ふとう)に接岸した。 西之表港は、西之表湾全域を港域として北方に開口し、西側には南北に長さ1,200メートルの沖防波堤及び長さ500メートルの南防波堤が築堤され、南側と東側は西之表市街地となり、南側市街地には塰泊(あまどまり)と称する防波堤で囲まれた小型船用の係留地があり、東側市街地にはその海岸が埋立地で、そこから南西方向に延びる長さ250メートルの西防波堤があって、この防波堤の南側基部にはジェット推進式高速艇が発着する専用浮桟橋(以下「浮桟橋」という。)があり、その東側がL字形をした中央埠頭となっていた。 ふじは、通常この中央埠頭に係留しており、出港する場合には、塰泊の防波堤に向け西防波堤沿いに南下し、西防波堤突端とその南側500メートルに位置する塰泊との間で、同突端を約200メートル離して付け回すようにほぼ反転し、南防波堤及び沖防波堤沿いに北上して港外に出る進路がとられていた。 当時、ふじは、船首を240度(真方位、以下同じ。)に向け中央埠頭に右舷付けで出船係留しており、一方、ふじの係留岸壁の東側でこれとほぼ直角に設けられた岸壁には、他社の定期旅客船新種子島丸(総トン数999トン、全長89.50メートル)が左舷錨鎖3節、右舷錨鎖1節を延出し、船首を224度に向け、船尾付けで係留していた。そのため、ふじの左舷船尾と新種子島丸の船首部が至近距離で並行していた。 A受審人は、年間4ないし5回計20回以上西之表港に入航した経験があり、ふじに出力500キロワットのバウスラスタ(以下「スラスタ」という。)が装備されていたので、同港での離着岸に引船を使用したことはなかったが、当時、ほぼ左舷正横から風力5の東南東風が吹いていたので、離岸時に引船を使用することとし、自社の運航管理者に引船の手配を依頼し、第56庄栄丸(以下「庄栄丸」という。)が援助作業に当たる旨の返答を得た。 また、庄栄丸は、西之表港を基地とし、1軸固定ピッチプロペラの物件曳航(えいこう)用引船で、操舵室後方の船体中央部で水面上高さ1.6メートルのところに、緊急離脱装置のない曳航用フックが設けられ、起重機船の移動作業用として使用されていたところ、ふじの離岸操船援助を行うこととなり、C受審人及びD受審人の2人が乗り組み、船首0.80メートル船尾2.10メートルの喫水をもって、同日18時30分西之表港内の係留地を発し、中央埠頭に向かった。 A受審人は、自船が新種子島丸と同時刻の19時00分に発航予定であったが、上陸していた乗客が全員帰船し、庄栄丸も到着したので、新種子島丸より先に離岸することとし、18時43分出航用意を令し、船尾配置についたB受審人に対し、庄栄丸に自船のトランシーバーを渡して同船を左舷船尾にとるよう命じ、具体的な曳索の取り方については指示しなかった。 そしてそのころ、A受審人は、庄栄丸の船型を見て、同船がフォイトシュナイダ船やZプロペラ船とは異なり、プロペラ放出流をいずれの方向にも変えられる操縦性能のよい操船援助用引船でないことは分かったが、出航を急いでいて、同船の性能及び装置の確認をせず、出航操船の援助方法について、庄栄丸に対して何らの指示も行わなかった。 こうして、A受審人は、三等航海士を船長補佐として同人に船首尾指令用の船内マイクを持たせ、三等機関士を主機遠隔操作に、甲板手を操舵にそれぞれ当たらせ、自らは庄栄丸との連絡用トランシーバーを持ち、右舷ウイング端のスラスタ操作盤の前に立ち、船首4.60メートル船尾5.10メートルの喫水をもって18時45分中央埠頭を発し、長崎港に向かった。 A受審人は、発航と同時に庄栄丸に対し、全速力で真横に引くよう指示し、スラスタを左回頭一杯にいれ、操船位置から同船を視認することができなかったのに、自船の曳索を庄栄丸の船尾ビットにとっているものと思い込み、曳索の状態を確認しないまま、岸壁と浮桟橋のみに注意を払い、わずかに前進しながら岸壁から離れるのを監視した。 A受審人は、18時48分船首が西防波堤とほぼ平行の218度を向き、船橋前面が浮桟橋南端に距離50メートルで並航したとき、右舷機のみ極微速力前進を令し、スラスタの翼角を適宜調整して前方の塰泊の防波堤を船首少し右方に見るよう、わずかに左転しながら進行し、同時49分少し過ぎ針路が202度となったとき、B受審人から船尾が浮桟橋に並んだ旨の報告を受け、機関停止を令するとともに、庄栄丸に引くのを中止して追従せよという意味で「引き方停止、ぶら下がれ」と指示し、2ノット余りの惰力で同一針路のまま続航した。 一方、C受審人は、大型船の操船援助作業は初めてで、ふじの発航に先立ち同船の左舷船尾に近づき、両端をアイ加工した直径50ミリメートル長さ42メートルの自船の曳索をふじに渡すとともに、一端を曳航用フックにかけ、操船援助方法等についてふじに確かめず、また、操舵室は機関音が大きいので、同船から受け取ったトランシーバーをD受審人に持たせ、船首でふじからの指令を聞いて報告するよう命じ、操舵室の前面窓を開けD受審人からの連絡を待った。 18時45分C受審人は、D受審人から真横に引けとの連絡を受け、当時、新種子島丸の右舷錨鎖があって真横に引けなかったので、ふじの正横より約30度前方に向け全速力で引き出しを開始し、その後、ふじに前進行きあしがつくとともに、これに遅れないよう、適宜舵を使用して調整しながら引き続けた。 また、D受審人は、3年前に起重機船の作業員としてA株式会社に入社し、昨年12月海技免状を取得したことから、庄栄丸に甲板員として乗船したが、今まで大型船の操船援助作業を行った経験がなく、船首でトランシーバーを持ち、ふじからの指令を操舵室前面まで行って、窓越しにC受審人に伝えていたところ、18時49分少し過ぎ「引き方停止、ぶら下がれ」の指示がきたとき、了解と答え、C受審人に停止とのみ伝えた。 これを聞いたC受審人は、停止すれば風で圧流されるので停止できないと思い、また、ふじがすでに無難に港外に出航できる態勢となっているので、間もなく減速して作業終了が指示されると思い、機関を微速力前進として引きながら待機した。 一方、A受審人は、庄栄丸が引き方をやめ、曳索を緩めて自船に並航して追従しているものと思い、依然右舷ウイング端の庄栄丸を視認できない位置で操船に当たり、左舷側に出て同船の援助作業状況を監視しなかったので、そのまま引いていることに気付かず、18時50分半西之表港西防波堤灯台(以下「防波堤灯台」という。)を右舷正横より少し後方に見る同灯台から130度200メートルの地点で、防波堤突端を右舷に付け回すため、右舷機を極微速力前進続いて右舵一杯を令し、スラスタを右回頭一杯に入れるとともに、庄栄丸に対し再び真横に引くよう指示し、同時51分少し前回頭惰力がつき始めたところで機関停止を令し、約3ノットの速力で右回頭を続けた。 そのため、曳索が、ふじにとっては徐々に左舷後方に替わり、庄栄丸にとっては徐々に右舷後方に替わることとなり、庄栄丸の操縦性能からして、前進力をもって回頭しているふじに対応できない状況となり始めたが、A受審人は、これに気付かないまま、18時51分半B受審人に作業終了及び曳索を放つよう指示した。 B受審人は、曳索を放そうとしたものの、これが張っていて放すことができず、曳索を緩めるよう笛を吹いて庄栄丸に伝えたが、そのころ、ふじの船尾方に替わった庄栄丸が右傾斜しつつあるのを認め、「曳索が張っていてレッコできない、庄栄丸が横引きとなりそうで危険である。」旨を船橋に報告した。 これより少し前、C受審人は、ふじから再び真横に引けの指令があったとき、全速力で引き始めたものの、同船が前進行きあしをもって右回頭を始め、指令どおり真横に引くことが困難となり、同船に遅れないよう、舵を右にとっては中央に戻しながら引いていたところ、18時51分半曳索が自船の正船尾方から右舷後方に替わり、ふじに横引きされる状態となり右舷に傾斜し始めるとともに、右舷船尾から海水をすくう状況となったのを認め、そのころ、D受審人がトランシーバーでストップを連呼しているのを聞き、危険を感じて左舵一杯、全速力後進とした。 18時52分少し前A受審人は、B受審人から曳索をレッコできないなどの報告を受けるとともに、庄栄丸がストップを連呼しているのを聞き、何が起こったのか理解できず、左舷ウイングに向かった。 こうして、18時52分ふじが265度まで回頭し、曳索が左舷船尾45度の方向となり、一方、庄栄丸が165度を向き、曳索が右舷船尾35度の方向となったとき、防波堤灯台から142度250メートルの地点において、庄栄丸は曳索で横引き状態となって右舷側に転覆した。 当時、天候は曇で風力5の東南東風が吹き、潮候は上げ潮の初期であった。 A受審人は、左舷ウイングに向かっているとき、B受審人から庄栄丸が転覆した旨の報告を受け、曳索が外れて転覆している庄栄丸を認め、直ちに救助艇部署を発令し、西防波堤を替わしたのち投錨して事後の措置に当たった。 転覆の結果、庄栄丸は主機及び電気系統に濡損を生じたが、のち修理され、海中に投げ出されたC、D両受審人は転覆を知って近くの岸壁から急行した作業船に救助された。
(原因に対する考察) 本件は、鹿児島県西之表港において、ふじの出航援助作業に従事中の庄栄丸が、曳索で横引き状態となり転覆したものであるが、ふじが防波堤突端を付け回すため右回頭を開始した以後においては、曳索の状況、当時の風向・風力、水域、時間的余裕、ふじの速力及び回頭惰力並びに庄栄丸の操縦性能から、両船に事故回避の手段がほとんどなく、同事故は必然と考えられ、それ以前の両船の措置において原因があると認められるところから、以下これらについて検討する。 1 出航にあたっての事前打合せ A受審人は、西之表港で引船を使用したことがなく、初めて庄栄丸を使用したものであり、庄栄丸が到着したとき、その船型を見てフォイトシュナイダ船やZプロペラ船等の運動性能のよい港内操船援助用引船ではなく、物件曳航用引船であると判断していた。かかる場合、以下事項の確認及び指示が必要であったと認められる。 (1) 庄栄丸の性能、装備等についての確認 推進器の種類、出力、曳航用フックの緊急離脱装置の有無、大型船の出航操船援助作業をした経験の有無等 (2) 曳索の取り方の具体的打合せ 曳索はどちらの船のものを使用するか、曳索の形状及び長さ、庄栄丸のどの位置に曳索をとるか、前進で引くか後進で引くか、緊急に曳索を放つことができるか等の打合せ (3) 操船援助方法の指示 ふじはどのような操船方法で出航するか、庄栄丸はどのような援助を行うか、援助はどの地点まで行うか等 かかる事前の確認、指示等が行われておれば、A受審人は庄栄丸の性能や装備を理解し、自船の曳索を取って緊急離脱の手段を講じ得たし、また、その援助作業を監視し、行きあしのあるときの指令は慎重に行うことができたものと認められる。 よって、A受審人が庄栄丸と何らの確認及び指示を行わなかったことは、本件発生の原因となる。 また、C受審人が初めて大型船の操船援助作業を行う場合、具体的にどのような援助をどの地点まで行うのか、ふじに確認しておれば、防波堤入口までと言われたときには、ふじに行きあしのある状態では、自船の性能上対応できない旨、進言し得たものと認められる。よって、援助方法等について、ふじに確認しなかったことは、本件発生の原因となる。 2 A受審人の庄栄丸作業状況の監視について A受審人が、離岸後、浮桟橋を替わるまでは岸壁との航過距離等確認のため、右舷ウイング端にいて庄栄丸が視認できない位置で操船したことは相当であったとしても、その後、浮桟橋を無難に替わる態勢となったのち、右舷側には十分な余地があったのであるから、船橋左舷に移動し、庄栄丸の作業状況を確認する必要があったものと認められる。 そして、その状況を確認しておれば、当時、速力も2ノット余りあり、物件曳航用引船の庄栄丸にとって、容易に追従できる状況になく、その後の防波堤突端での援助作業は同船の性能から危険を伴うものであると判断でき、また、防波堤突端での前進回頭中における援助作業は、風力強かったとはいえ、付近海域の広さ、ふじにスラスタが装備されていることを考慮すれば、特段にその必要があったとは認められない。 よって、庄栄丸に引き方停止を指示した時点で、ぶら下がれと令することなく、速力を落として曳索のレッコ、作業終了を指示できたと認められ、離岸後一度も庄栄丸の作業状況を監視していなかったことは、本件発生の原因となる。 3 C受審人の操船について ふじが離岸した後、D受審人から停止の連絡を受けたとき、ふじには2ノット余りの行きあしがあって、フック引き状態のまま機関を停止すると、ふじに置いていかれる危険性があり、また、機関を後進として曳索を緩め、ふじに追従することは時間的に余裕がなく、自船の性能上、ふじの指示どおりの操船が困難となっていたが、当初、ふじからどの地点まで援助作業を行うかの指示がなく、ふじがすでに安全に港外に出航できる態勢であり、間もなくふじが減速して作業終了の指示が来るものと思っていたことは、不当とはいえない。 よって、C受審人の操船が本件発生の原因をなしたものとは認めない。 4 D受審人のC受審人に対する報告について D受審人が、ふじからの指示をC受審人に正確に連絡しなかったことは遺憾であるが、操船援助作業の経験がなく、ぶら下がれの意味が理解できず、かつ、船長から特段の指示もなかった点に徴し、本件発生の原因と認めない。
(原因) 本件転覆は、強風下の鹿児島県西之表港において、ふじが、出航の操船援助として初めて庄栄丸を使用する際、同船の性能・装置の確認及び出航操船の援助方法についての指示が不十分であったばかりか、庄栄丸の援助作業状況の監視が不十分で、前進行きあしをもって回頭し、庄栄丸がこれに対応できず、同船を横引き状態としたことによって発生したが、物件の曳航作業に従事する庄栄丸が、初めて大型船の操船援助を行う際、操船援助方法等についての確認が不十分であったことも一因をなすものである。
(受審人の所為) A受審人は、強風下の西之表港において、出航援助の引船として庄栄丸を初めて使用し、左舷船尾に曳索を取って離岸作業を開始した場合、同船が運動性能のよい操船援助専用の引船でなく、物件曳航用の引船であり、かつ、庄栄丸と何らの事前打合せも行っていなかったのであるから、船橋を移動してその作業状況を監視すべき注意義務があった。しかるに、同人は、船橋右舷ウイング端にいて庄栄丸を視認できない位置で終始操船に当たり、同船の援助作業状況を監視しなかった職務上の過失により、庄栄丸に対し、前進速力のある状態で回頭中に引かせるなど、同船の操縦性能を超えた指令を行い、これを横引き状態として転覆を招き、庄栄丸の主機及び電気系統に濡損を生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 C受審人が、強風下の西之表港において、ふじの出航援助作業に従事する場合、具体的にどのような援助をどの地点まで行うのか、ふじに確認しなかったことは、本件発生一因となる。しかし、同人は物件の曳航作業に従事していて、大型船の操船援助作業が初めての経験である点、及び具体的な操船援助方法は、本来ふじから庄栄丸に事前に指示されるべきものであるにもかかわらず、何らの指示もなかった点に徴し、このことを同人の職務上の過失とは認めない。 B受審人の所為は、本件発生の原因とならない。 D受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。
(参考)原審裁決主文平成8年12月10日門審言渡(原文縦書き) 本件転覆は、サンシャインふじが、船尾を引かせた第56庄栄丸に対する状況確認が不十分で、同船を横引きしたことに因って発生したものである。 受審人Aの一級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。 |