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1998年(平成10年)

平成9年神審第73号
    件名
貨物船第拾壱三石丸乗揚事件

    事件区分
乗揚事件
    言渡年月日
平成10年3月4日

    審判庁区分
地方海難審判庁
神戸地方海難審判庁

工藤民雄、佐和明、長谷川峯清
    理事官
北野洋三

    受審人
A 職名:第拾壱三石丸一等航海士 海技免状:五級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
船底外板全般に亀裂を伴う凹損を生じて二重底に浸水

    原因
居眠り運航防止措置不十分

    主文
本件乗揚は、居眠り運航の防止措置が不十分であったことによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年5月6日06時40分
備讃瀬戸 波節岩(はぶしいわ)
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第拾壱三石丸
総トン数 493トン
全長 66.75メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 735キロワット
3 事実の経過
第拾壱三石丸(以下「三石丸」という。)は、兵庫県家島港を基地として愛媛県壬生川港、岡山県室木島沖などから大阪港へ砂の輸送に従事する船尾船橋型の石材及び砂利採取運搬船で、船長B、A受審人ほか2人が乗り組み、空倉のまま、船首0.8メートル船尾3.1メートルの喫水をもって、平成9年5月6日03時00分家島港を発し、積地である壬生川港に向かった。
B船長は、航海距離に応じてその都度当直時間を定め、家島港と大阪港との間などの短距離航海のときは、A受審人と甲板員との2人で1.5ないし2時間交替で、また大阪港と壬生川港との間などの長距離航海のときは、乗組員4人で2.5ないし3時間交替でそれぞれ船橋当直を行うようにしていた。B船長は、出港操船に当たったのち、当直に就いた甲板員が当直に慣れていなかったことから、操舵室後部右舷側にある畳敷の台に腰を掛けて見守り、播磨灘北部を経て備讃瀬戸東航路に入って西行した。
A受審人は、05時15分ごろ備讃瀬戸の男木島北端北方1,600メートル付近で、甲板員と交替して単独の船橋当直に就き、備讃瀬戸東航路をこれに沿って進行した。
一方、B船長は、甲板員とA受審人が当直を交替したのち、同受審人とは1年半ほど一緒に乗船して気心も知り、備讃瀬戸の航行に慣れて航路事情もよく分かっていたので、同受審人に当直を任せたものの、通航船舶の多い備讃瀬戸を航行中であったことから、そのまま前示畳敷の台で横になって仮眠をとった。
その後、A受審人は、備讃瀬戸北航路に入り、06時19分半牛島灯標から046度(真方位、以下同じ。)1,750メートルの地点で、針路を242度に定め、機関を全速力前進にかけ、折からの西南西流に乗じて13ノットの対地速力で、操舵室舵輪の後方でいすに腰を掛け、見張りに当たって自動操舵により続航した。
ところで、A受審人は、家島の親戚で不幸があったため、同月4日午前9時20分ごろ急遽(きゅうきょ)、三石丸を家島港に寄せてもらって下船し、葬式に出席するなどしたのち、再び同港に寄せてもらって乗船したもので、下船前は当直や荷役作業などでほとんど睡眠がとれず、下船後も気をつかいながら通夜の手伝いをしたりして約4時間、また翌日も葬式に出席するなど忙しく過ごして、乗船前自宅で2ないし3時間ほと睡眠をとったのみの細切れ睡眠であったうえ、発港後自室で休息したものの、なかなか寝つかれないで、思うように休息がとれない状態であった。
A受審人は、06時26分半備讃瀬戸北航路第9号灯浮標(以下、備讃瀬戸北航路灯浮標については「備讃瀬戸北航路」を省略する。)を右舷側300メートルに通過したとき、針路を航路に沿う250度に転じたところ、ほぼ船首方向の航路のほぼ中央付近にこませ網漁に従事する1隻の漁船と船首少し右に反航して接近する1隻の漁船を認め、これらを避けるため自動操舵のまま少し左転し、針路を備讃瀬戸北航路の南側境界線付近に存在する波節岩灯標に向首する245度とし、これら漁船が替わったら針路を戻すつもりで進行した。
06時32分ごろA受審人は、前示反航する漁船と右舷を対して航過できる状況となったころ、睡眠不足と疲れから眠気を催すようになったが、夜が明けて周囲もすっかり明るくなり、右舷前方のこませ網漁中の漁船がまだ替わっておらず、これに留意していたので、まさか居眠りすることはないものと思い、私用で帰宅した遠慮もあって、居眠り運航とならないよう、操舵室後部右舷側の畳敷の台で仮眠中のB船長を起こすなどの居眠り運航の防止措置をとることなく、依然としていすに腰を掛け、前路を見張っているうち、いつしか居眠りに陥った。
こうして三石丸は、当直者が居眠りを続け波節岩に向首したまま進行中、06時40分波節岩灯標の直下に、原針路、原速力のまま乗り揚げた。
当時、天候は晴で風力1の北東風が吹き、潮候は上げ潮の初期で、付近には約1.8ノットの西南西流があり、日出時刻は05時04分であった。
B船長は、衝撃で目覚めて乗り揚げたことを知り、機関を停止したのち事後の措置に当たった。
乗揚の結果、船底外板全般に亀裂(きれつ)を伴う凹損を生じて二重底に浸水したが、来援したサルバージ船により引き降ろされ、家島港に回航されたのち修理された。

(原因)
本件乗揚は、備讃瀬戸北航路において、前路に認めた同航路中央で操業中のこませ網漁船などを右方に避ける針路として西行中、居眠り運航の防止措置が不十分で、同航路南側の境界線付近に存在する波節岩に向首進行したことによって発生したものである。

(受審人の所為)
A受審人が、単独で船橋当直に就き、備讃瀬戸北航路において、前路に認めた同航路中央で操業中のこませ網漁船などを右方に避ける針路として西行中、疲れと睡眠不足から眠気を催すようになった場合、居眠り運航とならないよう、操舵室後部右舷側にある畳敷の台で仮眠中の船長を起こすなどの居眠り運航の防止措置をとるべき注意義務があった。ところが、同人は、夜が明けて周囲もすっかり明るくなり、同漁船がまだ潜わっておらず、これに留意していたので、まさか居眠りすることはないものと思い、仮眠中の船長を起こすなどの居眠り運航の防止措置をとらなかった職務上の過失により、居眠り運航となり、波節岩に向首したまま進行して乗揚を招き、船底外板全般に亀裂や凹損を生じさせるに至った。
以上のA受番人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。






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