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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成8年11月19日04時56分 長崎県池島 2 船舶の要目 船種船名
引船十八住福丸 総トン数 99トン 全長 29.02メートル 機関の種類
ディーゼル機関 出力 661キロワット 3 事実の経過 十八住福丸(以下「住福丸」という。)は、九州及び瀬戸内海各地において、不特定のバージなどの曳(えい)航に従事する鋼製引船で、A受審人及びB指定海難関係人ほか甲板員2人が乗り組み、京都府舞鶴港から広島港までのバージの曳航を終え、独航のまま、船首1.60メートル船尾3.40メートルの喫水をもって、平成8年11月18日07時00分広島港を発し、長崎港に向かった。 A受審人は、自らとB指定海難関係人とで6時間交替の2直制の船橋当直を組み、自らの当直時には経験の浅い甲板員を付け、B指定海難関係人の当直時には経験の豊富な甲板員を配しており、各人に対し、船橋当直中に疲労や眠気を感じた際には、報告するなり2人が交互に休息しながら単独の船橋当直を行うなりすることを容認するかたわら、休息する場合には船橋を離れずに船橋内後部のベッドで休息をとるよう指導し、また、使用海図上に針路線を引いて航行海域に関わる注意事項を書き入れ、浅所などの危険域を赤く塗って同所に接近しないよう注意を与えていた。 翌19日00時00分A受審人は、伊万里湾沖合を航行中、肥前向島灯台から302度(真方位、以下同じ。)1.8海里ばかりの地点に達したとき、B指定海難関係人及び同人と相当直の甲板員に対し、平戸瀬戸経由で注意して航行するよう指示し、船橋当直を引継ぎ降橋して就寝中、まもなく平戸瀬戸に入航する旨の報告を受けて起床し、甲板上に出て周囲を見渡したものの、他船を認めなかったので船橋当直者に操船を委ね、引き続き甲板上で周囲の監視に当たり、同瀬戸を航過したのち、自室に戻って再び就寝した。 ところで、船橋当直に就いたB指定海難関係人は、最初の3時間の操船を同人と相当直の甲板員に行わせ、この間機関の点検見回りを行ったり、船橋後部に腰掛けたりして休息をとったりしたのち、03時00分御床島灯台から012度8.6海里の地点に達したとき、同甲板員を休ませ、舵輪の後ろに置いたいすに腰掛けて見張りに当たり、右舷ほぼ正横から風浪を受けて船体が横揺れする状態で、機関を全速力前進にかけ、9.7ノットの対地速力で自動操舵により南行した。 03時59分B指定海難関係人は、御床島灯台から270度2.1海里の地点に達したとき、60度ばかり左転して針路を148度に定め、04時19分同灯台から188度2.8海里の地点で、針路を138度に転じて進行していたところ、定針後風浪を船尾方から受けるようになって船体動揺が治まり、周囲に他船を見かけなかったことなどから緊張が薄れて眠気を催すようになったが、まさか眠ることはあるまいと思い、立って見張りに当たったり、船橋後部で仮眠中の甲板員を起こして2人で見張りに当たったりするなどの居眠り運航の防止措置をとることなく、いすに腰掛けたまま続航し、いつしか居眠りに陥った。 こうして住福丸は、04時30分半御床島灯台から166度4.7海里の松島と池島間の水道に向けて転針する予定の地点に達したものの、転針措置がとられないまま進行中、04時56分原針路、原速力で、御床島灯台から154度8.0海里の池島北東端付近の底質砂の浅所に乗り揚げた。 当時、天候は曇で風力5の北西風が吹き、潮候は下げ潮の中央期であった。 A受審人は、朝食をとってから昇橋するつもりで起床して着替え中、乗揚の衝撃を感じて急ぎ昇橋し、事後の措置に当たった。 乗揚の結果、船底外板に軽度の凹損を生じたが、タグボートの来援を得て離洲して自力で長崎港に入航し、のちに修理された。
(原因) 本件乗揚は、夜間、長崎県西彼杵郡大瀬戸町沖合を南行中、居眠り運航の防止措置が不十分で、予定の地点で転針措置がとられず、池島北東岸に向首したまま進行したことによって発生したものである。
(受審人等の所為) B指定海難関係人が、夜間、相当直の甲板員を休ませ、長崎県西彼杵郡大瀬戸町沖合を1人で操船に当たって南行中、緊張が薄れて眠気を催すようになった際、立って見張りに当たったり同甲板員を起こして2人で見張りに当たるなどの居眠り運航の防止措置をとらなかったことは本件発生の原因となる。 B指定海難関係人に対しては、勧告するまでもない。 A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。 |