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1998年(平成10年)

平成9年長審第54号
    件名
旅客船白川丸乗揚事件

    事件区分
乗揚事件
    言渡年月日
平成10年3月19日

    審判庁区分
地方海難審判庁
長崎地方海難審判庁

保田稔、関?彰、安藤周二
    理事官
平良玄栄

    受審人
A 職名:白川丸船長 海技免状:三級海技士(航海)
B 職名:白川丸甲板長 海技免状:三級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
船底全般に一部亀裂を伴う凹損及び舵軸などに曲損

    原因
船位確認不十分

    主文
本件乗揚は、船位の確認が十分でなかったことによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成8年7月18日11時35分
熊本県三角港
2 船舶の要目
船種船名 旅客船白川丸
総トン数 774.54トン
全長 49.85メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 1,250キロワット
3 事実の経過
白川丸は、長崎県島原港と熊本港間の定期航路に就航する鋼製旅客船兼自動車渡船で、A、B両受審人及びC指定海難関係人ほか10人が乗り組み、旅客327人、車両9台を載せ、船首1.86メートル船尾3.12メートルの喫水で、定刻の平成8年7月18日09時45分島原港を発したが、同日06時発表の天気予報で、中型の強い台風6号が鹿児島県屋久島付近にあって毎時20キロメートルの速さで北北西に進み、長崎県地方が早ければ昼前ごろ風速25メートルの暴風域に入るおそれがあり、海上は大荒れとなって厳重な警戒が必要との情報を得て、行き先が熊本港から三角港に変更され、同港に至った後の便を欠航として同港内に避泊することが決定された。
三角港は、島など陸岸により周囲を囲まれ、狭い瀬戸により有明海及び八代海とに接続された東西、南北の幅がそれぞれ1.2海里ばかりの水域を擁し、その北側に中央付近が少し海側に「く」の字形に出た東西長さ約700メートルの同港東港岸壁が、その東端にフェリーターミナルがそれぞれ存在した。
ところで、東港岸壁前面約500メートル隔てたところには、東西幅約500メートル南北幅約200メートルにわたり、満潮時には東端付近の一部を除き水没してその大部分が視認できない白瀬が存在した。同瀬の西端から約130メートル隔てたところには、三角港白瀬西灯浮標(以下「西灯浮標」という。)が設置され、白瀬西端と西灯浮標との間に暗岩が存在し、小型の舟艇類を除きその間を通航することができなかった。また、白瀬西端付近の潮流は、ほぼ南北に流れ、同瀬によりその流れが強められることがあった。
A受審人は、同日10時55分三角港フェリーターミナルに到着して旅客等を降ろし、11時00分同ターミナルを離れ、船首には、一等航海士ほか4人の甲板員を投錨配置に、船橋には、B受審人を見張りの補助とレーダー監視に、C指定海難関係人を手動操舵に及び機関員を機関の遠隔操縦にそれぞれ就かせ、自ら操船指揮に当たり、既に多数の各種船舶が避泊している白瀬北側の水域に向け、機関を種々使用して3.5ノットの速力で西行し、同時06分半入航時に錨地として考えていた寺島灯台から320度(真方位、以下同じ。)1,200メートルの、東港岸壁中央前面辺りの地点に達したものの、あとから僚船が避泊のために来航するとの連絡を受け、自らが三角港の事情に精通していたこともあり、投錨が容易な同地点を空けておこうと思いたち、そのまま西行して東港岸壁西端前面辺りで右回頭したのち、別の適当な避泊錨地を探しながら多数の避泊船の間を縫航した。
こうして、A受審人は、11時32分少し前寺島灯台から311度1,000メートルの地点に達したとき、同灯台から298度1,550メートルばかりの地点で北に向首して錨泊していた砂利運搬船が抜錨する気配であるのを認め、同船の抜錨後の地点に投錨することとし、針路を240度に定め、前路500メートルばかりのところに他の2隻の小型船舶がそれぞれ北に向首してほぼ南北に約100メートル隔てて避泊していたので、その間を通航したのち砂利運搬船の船尾側に回り込もうと、2隻の小型船の間に向けて操舵するようC指定海難関係人に指示して進行した。
A受審人は、11時33分少し過ぎ寺島灯台から300度1,050メートルの地点に至ったとき、折から北寄りの風が吹き、南向きの潮流が白瀬に阻まれその西端に沿って強くなる付近を航行していたため、やや南寄りに圧流され、白瀬の西部が水没して目視では同瀬との相対位置の把握が困難で、かつ、その後更に南方に圧流される状況であったが、定めた針路線上を航行しているものと思い、避険線を設定のうえ偏位を確かめるなどして船位の確認を行うことなく、右舷船首斜め前方に見る、砂利運搬船が抜錨している様子に気を奪われたまま続航した。
B受審人は、A受審人の補佐に当たり、レーダーで多数の避泊船との相対位置の測定などを行い、11時33分少し過ぎ、やや南に圧流され、白瀬の西部が水没して目視では同瀬との相対位置の把握が困難で、かつ、その後更に南方に圧流される状況であったが、A受審人が指揮を執っているので大丈夫と思い、レーダーを活用して白瀬との相対位置を確かめるなどして船位の確認を行うことなく、砂利運搬船のあとに投錨すると同人が意思表示したので、同船の動静やレーダーで同船との距離を測定することなどに気を奪われていた。
C指定海難関係人は、手動操舵に当たっていたところA受審人から前示の指示を受け、しばらく針路240度で前示2隻の小型船の間に向首していたものの、その後圧流されて同針路のままでは2隻の小型船の間を通航することができない状況となったが、舵中央のままで船首が回頭している様子がないので大丈夫と思い、前路を見てその間に向首するよう指示どおりに操舵することなく、A受審人及びB受審人が砂利運搬船の動静を気にしていたので、舵輪を握って舵中央のまま右舷船首斜め前方の同船に自らも気を奪われていた。
白川丸は、南方に圧流されたまま進行し、11時35分寺島灯台から290度1,070メートルの、白瀬と西灯浮標の中間に存在する暗岩に原針路、原速力で乗り揚げた。
当時、天候は曇で風力3の北東風が吹き、潮候は下げ潮の初期で白瀬西端付近には南潮流があった。
乗揚の結果、船底全般に一部亀(き)裂を伴う凹損及び舵軸などに曲損をそれぞれ生じた。

(原因)
本件乗揚は、台風接近により多数の避泊船が存在した三角港内の白瀬北側の狭い水域において、避泊錨地を探しながら進行中、船位の確認が不十分で、風潮流により白瀬西側の暗岩に圧流されたことによって発生したものである。
運航が適切でなかったのは、船長及び船長補佐の甲板長がいずれも船位の確認を十分に行わなかったことと、甲板員が船長の指示どおりに操舵しなかったこととによる。

(受審人等の所為)
A受審人は、台風接近により多数の避泊船が存在した三角港内の狭い水域において、自ら船橋指揮に当たり、避泊錨地を探しながら高潮時で目視できない白瀬西端付近を進行する場合、風潮流により圧流されるおそれがあったから、避険線を設定するなどして船位の確認を十分に行うべき注意義務があった。しかし、同人は、定めた針路線上を航行しているものと思い、抜錨中の砂利運搬船に気を奪われたまま船位の確認を十分に行わなかった職務上の過失により、風潮流に圧流されて乗揚を招き、船底等に損傷を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、台風接近により多数の避泊船が存在した三角港内の狭い水域において、A受審人を補佐するレーダー監視などの任に当たり、高潮時で目視できない白瀬西端付近を進行する場合、船位が偏したら進言できるよう、レーダーを活用するなどして船位に確認を十分に行うべき注意義務があった。しかし、同人は、A受審人が指揮を執っているので大丈夫と思い、抜錨中の砂利運搬船の動静や同船との距離を測定することなどに気を奪われたまま船位の確認を十分に行わなかった職務上の過失により、風潮流に圧流されて乗揚を招き、船底等に損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
C指定海難関係人が、三角港内の狭い水域において、手動操舵に当たり、A受審人から船首目標を指示された際、抜錨中の砂利運搬船に気を奪われたまま指示どおりに操舵しなかったことは、本件発生の原因となる。
しかしながら、C指定海難関係人に対しては、A、B両受審人が在橋中であったことに徴し、勧告するまでもない。

よって主文のとおり裁決する。






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