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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成8年2月14日08時30分 明石海峡 2 船舶の要目 船種船名
貨物船豊洋丸 総トン数 198.45トン 登録長 25.35メートル 機関の種類
ディーゼル機関 出力 110キロワット 3 事実の経過 豊洋丸は、レーダーやGPS等の船位測定用計器を装備していない木造貨物船で、A受審人が船長として、機関長で夫のB(以下、「B機関長」という。)と2人で乗り組み、袋入りバリウム105トンを載せ、船首2.20メートル船尾3.20メートルの喫水をもって、平成8年2月13日16時00分広島県大崎上島の大崎工業株式会社専用岸壁を発し、大阪港堺泉北区に向かった。 ところで、A受審人は、B機関長とともに、7年間にわたって大崎工業株式会社の荷物を専門に大崎上島から大阪港に運んでいたもので、航海中の船橋当直をB機関長と2人で4時間交替で行い、視界制限状態時や船舶が輻輳(ふくそう)する海域においては2人で当直に当たるほか、2人とも航海中のほとんどを船橋で過ごすようにしていた。 こうして、A受審人は、翌14日04時00分ごろ家島北東方2海里ばかりの地点で船橋当直に就き、そのころ瀬戸内海東部には濃霧注意報が発表されており、霧のため視程が約1海里に狭められていたので、前直のB機関長とともに当直に当たって東行した。 同日05時49分A受審人は、東播磨港別府東防波堤灯台から221度(真方位、以下同じ。)2.5海里の地点に達したとき、折から視認できた東播磨航路第1号灯浮標及び同第2号灯浮標の灯火で船位を確かめ、針路を東播磨港沖合から明石海峡西口のセメント磯西灯浮標付近にかけて続いているのり養殖漁場の南縁に沿う104度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけて7ノットの速力で進行した。 06時ごろA受審人は、東播磨港別府東防波堤灯台から188度2.2海里ばかりに差し掛かったころから霧がさらに濃くなり、視程が約500メートルに狭められ、船位の確認が困難な状況となったが、のり養殖施設南端の簡易灯浮標の灯火をたどって行けば明石海峡に近づくことができ、そのうち夜が明けて霧が晴れると思い、付近の安全なところで仮泊するなどして視界の回復を待ち、船位が確認できるようになってから航行を続けることなく、B機関長を手動操舵に就け、機関を約3ノットの微速力前進に減じただけで、適宜霧中信号を吹鳴しながら続航した。 A受審人は、簡易灯浮標の灯火及び夜が明けてからはのり養殖施設を目標にその南端に沿って進行していたところ、08時ごろのり養殖漁場の東縁を外れ、これらを視認できなくなり、船位不明のため付近の水深や潮の流れが分からず、錨泊したり漂泊したりすることもできないまま、08時10分陸岸に近づいて船位を確認しようと思い、針路を陸岸に向く070度に転じた。間もなく霧がさらに濃くなって視程が約70メートルとなったが、豊洋丸は、引き続き船位不確認のまま続航中、08時30分江埼灯台から338度2.3海里の明石川河口の浅礁に原針路、原速力のまま乗り揚げた。 当時、天候は霧で風力2の北風が吹き、視程は約70メートルで、潮候はほぼ低潮時であった。 乗揚の結果、船首付近及び中央部船底に破口を生じ、倉内及び機関室に浸水して積荷及び主機等にぬれ損を生じ、のちクレーン船によってつり上げられて東播磨港に入り、揚荷ののち修理された。
(原因) 本件乗揚は夜間、レーダーやGPS等の船位測定用計器を装備していない豊洋丸が、明石海峡に向け東行中、霧で視界制限状態となった際、速やかに仮泊するなどして視界の回復を待つことなく、船位の確認が不十分のまま航行を続けたことによって発生したものである。
(受審人の所為) A受審人は、夜間、GPSやレーダー等の船位測定用計器を装備していない豊洋丸で明石海峡に向け東行中、霧で視界制限状態となった場合、速やかに仮泊するなどして視界の回復を待ち、船位の確認を十分に行って航行すべき注意義務があった。しかし、同人は、明石海峡西口付近まで陸岸から沖合に向け設置されているのり養殖施設に接近し、これに沿って航行するうちに夜が明けて霧が晴れるものと思い、視界の回復を待たず、船位の確認が不十分のまま航行を続けた職務上の過失により、明石川河口の浅礁に乗り揚げ、船底部に破口を生じさせて倉内及び機関室に浸水させるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。 |