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1998年(平成10年)

平成9年神審第78号
    件名
貨物船やまと丸遭難事件

    事件区分
遭難事件
    言渡年月日
平成10年5月29日

    審判庁区分
地方海難審判庁
神戸地方海難審判庁

佐和明、山本哲也、織戸孝治)
参審員(武田幸男、冨田康光
    理事官
小野寺哲郎、竹内伸二

    受審人
A 職名:やまと丸一等航海士 海技免状:ニ級海技士(航海)
B 職名:やまと丸機関長 海技免状:一級海技士(機関)
    指定海難関係人

    損害
操舵室前面窓ガラスのうち中央部の熱線入り合わせガラス1枚に亀裂、その右側の長尺ガラス1枚が破損、操舵室制御機器及び配電集合盤など各電気系統濡れ損、船長、二等機関士及び司厨長の3人が頭蓋骨骨折等で死亡、二等航海士、甲板手、司厨手及び甲板長の4人が頭部裂傷、大腿骨開放骨折及び全身打撲等の重傷

    原因
荒天避泊の措置がとられなかったこと、船舶所有者の安全運航についての指導及び教育不十分

    主文
本件遭難は、台風接近時において荒天避泊の措置がとられず、高起した波浪の直撃を受けて操舵室前面窓ガラスが破損し、浸入した海水が主機及び操舵装置の制御系統電路を短絡させ、操船不能に陥ったことによって発生したものである。
船舶所有者が、安全運航についての指導及び教育が十分でなかったことは、本件発生の原因となる。
なお、乗組員に多数の死傷者が生じたのは、船体が大傾斜を伴うローリングを繰り返したとき、浸入した海水が排出されないまま在橋者を押し流し、操舵室内各所に激突させたことによるものである。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年7月26日06時14分
潮岬南東方沖合
2 船舶の要目
船種船名 貨物船やまと丸
総トン数 8,015トン
全長 156.82メートル
航行区域 限定近海区域
機関の種類 ディーゼル機関
出力 10,922キロワット
3 事実の経過
? 指定海難関係人C株式会社
(1) 沿革及び組織
指定海難関係人C株式会社(以下「C」という。)は、昭和49年に設立された資本金84,000万円、従業員数が海上、陸上合わせて約100人の会社で、九州支店を福岡県苅田(かんだ)町に、静岡営業所を静岡県御前崎町に、追浜(おっぱま)営業所を神奈川県横須賀市にそれぞれ置き、海運業のほか貨物運送取扱事業等を営み、本社には管理部、営業部及び船舶部を設け、管理部は業務、総務及び経理等を、営業部は航路の運営、集貨等を、船舶部は海上従業員に対する人事管理、配乗、教育訓練及び船舶の運航技術の指導のほか保船業務をそれぞれ担当していた。
(2) 航路及ひ就航船舶
同社は、設立当初に旅客定期航路事業免許を取得し、昭和52年東京と苅田間に旅客船兼自動車航送船を運航させ、同54年東京と三重県松阪間の航路も加えたが、同58年旅客定期航路事業から撤退し、横須賀港追浜及び福岡県苅田港間の自動車航送貨物定期事業の営業を開始した。
本件発生当時は、自社船のやまと丸及びむさし丸並びに関係会社が保有する日王丸の3隻で、横須賀港追浜、御前崎港、苅田港の3港間及び追浜、苅田港の2港間の航路を各船が1航海ごとに交互に定期運航し、積荷は主として、被牽引(けんいん)貨物車両(以下「トレーラー」という。)に載せられた自動車部品で、その他乗用車なども搭載していた。
(3) 配乗体制
本件発生当時の海上従業員数は60人で、原則として20日間の乗船ののち10日間の陸上休暇をとるという体制をとっており、休暇後は他の船に乗船することになっていた。
(4) 船舶の安全管理体制
Cは、旅客定期航路事業から撤退して海上運送法に定められた運航管理規程等の届出の義務がなくなったが、船舶運航の安全確保のため、社内基準として、自主的に従来の運航管理規程、運航基準及び作業基準を一部見直しのうえ、いずれも存続させた。同規程には、本社の船舶部長を運航管理者とし、各支店及び営業所に副運航管理者1人をそれぞれ置き、運航管理者とは、船長の職務権限に属する事項以外の船舶運航の管理に関する統括責任者と定められていた。
また、運航基準には運航中止の条件等が詳細に定められ、「船長は、航行中周囲の気象・海象が風速毎秒25メートル以上、または波高が8メートル以上に達するおそれがあると認められるときは、目的港への航行を中止し、反転、避泊又は抜港等の措置をとらなければならない。」と規定されていた。
しかし、同社は、旅客定期航路事業から撤退したのち、自社で定めた運航管理規程等の安全運航基準が各船において遵守されるよう、指導及び教育を十分に行っていなかった。そのため、乗組員の間ではいつしか運航管理規程等の安全運航基準は形骸(けいがい)化していた。
? 指定海難関係人D株式会社
(1) 沿革及び組織
指定海難関係人D株式会社(以下「D」という。)は、昭和47年10月にE株式会社とF株式会社とが合併して設立された資本金11億円、従業員数約550人の会社で、本社に管理部、設計部など15部門を設け、支社を東京及び大阪に、3工場を広島県瀬戸田町及び同県因島市にそれぞれ置き、造船業のほかに鉄鋼構造物及び海洋機器等の製作業を営んでいた。
(2) 旅客フェリー等の建造実績
Dは、瀬戸田工場に19,800トン及び6,000トン型の船台と40,000トン、5,000トン及び4,500トン型のドックを、因島市田熊工場に3,300トン及び1,000トン型船台と8,500トン及び1,300トン型のドックをそれぞれ備え、過去5,000総トン以上の旅客フェリー16隻及び自動車専用船11隻の建造実績を有していた。
? 船長及び受審人
船長Gは、昭和40年から外航船舶及び長距離旅客フェリーに航海士として乗船したのち、同52年Cに入社し、平成3年10月船長に昇進した、一級海技士(航海)の免状を受有する同社において船長経歴の最も長い船長で、同9年7月16日横須賀港においてやまと丸に乗り組み、運航に従事していた。
受審人Aは、昭和57年から外航船舶に航海士として乗船したのち、平成3年Cに入社し、同8年10月一等航海士に昇進し、翌9年3月からやまと丸の艤装(ぎそう)に携わり、同年7月25日苅田港でやまと丸に乗り組み、運航に従事していた。
受審人Bは、昭和44年H社に採用され、機関士としてH社社船に乗船したのち、同48年に長距離旅客フェリー会社に移り、同52年Cに入社した。その後、機関士として乗船したほか、同社船舶部で陸上勤務に従事し、その間むさし丸の艤装にも携わり、平成7年1月から機関長職をとり、同9年7月10日苅田港でやまと丸に乗り組み、運航に従事していた。
? やまと丸
(1) 建造の経緯
やまと丸は、平成3年に建造されたむさし丸の姉妹船として、同9年1月10日にD瀬戸田工場で進水、同年3月末に就航した財団法人日本海事協会(以下「NK」という。)の船級を有する、ロールオン・ロールオフ式船首船橋船尾機関室型の鋼製自動車航送船であった。
(2) 船体関係
同船は、タンクトップ甲板、主甲板及び上甲板の3層を車両積載甲板とする、登録長149.75メートル幅24.00メートル深さ17.66メートルの全通船楼甲板船で、主甲板右舷船尾に車両搬入用のショアランプが、同甲板中央部左右両舷に上甲板又はタンクトップ甲板への可動式倉内ランプがそれぞれ装備されており、長さ12メートルのトレーラー約140台を搭載することができた。
船首部上甲板下には、フォアピークタンクが、その後方の主甲板下には、バウスラスタルーム及び1番バラストタンクが設けられ、その後方のタンクトップ甲板下には、前から順に燃料タンク、2番バラストタンク、清水タンク及び3番バラストタンクが、また、清水タンクと3番バラストタンクの両側にヒーリングタンクがそれぞれ設けられていた。そして、3番バラストタンクの後方が機関室で、同室後方の上段がステアリングエンジンルーム、その下段がアフターピークタンクとなっていた。
また、フォアピークタンクの上部にはボースンストアが設けられ、その上部が船首楼甲板で、同甲板は、船底からの高さが約17.6メートル、船首端から船橋楼前面に至る長さが約18.8メートルであった。上甲板の上は、船底からの高さが約20.0メートルの船橋甲板で、乗組員居住区になっており、さらに、同甲板の上には、船底から高さ約22.6メートルのところに航海船橋甲板があり、その前端に操舵室が設けられていた。
そして、船体中央部少し後方喫水線下両舷側に、それぞれ電動油圧翼格納式フィンスタビライザが装備され、フィンは船体の傾斜角度、角速度及び角加速度を検出して自動的にその角度が調整され、航海全速力時には、ローリングに対して十分減揺効果があったが、減速航行中は、その効果があまり期待できなかった。
(3) 機関及び制御系統
主機は、平成8年6月に日立造船株式会社が製造した、連続最大回転数毎分141のMAN-B&W9L50MC型自己逆転式2サイクル9シリンダ・ディーゼル機関で、機側及び機関制御室に備えた各切替えスイッチで操縦位置を選択することにより、操舵室、機関制御室及び機側のいずれからも運転操作ができるようになっていたが、通常、出港スタンバイ時に機関制御室でトライエンジンを行ったうえ操縦位置を移したのちは、入港してフィニッシュエンジンとなるまで操舵室で主機操作が行われていた。
操舵室の主機操縦コンソールに組み込まれた遠隔操縦装置は、株式会社ナブコ製の、直流24ボルトを電源とする電気・空気式のもので、同コンソール盤面のほぼ中央に設けたエンジンテレグラフを兼ねる操縦レバーによって、主機の発停を含め前後進側いずれも任意の回転数まで増減速操作ができるようになっていた。また、操縦レバー左舷側には、主機の回転計と運転状態等を示す表示パネルとが設けられ、同パネル上に、制御電源喪失、始動失敗、非常停止、手動停止等の各警報ランプと、操縦位置表示ランプ等のほか、パネル上の中央手前側に手動危急停止用の押しボタン式スイッチがそれぞれ設けられていた。なお、いったん同スイッチを押して主機を停止させると、各シリンダの燃料噴射ポンプラックが一様に引かれて燃料遮断状態となり、同スイッチを再度押し込んで復帰させなければ、操縦位置を切り替えても、再始動可能な状態にリセットできない構造となっていた。
(4) 操舵室配置
操舵室は、T字型をしており、操舵室前部は幅25.0メートル、前後方向3.9メートルで操船及び見張りが行われ、後部は幅9.2メートル、前後方向2.6メートルの海図室で、操舵室前部と海図室とは遮光カーテンによって仕切られていた。そして、操舵室前部の両ウイングには暴露甲板がなく、両ウイングを含め操舵室全体が窓及び壁に囲まれており、両ウイング後壁の、中心線からそれぞれ約6メートルのところに、後部の航海船橋甲板暴露部に通じる外開きの扉が各1箇所設けられ、海図室の後壁には、中心線から少し左舷寄りに、居住区に至る階段の踊り場に通じる外開きの鋼製扉が設けられていた。
操舵室前部には、前面壁の中心線のところに操船用ジャイロコンパスレピータが取り付けられており、その後方約1メートルに操舵スタンドが、同スタンドから80センチメートル(以下「センチ」という。)左舷方に幅3.0メートル奥行90センチの主機操縦コンソールが設置され、操舵スタンドから1.2メートル右舷方に2号レーダーが、さらに50センチ右舷方に1号レーダーがそれぞれ設置されていた。また、中心線からそれぞれ10.5メートル離れた両舷ウイング床に高さ1.35メートルのレピータコンパススタンドが設けられていたほか、付近に床洗浄水を排出できるよう、直径約5センチの排水管につながった直径約10センチの排水口がそれぞれ1箇所設けられていた。
海図室前部中央少し右舷寄りには、幅4.0メートル奥行1.2メートルの海図机が、その左端に接して幅1.9メートル奥行90センチのトリムヒール操作盤がそれぞれ設置され、海図机右端から約1メートル右舷方にシンク付きドレッサーが右舷側壁に沿って設けられ、トリムヒール操作盤左端から約1メートル左舷方に左舷側壁に沿ってソファーが備え付けられていた。また、海図机後端から後方1.6メートルの操舵室後壁には、中心線より少し右舷寄りに航海灯表示盤、コースレコーダ及び非常警報押しボタンなどを集めた操舵室配電集合盤並びに機関室消火用炭酸ガス放出操作箱がそれぞれ設置されていた。
(5) 操舵室窓ガラス
操舵室前面窓は、中央部に幅240センチ高さ70センチの角窓(角窓の高さはすべて70センチである。)を配し、その左右に幅90センチ、240センチ、90センチ、240センチ、90センチ及び200センチの各6枚の角窓がそれぞれ順に設置されており、幅90センチの短尺窓はヒンジ内開き式で、240及び200センチの長尺窓はいずれも固定式であった。
各窓ガラスは、中央部の窓が厚さ12ミリメートル(以下「ミリ」という。)と8ミリの平面な強化ガラスの間に熱線を入れた合わせガラスで、その他の長尺窓には厚さ12ミリの、短尺窓には厚さ10ミリの平面な強化ガラスがそれぞれ使用され、いずれも耐蝕アルミニウム製窓枠にネオプレン製パッキンで挟み固定されていた。
操舵室前面外板は、半径69メートルの円弧(以下「アール」という。)をもって前方に膨らんでいたので、窓枠を外板の各開口部に内側からはめ込んで固定する際、窓枠の上下部が外板のアールに沿って密着するよう、それぞれ山型になったネオプレン製パッキンライナを貼り付けたうえ、外板開口部の周囲に操舵室内に向けて立てられた24本のスタッドボルトにはめ込み、それぞれナットで固定されていた。
また、その他の操舵室窓として、両ウイング側面には、いずれも幅80センチの角窓がそれぞれ2枚、両舷ウインク後面には、幅200センチのもの2枚、90センチのもの1枚がそれぞれ設置され、海図室両舷側壁には、幅90センチのもの各1枚、同室後壁には、右舷側に幅90センチのもの2枚がそれぞれ設置されていた。
(6) 操舵室窓ガラスの強度の決定
やまと丸の操舵室各窓の寸法及びガラスの厚さ等については、建造契約時に、DとCの両社で取り決められたとおり、姉妹船であるむさし丸と同一仕様に仕上げられた。
ところで、操舵室前面の角窓の寸法及び強度等の設計基準となるものは船舶安全法、船舶設備規程等ばかりでなくNKの規則にもない。ただし、NK鋼船規則C編19章(甲板室)には、乾舷甲板上3層目までの甲板室周壁の強度を算出するための式が定められている。その式は日本工業規格(以下「JIS」という。)の規定JISF2421-1990(船用アルミニウム合金押出形材製角窓)の附属書1(設計圧力計算方法)にある角窓の設計圧力P(キロパスカル)を求める以下の算式とほぼ同一である。
P=10a(bf-y)c
ここに
a:高さ係数
b:船の長さ方向の分布係数
f:確率係数
y:夏期満載喫水線から角窓下縁までの垂直距離(m)
c:幅係数
そして、この式には波浪の打ち込みなどの影響についても包含されている。
しかし、当該式は、上層の甲板ほど波の影響力が少ないということで、設計圧力が小さくなるようになっており、基本的には乾舷甲板上から3層目までの角窓の設計圧力を求めるものとされている。
むさし丸操舵室は、計算上乾舷甲板上から6層目の甲板に相当することとなり、あえて同式によって操舵室窓の設計圧力を求めると、その結果がマイナスの値になる。
そこでDでは、むさし丸の船橋窓ガラスの強度を決定するに当たり、6層目に相当する操舵室窓に3層目の設計圧力を適用しておけば問題ないと考え、前示式でこれを求めたところ、0.1961重量キログラム毎平方センチとなった。(以下、kgf/cm2とする。ただし、1kgf/cm2=0.0980665メガパスカルである。)
また、JISF2401-1990に参考として記載されている標準適用例中に乾舷甲板上から3層目以上の丸窓はE級を用いる旨の記載あり、E級の設計圧力が0.2kgf/cm2と定められていることから、前示計算圧力と比較して操舵室窓ガラスの設計圧力に0.2kgf/cm2を採用した。
操舵室の長尺窓ガラスにかかる設計圧力、すなわち等分布荷重を0.2kgf/cm2とすると、ガラス中央部の最大曲げ応力σc(kgf/cm2)は、σc=β×w×a2/t2の式で求められる。
ここに
β:ガラス辺比による対応係数 0.732
w:ガラスにかかる等分布荷重 0.2kgf/cm2
a:ガラス短辺の長さ 716mm
t:ガラスの厚さ 12mm
とするとσc=521kgf/cm2となる。
JISR3206-1989に規定される強化ガラスの平均破壊応力は、1,500kgf/cm2であるから、前示窓ガラスの安全率は2.9となる。
こうして、むさし丸及びやまと丸の操舵室前面長尺窓ガラスには、厚さ12ミリの強化ガラスが採用された。このガラスは、D以外の造船所が建造した多くの同型船の操舵室窓にも使用されている。
V 気象・海象
(1) やまと丸の気象情報の収集体制
やまと丸においては、気象庁からJMH(第1気象無線模写通報)スケジュールによって送られる気象・海象図をファックス受信していたほか、ナブテックス受信機によって気象情報を自動受信し、さらにを静岡営業所を通じて電話ファックスにより、財団法人日本気象協会(以下「日本気象協会」という。)の台風経路図、台風の72時間予想図及び台風情報などが送られてきていた。
JMH放送については、当直中の甲板手が、通常の天候のときは6時間ごとに地上解析図(ASAS)及び24時間ごとに地上24時間予想図(FSAS)を受信し、台風接近時などは、このほかに船長の指示により台風予報図(WTAS07)、沿岸波浪実況図(AWJP)及び沿岸波浪24時間予想図(FWJP)を受信していた。
(2) 台風第9号
平成9年は梅雨時期の6月中旬及び下旬に台風第7号及び第8号が相次いで発生して日本を直撃した。そして、これらに引き続き7月20日朝フィリピンはるか東方洋上で発生した台風第9号は、その後次第に勢力を増しながら北上し、7月23日03時には、大型で非常に強い勢力に発達して北緯18度35分東経131度55分にあり、中心気圧は935ヘクトパスカルで、北北西にゆっくりと進行した。
翌24日15時の中心位置は、北緯23度30分東経132度40分に達し、中心気圧930ヘクトパスカルで、時速20キロメートルで北上を続け、最大風速毎秒45メートルで、毎秒25メートル以上の風が予測される暴風半径が150海里、毎秒15メートル以上の風が予測される強風半径が350海里であった。
日本気象協会の24日16時発表の72時間予想図によれば、26日09時の台風第9号の予想位置は、北緯33度00分東経133度30分で、足摺岬と室戸岬を結ぶ線のほぼ中間位置を示していた。
そして、翌25日09時の中心位置は、北緯26度55分東経133度40分にあり、中心気圧が950ヘクトパスカルで、中心気圧は若干上昇したものの、暴風半径が100海里、北東側強風半径が400海里の依然大型で強い勢力を保ったまま、時速20キロメートルで北進し、同日15時の中心位置は、北緯28度20分東経134度00分に達し、中心気圧950ヘクトパスカルで、暴風半径110海里、北東側強風半径400海里の大型で強い勢力を保ち、時速25キロメートルで北に進んでいた。
25日06時に気象庁が発表した26日06時の台風第9号の予想位置は、北緯32度25分東経134度00分(潮岬の南西方120海里)を中心とする半径100海里の海域で、また、同日16時00分気象庁が発表した26日03時の予想位置は、潮岬の南西方170海里の北緯30度55分東経134度25分を中心とする半径50海里の海域であった。
また、波浪については、24日21時のJMH放送の沿岸波浪24時間予想図により、25日21時における台風中心付近の予想波高は有義波高13メートル、潮岬沖合は有義波高8ないし9メートルの東からの波浪が予想されており、さらに、25日09時の発表のものには、26日09時の潮岬沖合の予想波高は有義波高9ないし10メートルとなっていた。
こうして、26日00時の台風第9号の中心位置は、北緯30度00分東経134度55分にあり、中心気圧955ヘクトパスカル、暴風半径100海里、北東側強風半径400海里で、依然大型で強い勢力を保ったまま時速25キロメートルで北北東に進み、06時においては、潮岬南南西方125海里付近の北緯31度25分東経135度20分にあり、中心気圧955ヘクトパスカルで、時速25キロメートルで北へ進み、暴風半径120海里、最大風速毎秒40メートルであった。
同台風は、同26日17時に徳島県阿南市に上陸したが、上陸時の中心気圧は965ヘクトパスカル、最大風速は毎秒40メートルで、引き続き関東から九州にかけての太平洋沿岸の波の高さは5ないし10メートルであった。
その後同台風は、瀬戸内海を経て中国地方に再上陸し、翌27日昼過ぎ日本海に抜け、翌28日弱い熱帯低気圧に衰えた。
? 遭難に至る経緯
やまと丸は、G船長、A及びB両受審人のほか15人が乗り組み、便乗者1人を乗せ、自動車部品等を載せたトレーラー142台及び乗用車8台を積載し、船首4.20メートル船尾6.20メートルの喫水をもって、平成9年7月25日09時50分苅田港を発し、横須賀港追浜に向かった。
これより先の同月24日14時ごろG船長は、御前崎港から苅田港へ向け航行中、Cの営業部長Iに船舶電話をかけ、北上中の台風第9号を避けるため、次航苅田港から追浜に向かう際、社内で定められた基準経路である豊後水道から足摺岬沖を経て潮岬沖に向かう航路をとらず、瀬戸内海を航行して大阪湾で避泊することにしたので、追浜到着はほぼ1日遅れの27日夕刻又は夜になると告げた。
I部長は、船舶部と協議のうえ、やまと丸の追浜入港をとりあえず27日の16時と仮決定しておき、これに従って、荷主、支店及び営業所等に集荷及び荷役等のスケジュール変更をファックスで知らせたが、船舶部長Jから、台風通過が予想より遅れて同船の追浜入港が更に遅れる可能性もあり、G船長の判断を誤らせることのないよう、24時間遅れの仮決定をやまと丸には知らせないようにしたい旨の提案があり、そのことを了承した。
やまと丸は、25日03時45分に苅田港に入港し、直ちに揚荷及び積荷が実施された。
同日07時30分ごろA受審人は、やまと丸乗船前に立ち寄ったCの九州支店事務所で前任の一等航海士と出会い、G船長の指示で台風第9号に備え、ラッシングをワイヤに代えてチェーンを多く使用したり、重い積荷のあるトレーラーをできるだけ下の車両甲板に積載するなどの荒天準備を荷役業者に依頼済みであることや、瀬戸内海を航行して大阪湾で避泊する予定であることなどの引継ぎを受けた。
09時00分ごろG船長は、同事務所に赴き、支店長に台風第9号が接近しているので出港時間をできるだけ早め、瀬戸内海を通って大阪湾で避泊する予定であると告げ、同支店に居合わせたB受審人もこのとき本船の運航予定を知り、帰船してこれに対応した機関部当直を一等機関士kに指示した。
こうして、やまと丸は、11時00分出港予定のところ、前示のとおり1時間10分早く苅田港を発し、機関を約20ノットの航海全速力にかけて瀬戸内海を東行した。
G船長は、ナブテックスやファックスで受信した各種気象情報に基づいて海図に記入した台風第9号の現在位置、中心気圧及び進行方向などを検討することや、当直航海士が瀬戸内海の航行経験が十分でなかったことなどから、広い海域で短時間自室に戻る以外十分な休息がとれないまま在橋して航行を続けた。
15時00分少し前G船長は、潮岬沖を苅田港に向けて航行していたむさし丸の船長1から、波が高く、同岬を替わるのが精一杯の状況であった旨の船舶電話を受けて、「これから来島海峡に入航するところだが大阪湾で1泊する予定です。」と応答し、16時00分ごろ来島海峡を通過するとき、当直中の二等航海士mにも、海図で大阪湾の錨泊予定地点を示してそこで避泊する旨告げた。
そのころG船長は、当時入手した各種気象情報で、台風第9号が依然大型で強い勢力を保ったままゆっくりとした速力で北上を続け、紀伊半島南方は東寄りの風が連吹し風浪が高まっているうえ、台風中心部からくるうねりも大きくなっていることを知っていた。また、沿岸波浪24時間予想図においては、翌26日09時の潮岬沖合の予想波高が9ないし10メートルで、自船がこの海域を航行するときには、社内規定として定められている、風速25メートル、波高8メートル以内という安全運航基準を超える状況となっているばかりか、潮岬沖合は黒潮の影響を受けて波浪が急峻(きゅうしゅん)になりやすい海域であることも知っていた。
しかしながら、G船長は、旅客フェリーを運航していたときとは異なり、会社から運航基準の遵守については十分な指導がなく、台風の中心気圧が上昇していることもあって、気象、海象の状況を見ながら台風の前面通過を試みようと考えたものか、16時30分ごろJ部長から航行の状況を尋ねる船舶電話を受けたとき、「大阪湾で避泊せず、友ケ島水道から紀伊水道に出て様子を見る、航行が無理であれば引き返す。」と返事をした。
J部長は、G船長が6月下旬の台風第8号においても、やまと丸で積荷に損傷を発生させていたことから、気象情報の把握状況を尋ねたうえ、これからうねりが強くなるから無理をすることのないようにと指示して電話を終えた。
G船長は、来島海峡、備讃瀬戸などで引き続き在橋して操船の指揮をとり、17時00分ごろ食事のため降橋したとき、居合わせたk一等機関士に大阪湾の外に出て様子を見ると話したものの、このことを16時00分から船橋当直に当たっていたA受審人には告げず、また船内通達も行わなかった。
17時30分ごろB受審人は、食事をして機関制御室に戻ってきた同一等機関士から、船長が大阪湾で避泊しないで航行を続けて様子を見ると言っていることを聞き、荒天に備え機関室当直を2人当直とし、機関室内の移動物を固縛させるなど荒天航海に備えるよう指示した。
A受審人は、20時00分ごろ小豆島南方で当直を三等航海士nと交替し、甲板手oと車両甲板の巡検を行ったのち、在橋中のG船長に異常がない旨報告して降橋し、レクリエーションルームでo甲板手及び甲板員pと雑談などをして22時00分ごろ自室で休息した。
G船長は、21時00分ごろ当直中のn三等航海士に、大阪湾で避泊することなく続航するが、速力が12ノット以下になった場合は大阪湾に引き返すと話し、同時45分ごろ明石海峡を通過して大阪湾を友ケ島水道に向け航行中、当直中の甲板手qに、荒天に備えて各バラストタンクの張水を指示し、全量で約2,500トンのバラストを張水させ、喫水を船首5.26メートル船尾7.24メートルに整え、22時45分ごろ友ケ島灯台を通過して紀伊水道を南下した。
翌26日00時00分m二等航海士は、紀伊日ノ御埼灯台から270度(真方位、以下同じ。)4海里のところで船橋当直に就き、前直者から速力が12ノット以下になった場合は引き返す旨の引継ぎを受け、針路を145度に定め、機関回転数を毎分130(以下、回転数については毎分のものとする。)ばかりの航海全速力とし、約20.0ノットの対地速力で進行した。
m二等航海士は、在橋中のG船長から、「この分だと行けそうだが速力が10ノット以下になったら引き返す。」と告げられた。
一方、B受審人は、夕食後機関制御室に入り、荒天に備えて同室配電盤裏に毛布を敷いて仮眠をとった。
その後G船長は、01時30分ごろ市江埼南西方沖合で針路を120度に転じたところ、そのころから紀伊半島の陸岸から遠ざかり、次第に強まってきた東北東の風と高まってきた波浪によってピッチングやローリングが激しくなり、徐々に速力が落ち、02時00分ごろから雨が降り始め、さらに03時00分ごろから風力9の東風が吹くようになり、船体は片舷20度から25度ばかりローリングし、GPSの速力表示が10ノットを下回るようになったが、反転時における船体の大傾斜をおそれたものかそのまま航行を続けた。
03時00分過ぎ機関制御室で目覚めたB受審人は、主機燃料噴射ポンプのポンプラックが大きく振れているのを認め、過速度トリップの危険を感じて機関回転数を下げるよう船橋に電話で要請し、ポンプラックの振れを見て数度に分けて港内全速力の80回転より少し上回る90回転にまで減じさせたうえ、再び仮眠をとった。
03時20分ごろG船長は、針路を090度に転じ、その後潮岬南方8海里の予定通過地点に向けて075度に転じて進行中、風及び波浪が更に増勢し、04時00分m二等航海士が、当直交替時の気象観測で毎秒37メートルの東南東風が吹いていることを確認した。
04時00分から船橋当直に就いたA受審人は、o甲板手とp甲板員を交替で手動操舵に当たらせ、自らはレーダーを監視して同時05分に潮岬灯台から180度8.3海里の地点を通過したことを確認し、G船長は、引き続き在橋して操舵室前面のジャイロコンパスレピータの横に立って直接操船の指揮をとり、針路075度を中心に風及び波浪の状況を考えて5度ないし10度左右に転じながら続航した。
G船長は、一層風浪が増勢し、波高が10メートルを超える状態のなか、なんとか台風の前面から離脱したいと思い、同05時00分過ぎもう少し機関回転を上げることができないかとA受審人に指示し、同人はk一等機関士に電話して5回転ずつ回転数を上げたところ、対地速力は約8ノットまでに回復したが、ローリングが更に大きくなって30度を超える状況となるとともに、船首楼甲板に直接波が打ち込むようになった。
05時45分ごろ目覚めたB受審人は、再び105回転にまで上昇しているのを認め、同人が直接船橋に電話してレーシングが激しいので減速するよう要請し、再び90回転に下げられたのを確認したうえ、自室に戻るため機関室を出た。
やまと丸は、機関回転数が下げられたものの、05時55分ごろ右舷側に大きくローリングしながら船首がピッチングで沈下したとき、急峻な波に船首部を突っ込み、操舵室前面が飛来した海水塊の直撃を受けたがそのまま航行を続けた。
06時00分ごろ2度目の海水塊が操舵室前面を直撃し、次いで同時12分少し過ぎ3度目の少し小さめの海水が操舵室中央部から右舷側にかけて直撃したとき、中央部の合わせガラスにひびが入り、同ガラスから右舷側2枚目の長尺ガラスが破れ、5ないし7トンの海水が操舵室内に浸入して操舵室天井板を破壊し、海図机右側に立っていたo甲板手をトリムヒール操作盤後ろまで押し流すとともに、操舵スタンド、海図机及びレーダーなどに降りかかった。
G船長は、総員起こしを令するとともに甲板長を呼べと指示し、2号レーダーを監視していたA受審人が船長の指示を復唱し、o甲板手海図室後部で立ち上がったところで船長の指示を聞き、これを伝えるため操舵室後部の扉を開けて居住区に降りていった。
そのころやまと丸は、操舵装置の電路が短絡して操舵不能となり、左に大きく回頭を始め、海図机から海水に押し流された書類やメモ、航海日誌等が、間もなく両ウイング床の排水口を詰まらせたことから、船体動揺に伴って排出されない海水が操舵室内を激しく流動し始めた。
G船長は、主機操縦コンソールの後ろから主機操縦レバーを引こうとしたところ、激しく流動する海水によって2号レーダーのところで立っていたA受審人とともに右舷ウイング端まで一挙に押し流され、また、p甲板員も押し流されそうになって操舵スタンドと主機操縦コンソールとの間に避難するうち、06時14分樫野埼灯台から143度11海里の地点において、やまと丸は、主機操縦コンソールの押しボタン式スイッチのところで手動危急停止装置の電路が短絡し、機関が停止して操船不能の状態に陥った。
当時、天候は雨で風力11の東北東風が吹き、有義波高10メートルの波があり、日出は05時05分であった。
? 遭難後の措置
06時13分過ぎ、操舵室から居住区に降りる階段前のレクリエーションルームで、寝付けずにテレビを見ていたq甲板手と、機関室から上がってきたB受審人とが、台風について話していたところ、額から血を流しながら同階段を降りてきたo甲板手が、「窓ガラスが破れた、総員起こし。」と叫ぶのを聞き、続いて同階段から水が落ちてくるのを認めた。
B受審人は、防水部署のため毛布が必要であることを思い出して、自室から通路に出てきた乗組員達に毛布を持って操舵室に行くように告げたのち、急ぎ機関制御室に戻った。
q甲板手は、総員起こしを告げながら自室に戻り、ガラスが割れたと聞いたので安全靴にはき換えて昇橋し、操舵室前部の割れたガラス窓のところに向かい、相前後して昇橋してきた二等機関士r、司厨長s、m二等航海土、司厨手t、操機手u及び甲板手vなどと破れた窓を毛布で塞(ふさ)ごうとした。そして、q甲板手は、G船長がレーダーと海図机の間にうずくまっているのに気付き、「毛布では駄目だからベニヤ板をとりに行きます。」と声をかけ、流動する海水の間を避けて居住区に戻った。
そのころ船体は、行き脚が止まったことから波浪を右舷正横方向から受け、ローリングが片舷40度を超す状態となり、操舵室前部では海水がウイング端から他のウイング端に激流のように流れ、そこにいた乗組員を次々と押し流し、両舷側壁やレピータコンパススタンド及びレーダーなどに激突させた。
海水は、主機操縦コンソール、操舵スタンドのほか、トリムヒール操作盤及び操舵室配電集合盤等の内部に浸入し、また、各装置に衝突してしぶきとなって各所に設けたコンセントや分電盤に降りかかった。そのため、同室内の110ボルト及び24ボルトの電路のほとんどが、短絡あるいは絶縁低下の状態となった。
こうして、操舵室内は、乗組員が金属性の手摺(す)り等に触れるとビリビリと感電する状態となり、VHFや船内電話が不通となったほか、機関室消火用炭酸ガス放出操作箱内に設けられた、通風機や燃料油ポンプ類の一斉停止用電路が、同箱内に浸入した海水によって瞬間的に短絡したため、機関室の通風機や主機燃料油昇圧ポンプ等の電源が落ちた。
A受審人は、2度ばかり左右舷に押し流されたところで、海図机左側からソファーにたどりつき、海水を飲んで激しくせき込んでいたが、昇橋してきた者が救命衣を着色しているので自室に戻り、救命衣を着用して再び昇橋した。
そのころ甲板手w、q甲板手及び転倒を免れたu操機手などが海図室左舷側で、感電するトリムヒール操作盤の手摺りや遮光用カーテンを片手でつかみ、操舵室前部を流されているG船長やm二等航海士に声をかけながら順次海図室に引き込んで階段踊り場まで運び、また同室右舷側にも甲板長xなどがs司厨長、v甲板手らを救出し、操舵スタンドと主機操縦コンソールの間で救助を手伝っていたp甲板員は海図机を乗り越えて海図室後部に避難した。
救助作業を手伝っていたn三等航海士は、A受審人から船舶電話で海上保安部に救助を求めるよう指示され、海図室後部にある船舶電話で横須賀海上保安部に電話をしたがつながらず、居住区にある船舶電話を試みたところ使用可能であったので自宅に電話し、海上保安部に連絡するよう依頼した。
また、海水が操舵室前部を激しく流動し、GPS測定器、操舵スタンドなどから白煙が上がり、各警報ブザーや汽笛などが鳴り響き、室内各所で感電のおそれのある状況のもと、機関室当直者を除き全員が救助活動をして負傷者を居住区に収容したが、全く体を動かさない状態で操舵室前面を流されているr二等機関士だけには手が届かず、船体転覆の危険を感じて総員退船の声もあり、救出をあきらめて居住区に退避した。
一方、機関室では、操機長yとともに当直に就いていたk一等機関士が、機関制御室で機器の運転監視に当たっていたところ、いきなり主機が停止し、同室の警報指示盤で、主機手動停止や110ボルト及び24ボルト系統絶縁低下などの警報ランプが一斉に点灯し、警報ブザーが鳴ったので、驚いて船内電話で操舵室と連絡を取ろうとしたが通じず、主機の操縦位置を機関制御室、続いて機側に切り替え、それぞれ再始動を試みたが、手動危急停止回路が短絡してリセットできない状態であったため果たせなかった。
k一等機関士が機側で主機の再始動を試みているとき、機関室に戻ってきたB受審人は、同機関士から状況の説明を受け、機関室の端子盤で主機非常停止制御用電路を取り外し、始動可能な状態にリセットしたが、始動せず、途中で燃料油昇圧ポンプの電源ブレーカーが落ちていることに気付いて投入し、06時40分主機の再始働に成功した。また、この間に、同受審人は、操舵室から機関室に降りてきた三等機関士zに各機器の点検を命じ、通風機や各燃料油ポンプなどで電源が落ちているものがあれば投入させ、非常な混乱のなか、機関室内各機器をほぼ正常な運転状態に復帰させた。
なお、当時発電機は、補機駆動のもの2台が並列運転されており、補機の燃料油ポンプも炭酸ガス放出の際の一斉停止機器に含まれていたが、同ポンプ停止後電源が投入されるまでの間、燃料油管の残油で運転が続けられたものか、停止することなく、電源喪失の事態を免れた。
06時45分ごろB受審人は、機関の使用が可能なことを知らせるため船橋に向かった。
06時50分ごろ総員退船も考えていたA受審人は、居住区の船舶電話を使用して、J部長の自宅に連絡し、自船の現状を報告して海上保安部への救助要請を依頼していたところ、機関室から上がってきたB受審人から、「機関が使用できるようになったので応急操舵でいける。」と告げられた。
J部長は、A受審人からの電話が切れたので、電話で田辺海上保安部に救助を求めた。
間もなくA受審人は、操舵室中央部直下にある客室の窓から風及び波浪の状況を確かめながら操舵の指揮をとり、n三等航海士をステアリングエンジンルームに、トランシーバーを持った甲板部員を各所にそれぞれ配置し、直接ステアリングエンジンを動かす応急操舵で舵をとり、機関を微速力前進の50回転とし、船体の動揺を少なくするため風浪を右舷前方から受け、船位、針路及び速力が分からないまま進行した。A受審人は、操船の指揮をとりながら操舵室から持ち出したGMDSSの双方向無線通信用トランシーバーを聴取していたところ、07時30分ごろ田辺海上保安部から連絡があり、負傷者の状態その他を知らせた。
A受審人は、その後船体動揺を更に緩和するよう、波浪を右舷後方から受ける状態として航行中、22時ごろ巡視船せっつが救助のため接近してきて、その後同船の誘導で伊勢湾に向け航行を続けた。
翌27日05時20分ごろ海上保安庁のヘリコプターが接近し、レスキュー隊員4人を降ろしたうえ、重傷のm二等航海土、v甲板手及びt司厨手の3人を和歌山県白浜町の白浜はまゆう病院に運び、08時10分ごろ意識不明の状態のG船長及びs司厨長も同病院に運んだ。
14時07分ごろやまと丸は、巡視船に誘導されて伊良湖水道を通過し、16時05分三重県津港沖合2.5海里ばかりの地点に投錨し、16時30分漏電のために立入りができなかった操舵室から、r二等機関士の遺体が収容され、ヘリコプターによって同じく白浜はまゆう病院に運ばれた。
その結果、操舵室前面窓ガラスのうち中央部の熱線入り合わせガラス1枚に亀(き)裂を生じ、その右側の長尺ガラス1枚が破損、操舵室制御機器及び配電集合盤など各電気系統に海水が浸入して濡れ損を生じたが、のち修理された。
さらにトレーラーをラッシングしていたチェーンやワイヤが切断したり、デッキリングが破損するなどしてトレーラーはほとんどが転倒又は移動した。
また、G船長(昭和20年1月2日生)、r二等機関士(昭和41年5月4日生)及びs司厨長(昭和17年4月7日生)の3人が頭蓋骨骨折等で死亡し、m二等航海士、v甲板手、t司厨手及びx甲板長の4人が頭部裂傷、大腿骨開放骨折及び全身打僕等の重傷を負った。
? Cの対応
Cは、本件発生の報を受けて全社を挙げて事態の対応に当たり、その後社内の安全基準である運航管理規程に基づき、取締役社長を委員長とする事故調査委員会を設置し、次のような措置をとった。
(1) 自社で定めている運航管理規程のうち、運航基準等の見直し
(2) 海上及び陸上従業員に対する安全教育の徹底
ア 危急主機停止復旧マニュアル及び電気系統危急チェックマニュアルの作成並びにこれらに基づく操練の実施
イ 航行中及び停泊中における安全対策についての指導
ウ 運航管理規程等の遵守の徹底
(3) 取締役社長を委員長とする安全運航対策委員会の新たな設置、同委員会による運航、配船、配乗及び安全教育等の実施状況を年に1度総点検、必要であればその改善
(4) 「荒天警戒要領」の作成及び海陸全従業員への周知
(5) 操舵室前面窓について窓幅の縮少及びガラス厚の増大等強化策の検討

(主張に対する判断)
C側補佐人は、以下の点について主張するので検討する。
1 「建造時におけるDの船橋前面窓ガラスの取付け工作不良により生じていた歪みが、同ガラスが割れた原因の一つである。」旨の主張について
本件発生後、K株式会社愛知工場においてやまと丸の破損した窓を調査した結果、69メートルのアールのある操舵室前面外板の窓開口部縁に歪みが生じており、設計寸法のパッキンを貼り付けた窓枠をそのまま取り付けると、幅2.40メートルの窓ガラス中央部付近に約6ミリの歪みが生じることが分かった。
しかし、窓枠を製造したL株式会社が、本件発生後津港沖合で撮影した操舵室前面窓などの写真によると、破損した窓ガラス付近の外板が、ほぼアールのない状態にまで変形していること、及び同アルミニウム製窓枠も屈曲していることから、外板の変形が3度にわたる波浪の直撃によって生じた可能性が高く、建造以来のものとは考え難い。また、M株式会社作成の、やまと丸舵取り室窓ガラスの強度計算報告書(その1及びその2)写には、「強制変位下のガラスに等分布荷重が加わったときに、面中央応力は等分布荷重によって増加するが、その値は強制変位のない4辺単純支持平板の面中央応力と同程度であり、強制変位の影響が大きく表れるということはない。」旨記載されている。このことは、やまと丸の前面窓ガラスに6ミリ程度の歪み、すなわち、強制変位が存在していても、ガラス面に圧力が加わったときにその影響が特段大きく作用することはないものと解される。
以上のことから、C側補佐人の主張を認めることはできない。
2 「遭難当時の気象・海象は、有義波高が7.32メートル、風力9で波向、風向とも東北東であり、本件当時には局地的な高波高、短波長の異常波が発生したもので、航海者にとって予見し得るものではなかった。」旨の主張について
同主張における気象・海象は、N株式会社が、日本気象協会から資料の提供を受けて求めたものである。
日本気象協会は、気象庁から配信された資料に基づき、日本沿岸海域の2分格子点(緯度、経度とも2分間隔)における6時間ごとの各波高、周期、波向、風向及び風速を独自に算出しており、7月26日03時、09時、15時及び21時の紀伊半島沖合8地点の各気象・海象資料をN株式会社に提供した。同社は、その1地点である北緯33度20分東経136度00分における26日03時と09時の資料を基に、本件発生当時の気象・海象を算出するという方法をとっている。
しかしながら、日本気象協会の資料そのものには、特定海域の海潮流の影響や短時間内における気象の変化などは考慮されておらず、やまと丸において観測された、26日03時ごろからの気象・海象の実態とは異なるものである。
また、やまと丸において、大阪湾を出る25日22時45分ごろまでに入手できた、沿岸波浪予想図などの各気象情報によって、潮岬沖合では、有義波高9ないし10メートルの急峻な波浪が発生することを十分に予測し得たものと考えられる。
以上のことから、C側補佐人の主張を認めることはできない。

(原因に対する考察)
本件は、船首船橋型の大型自動車航送船が、接近する大型で強い勢力の台風前面を航行中、高起した波浪を受けて操舵室前面窓ガラスが破損し、海水が操舵室内に浸入して同室内の各電路を短絡させ、主機及び操舵装置等の機能が停止して操船不能に陥ったものである。
やまと丸においては、台風第9号が発生したのち同台風について十分な情報を得ることができ、また、1箇月前の台風第7号及び同第8号によって生じたやまと丸や僚船むさし丸の積荷損傷事故の教訓から、C本社や荷主側も荒天航行について慎重になっており、大阪湾で避泊することに関し、だれからも苦情が出る状況でなかった。
やまと丸の積荷は、自動車部品を積んだトレーラーが主で、個々のトレーラーの重心位置が高く、船体の動揺でラッシングが切断するなどして転倒したり移動したりするおそれがあった。このため、やまと丸だけでなくトレーラーなどを積む自動車航送船や旅客フェリーにおいては、船体の動揺を軽減する目的でフィンスタビライザを装備しているものが多いが、減速するとその減揺効果が著しく損なわれることが知られていた。
一方、台風が四国南方洋上からゆっくりとした速力で北上する場合、潮岬沖合においては、長時間東寄りの強い風が吹くこと、台風による南からのうねりが到達すること、さらに東に流れる黒潮の影響があることなどがあいまって、複雑で急峻な波が発達しやすいことは、この海域を航行する自動車航送船や旅客フェリーの船長はよく知るところであった。
本件において、台風第9号が四国南方洋上を北上し、紀伊半島南岸沖合では波高9ないし10メートルが予想されるとき、同台風の前面を横切り、その右半円を東行することは、喫水が浅く受風面積の大きいやまと丸にとっては、潮岬沖で前方からの風及び波浪でピッチングとローリングが大きくなって速力が減じ、フィンスタビライザの減揺効果が減少し、さらにローリングが増大するという事態に陥るおそれがあることは、十分に予測可能であった。
Cは、旅客定期航路事業を中止した後も安全運航の目的で運航管理規程等を一部見直しのうえ存続させていたが、ラッシングの強化、遅着の防止など積荷に対する対策は重視されてきたものの、運航管理規程等の遵守などの安全航行についての指導及び教育が十分でなく、乗組員の間でいつしか運航管理規程等の存在は形骸化していた。

したがって、やまと丸が大阪湾で避泊の措置をとらず、大型で強い勢力の台風の前面を横切ろうとしたことが本件発生の原因となる。
また、本件において乗組員に多数の死傷者が生じたのは、波浪の直撃を受けて船橋窓ガラスが破れたとき、大量の海水が操舵室に浸入するという想定されない事態のもと、やまと丸が操船不能に陥り、漂泊しながら波浪を横から受けるようになり、大傾斜を伴うローリングを繰り返したとき、浸入した海水が排出されないまま在橋者を押し流し、操舵室内各所に激突させたことによるものである。
なお、付言すれば、やまと丸のような大型船の操舵室前面窓は、海面上からの高さが十分にあると考えられることから、荒天下において波浪が直撃するということは想定されておらず、その強度については、建造時の船主と造船所の判断に任されている。
本件のごとく、ひとたび操舵室内に大量の海水が浸入すれば、室内の電気・自動化設備の故障を招き、操船の機能が失われ、人命、船体及び積荷に甚大な被害をもたらすこととなる。
操舵室前面窓は、強化ガラスが使用されているとはいえ、直撃した波浪の衝撃荷重が大きければ破壊が発生する。
よって、近年、操舵室前面窓を大きくする傾向にあるが、特に船首船橋型船の同種事故再発防止のため、造船所においては、窓ガラスの強度を含めた船橋構造の検討が望まれ、運航者においては、事前の荒天回避の確実な措置がとれる体制が必要である。

(原因)
本件遭難は、大型で強い勢力の台風が四国南方洋上を北上し紀伊半島に接近する状況下、苅田港から横須賀港に向け瀬戸内海を航行中、大阪湾で避泊の措置がとられず、同半島沖合で風が増勢した際、高起した波浪の直撃を受けて操舵室前面窓ガラスが破損し、浸入した海水が主機及び操舵装置の制御系統電路を短絡させ、操船不能に陥ったことによって発生したものである。
船舶所有者が、自社で定めた安全運航基準の遵守について、乗組員に対する指導及び教育が十分でなかったことは、本件発生の原因となる。
なお、乗組員に多数の死傷者が生じたのは、船体が横波を受けるようになって大傾斜を伴うローリングを繰り返したとき、操舵室内に浸入した大量の海水が排出されないまま在橋者を押し流し、同室内各所に激突させたことによるものである。

(受審人等の所為)
Cが、自社で定めた安全運航基準の遵守について、乗組員に対する指導及び教育が十分でなかったことは、本件発生の原因となる。Cに対しては、本件発生後、取締役社長を委員長とする事故対策委員会を設置するとともに、操舵室の改善、海陸従業員に対する安全教育の徹底など、安全対策を講じている点に徴し、勧告しない。
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
B受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
Dの所為は、本件発生の原因とならない。

よって主文のとおり裁決する。

参考図(2)

操舵室配置図(1)






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