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1998年(平成10年)

平成9年長審第16号
    件名
漁船第三十八誠栄丸沈没事件

    事件区分
沈没事件
    言渡年月日
平成10年2月26日

    審判庁区分
地方海難審判庁
長崎地方海難審判庁

保田稔、高瀬具康、安藤周二
    理事官
小須田敏

    受審人
A 職名:第三十八誠栄丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
全損

    原因
荒天準備不十分、荒天避難の措置とらず

    主文
本件沈没は、荒天準備を十分に行わなかったばかりか、荒天避難の措置をとらず、船首部区画に海水が流入して船体浮力を喪失したことによって発生したものである。
受審人Aの四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成7年12月25日08時58分
九州西岸沖合
2 船舶の要目
船種船名 漁船第三十八誠栄丸
総トン数 181.70トン
登録長 33.21メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 588キロワット
3 事実の経過
第三十八誠栄丸(以下「誠栄丸」という。)は、専ら瀬戸内海の魚類養殖場間を活魚の運搬に従事する長さ33.21メートル幅7.00メートル深さ3.00メートルの船首楼を有する船尾船橋型鋼製漁船で、昭和46年9月まぐろはえ縄漁船として竣工し、昭和57年10月活魚運搬専用船に改造され、平成6年9月A株式会社が買船により取得したものであり、おおむ船首からフォアピークタンク、ポンプ室、活魚倉、機関室、居住施設及び操舵機室の区画順に配置されていた。
船首楼は、甲板長倉庫となっており、その内部にチェーンロッカーがあった。フォアピークタンク区画は、入口がナット締めのマンホールガットで閉鎖され、通常海水バラストが張られることがなかった。ポンプ室区画は、1番活魚倉の注排水を行う2台のポンプ及び各活魚倉共通の予備のポンプ1台の計3台が装備され、同室出人り口が船縦約1メートル船横約2.5メートル高さ0.8メートルのハッチで、船首楼と1番活魚倉間の甲板上にあり、2枚合わせの木製さぶたを金具止めして簡易に閉鎖されていたものの、同ハッチを水密構造とするには、ターポリンで覆ったうえ固縛されなければならなかった。また、これら区画の甲板上にグースネック型のベンチレータが設備されていた。
活魚倉区画は、船首尾中心線に縦隔壁をもつ1番から4番の活魚倉からなり、各活魚倉ハッチ口には木製ハッチカバーを船横に間隔をおいて並べ、甲板上から倉内を監視できるようにしてあり、二重船底及び舷側を貫通する直径約20センチメートルの開口各5個があって、それぞれ魚が逃げないように内側から網で覆われており、スライド式の鋼製栓に連結したロープを甲板上で遠隔操作することによって同開口部の開閉ができるようになっていた。
活魚倉から後方の区画は、機関室及び居住区などで、2ないし4番活魚倉注排水用の4台のポンプが機関室前部に装備され、これらポンプ及び船首部のポンプの給電盤が同部中段にあった。
ところで、誠栄丸は、活魚倉開口部及び同倉ハッチ口を開放したまま運航され、倉内の水位が喫水線と常に同じで、同区画部分の乾舷が予備浮力とはならず、船体全体の予備浮力が少なく、なんらかの要因で他の区画に浸水があれば、急速に浮力を喪失するおそれがあった。
誠栄丸は、A受審人及びB指定海難関係人ほか3人が乗り組み、ぶり活魚約20トンを載せ、船首2.70メートル船尾3.20メートルの喫水で、同7年12月24日14時00分鹿児島県指宿港を発し、九州西岸沿いに北上して長崎県戸石漁港に向かった。
A受審人は、自らが経営する会社が活魚運搬専用船を所有していて同種船舶の運航に慣れ、誠栄丸の船長が休暇で下船した際など依頼されて過去数回同船に臨時乗船した経緯があり、同事由により同月20日愛媛県字和島港から指宿港に寄港したのち戸石漁港までの予定で同船に乗船していた。同受審人は、指宿港発航後、船橋当直をB指定海難関係人及び甲板員Cと3人による4時間交替の3直制とし、同受審人が最初の4時間船橋当直に当たり、九州南岸沖合を西行中、天気予報で冬型の気圧配置が強まり、荒天になることが予想されたが、船首部ベンチレータの閉鎖やポンプ室出入り口の水密を確保するなどの荒天準備を行わず、同24日18時00分鹿児島県枕崎港南東沖合で同指定海難関係人に船橋当直を引き継いで休息した。
B指定海難関係人は、当直交替後天候が悪化して海上が次第に荒れ模様になってくるのを認め、20時ごろ坊ノ岬沖合を航行していたとき、このまま航行できるかどうか不安になってその旨をA受審人に進言したところ、続航するとの指示を受け、22時00分野間岬西方沖合でC甲板員に船橋当直を引き継いだ。
翌25日02時00分A受審人は、天狗鼻西方沖合でC甲板員から船橋当直を引き継ぎ、04時00分牛深大島灯台から166度(真方位、以下同じ。)15.2海里の地点で、針路を339度に定め、機関を全速力前進にかけ、折からの強い北西風と北西からの高い波を船首少し左舷側から受けて5.0ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で自動操舵により進行した。
06時00分A受審人は、同灯台から194度6.2海里の地点に達したとき、更に風浪が高まって船体動揺が激しくなり、島陰などのない天草灘にさしかかって難航が予測される状況であったが、早く目的地に活魚を届けたいこともあって、何とか続航できるものと思い、最寄りの熊本県牛深港で投錨して天候の回復を待つなど、速やかに荒天避難の措置をとることなく、同針路、同速力で依然荒天準備を行わないままB指定海難関係人に船橋当直を引き継いだ。
06時30分B指定海難関係人は、船体動揺が更に激しく船首に波が打ち上げられる状況を見て就寝したばかりのA受審人に船橋指揮を受けようとしたものの、同受審人が起きないのでしばらく待ち、同時55分同灯台から241度4.4海里の転針予定地点に達したので、針路を005度に転じたころ、船首部に波の打ち上げが多くなり、船首乾舷が減少したのを感じ、07時00分起きて指揮を執るよう同受審人に強く要請した。
こうして、A受審人は、波の打ち上げにより、海水が甲板長倉庫に流入し、ポンプ室にも同室出入り口のさぶたが流失して海水が断続的に流入している状態で、ようやく船橋指揮に就き、自ら手動操舵に当たって様子を見ているうち、船首乾舷が徐々に減少するのを認め、07時55分C甲板員を起こし、08時00分同灯台から314度4.6海里の地点に達したとき、風と波を後方から受けるよう、針路を156度に転じ、機関を微速力前進に減じて3.5ノットの速力とし、同甲板員に1番活魚倉の舷側開口部に異常がないか確認するよう命じた。
08時10分A受審人は、C甲板員から異常がないとの報告を受け、船首部区画に浸水があると気付き、1番活魚倉の開口部を閉鎖して同倉内海水の排出を試みるため、B指定海難関係人にポンプの始動を命じたところ、甲板長倉庫内の同ポンプ始動器箱が冠水したものか、電路が短絡して同ポンプが始動できない旨の報告を受け、活魚倉開口部を開放したまま同倉海水排出をあきらめ、更に船首乾舷が減少していたので総員退船を決意し、船舶所有者に連絡して救助を要請し、08時20分少し前機関を停止し、同時20分同灯台から3.3海里の地点で、救命筏を降下し、離船を始めた。
乗組員5人は、A受審人ほか3人が救命筏に乗り移ったものの、機関員Dが移乗の際波に流され、それぞれ別に付近海域を漂流した。
誠栄丸は、漂流したのち、08時58分牛深大島灯台から301度3.1海里の地点において、船首部区画に継続的に海水が流入し、予備浮力が少なかったこともあって船体浮力を喪失し、船首から沈没した。
当時、天候は曇で風力7の北西風が吹き、北西方からの平均高さ4メートルの波があった。
この結果、誠栄丸は全損となったが、漂流中の乗組員は、海上保安部巡視艇及びヘリコプターにより全員が救助された。

(原因)
本件沈没は、九州南岸沖合を航行中に荒天が予想された際、荒天準備を十分に行わなかったばかりか、九州西岸沖合を北上中に荒天となって難航状況となった際、荒天避難の措置をとらず、甲板上に打ち上げた波による海水が船首部区画に流入し、船体浮力を喪失したことによって発生したものである。

(受審人等の所為)
A受審人は、九州西岸沖合を北上中、船首部甲板上に波が打ち上げて難航する状況となった場合、船首部区画などに海水流入のおそれがあったから、最寄りの港で投錨待機するなどして速やかに荒天避難の措置をとるべき注意義務があった。しかし、同人は、早く目的地に活魚を届けたいこともあって、何とか続航できるものと思い、速やかに荒天避難の措置をとらなかった職務上の過失により、船首部区画に海水が流入する事態を招き、誠栄丸が船体浮力を喪失して沈没するに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
B指定海難関係人の所為は、本件発生の原因とならない。

よって主文のとおり裁決する。






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