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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成6年11月5日17時25分 和歌山県加太瀬戸 2 船舶の要目 船種船名
貨物船ニュー葛城 総トン数 498トン 全長 59.90メートル 機関の種類
ディーゼル機関 出力 735キロワット 3 事実の経過 ニュー葛城(以下「葛城」という。)は、主として千葉港、大阪港及び大韓民国の間の液体化学薬品輸送に従事する船尾船橋型液体化学薬品ばら積船で、船長B及びA受審人ほか4人が乗り組み、イソブタノール約400トンを載せ、船首2.60メートル船尾3.80メートルの喫水をもって、平成6年11月5日15時30分大阪港堺泉北区を発し、千葉港に向かった。 ところで、B船長は、船橋当直を単独の4時間交替3直制とし、自らは08時から12時及び20時から24時の当直に就き、00時から04時及び12時から16時を一等航海士に、04時から08時及び16時から20時までをA受審人にそれぞれ当たらせていた。 B船長は、発航操船ののち、浜寺航路西端付近で船橋当直のため昇橋したA受審人に対し友ケ島水道由良瀬戸を経由して南下し、同瀬戸手前で報告するよう指示したのち降橋して自室に退いて休息した。 しかしながら、当直に就いたA受審人は、A有限会社社長の親族で、以前、葛城の船長職を執っていて、加太瀬戸の通航経験が豊富であったことから、B船長の前示指示を気にかけず、一存で同瀬戸を経由して南下することとし、15時41分ごろ堺浜寺北防波堤灯台から267度(真方位、以下同じ。)3.8海里ばかりの地点で針路を223度に定め、機関を12ノットの全速力前進にかけ、自動操舵により進行した。 ところで、加太瀬戸は、和歌山県地ノ島と和歌山市加太との間にある、大阪湾と外海を結ぶ南北方向に開いた水深20メートル以上で可航幅は約500メートルの水道であり、同瀬戸最狭部の地ノ島東端付近には暗岩が点在し、一般に小型の内航船などが本瀬戸を利用していた。 A受審人は、17時地ノ島灯台から036度4.7海里の地点に達したとき、前示暗岩の存在を熟知していたにもかかわらず、無難に通峡できると思い、加太瀬戸に入る手前から水路に沿う針路に転じて同暗岩から離れる針路を選定することなく、同瀬戸を北東方から南西方に斜航して地ノ島東端付近の暗岩に著しく接近する進路となる214度に針路を転じ、その後同瀬戸へ1.5海里ばかりに接近したとき、手動操舵に切り替えて続航した。 17時25分少し前A受審人は、地ノ島東端付近で北上する第三船と船間間隔約30メートルで左舷を対して航過するつもりでいたところ、船首少し左方に自船と第三船との間を北上してくる小型漁船に気付き、驚いて同漁船との船間間隔を広げようとして右舵一杯をとったところ、葛城は、17時25分地ノ島灯台から130度200メートルの地点において、船首が227度を向き、原速力のまま、地ノ島東端付近の暗岩に乗り揚げた。 当時、天候は曇で風力2の南東風が吹き、潮候は上げ潮の末期であった。 B船長は、自室で休息中、衝撃を受けて昇橋し、航行に支障がないことを確かめたうえ、自力離礁して目的地に向かった。 乗揚の結果、船首船底部に亀裂(きれつ)を伴う凹損を生じたが、のち修理された。
(原因) 本件乗揚は、和歌山県加太瀬戸を南下するにあたり、針路の選定が不適切で、地ノ島東端付近の暗岩に著しく接近して進行したことによって発生したものである。
(受審人の所為) A受審人は、和歌山県加太瀬戸を南下するため針路を定める場合、同瀬戸地ノ島東端付近に暗岩があったから、同瀬戸に入る手前から水路に沿う針路に転じて同暗岩に著しく接近しないよう、同暗岩から離れる針路を選定すべき注意義務があった。ところが、同人は、無難に通峡ると思い、地ノ島東端付近の暗岩から離れる針路を選定しなかった職務上の過失により、同瀬戸を北東方から南西方に斜航して同暗岩に著しく接近する針路で進行して乗揚を招き、船首船底部に亀裂などの損傷を生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。 |