|
(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成8年12月6日03時10分 大分県関埼沖合 2 船舶の要目 船種船名
貨物船第十八大興丸 総トン数 338トン 全長 56.30メートル 機関の種類
ディーゼル機関 出力 735キロワット 3 事実の経過 第十八大興丸は、主として瀬戸内海各港から土砂や砕石を阪神各港に輸送している船尾船橋型の砂利運搬船で、A及びB両受審人ほか3人が乗り組み、石灰石500トンを載せ、船首3.10メートル船尾4.15メートルの喫水をもって、平成8年12月6日00時50分大分県津久見港戸高鉱業第1桟橋を離れ、積荷書類待ちのため津久見港千怒A防波堤灯台から274度(真方位、以下同じ。)1,400メートルの地点に投錨仮泊したのち、01時30分同錨地を発し、兵庫県尼崎西宮芦屋港第1区に向かった。 A受審人は、いつも積荷を倉内に山積みして倉口を開放したまま発航し、風波が強まってきたときは波浪の倉内浸入を避けるため陸岸寄りの針路を選定しながら航行し、入出港や狭水道通過などの操船指揮を執っていたほか一等航海士及び二等航海士とともに4時間交替の単独船橋当直に入直していたので、休息中に荒天となったときには、各船橋当直者に報告させて自ら針路を選定していた。 発航後、A受審人は、津久見湾を東行し、01時57分、同湾入口北端の楠屋埼灯台から174度1,700メートルの地点に達したとき、速吸瀬戸の右側端を通航することとし、針路を地無垢島西端の西方1.0海里の地点を通過して佐田岬灯台の南東方3海里ばかりの地点に向く031度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、9.5ノットの対地速力で進行した。 ところでA受審人は、発航前日から大分県地方に強風波浪注意報が発表されていることや速吸瀬戸付近では北西の風波が次第に強まるとの天気予報を知っていた。しかしながら、同人は、荒天により陸岸寄りの針路を選定する状況となれば、船橋当直者から報告があるものと思い、定針後間もなく昇橋してきたB受審人に対し、北西の風波が高まって関埼と高島との間の水路に向けて転針する際は、船長に報告して操船指揮を求めるよう指示することなく、頼むと言っただけで当直を委(ゆだ)ねて降橋し、自室で休息した。 当直を引き継いだB受審人は、02時02分楠屋埼灯台を左舷側1,100メートルに航過したのち、北西の風波が次第に強まり波しぶきが甲板上に打ち込むようになったので、風波を避けるため陸岸寄りの針路をとることとし、1年ばかり前に1回だけ通航したことがある関埼と高島との間の水路を通航することを思い立った。 ところで、関埼と高島との間の水路は、関埼とその北東方1,400メートルのところに設置されている豊後平瀬灯標との間が一般船舶の通航水路となっており、同灯標と高島との間の水路は1.5海里の水路幅があるものの、その北口中央付近には航路標識が設けられていない権現碆の干出岩が存在し、その北東方1,400メートルのところにも牛島の浅所が拡延しており、この水路は夜間通航が困難なところになっていた。しかしながら、B受審人は、関埼、高島間の水路の通航経験があったことから単独当直のまま通航できるものと思い、荒天により同水路に向かうことをA受審人に報告して操船指揮を求めることなく、02時19分、楠屋埼灯台から043度2.8海里の地点に達したとき、使用海図1218号を一見して針路を高島の西端と豊後平瀬灯標のほぼ中央に向く348度に転じて続航した。 B受審人は、02時58分、関埼灯台から106度1.2海里の地点に達したとき、関埼灯台を左舷側に航過したのち右転して権現碆を替わすこととし、レーダーを3マイルレンジとし、機関を半速力に減じ、7.0ノットの対地速力で手動操舵により進行した。 03時04分、B受審人は、関埼灯台を左舷側1.1海里に航過したとき、レーダーを一見して自船が右方に圧流されているように感じたので、前示針路のまま続航中、突然、船底に衝撃を受け、03時10分、関埼灯台から045度2,500メートルの権現碆の干出岩に原針路、半速力のまま乗り揚げた。 当時、天候は雨で風力5の北西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期で潮流はほとんどなく、風波が高かった。 自室で就寝中のA受審人は、乗揚の衝撃で目を覚まし、直ちに昇橋して事後の処置に当たった。 乗揚の結果、船底前部外板に数箇所の凹損を生じたが、自力離礁して杵築湾の守江港で揚荷し、神戸港に回航して修理された。
(原因) 本件乗揚は、夜間、大分県津久見港から、石灰石を満載して倉口を開放したまま速吸瀬戸の佐田岬沖合に向け豊後水道を北上中、荒天により関埼と高島との間の水路に向け転針する際、針路の選定が不適切で、浅所の点在する高島と平瀬との間の水路に進入し、権現碆の干出岩に向首進行したことによって発生したものである。 運航が適切でなかったのは、船長が船橋当直者に対し、荒天により関埼、高島間の水路に向け転針する際は、船長に報告して操船指揮を求めるよう指示しなかったことと、同当直者が、船長に報告しないまま浅所の点在する高島と平瀬との間の水路に進入したこととによるものである。
(受審人の所為) A受審人は、夜間、大分県津久見港から、石灰石を満載して倉口を開放したまま強風波浪注意報が発表されている速吸瀬戸の佐田岬沖合に向け豊後水道を北上中、部下に船橋当直を委ねる場合、荒天により関埼と高島との間の水路に向け転針する際は船長に報告して操船指揮を求めるよう指示すべき注意義務があった。しかるに、同人は、荒天により陸岸寄りの針路を選定する状況となれば、船橋当直者から報告があるものと思い、荒天により関埼と高島との間の水路に向け転針する際の指示をしなかった職務上の過失により、部下が船長に報告しないまま浅所の点在する高島と平瀬との間の水路に進入して同水路中央付近に水没する権現碆の干出岩に乗り揚げ、船底外板に凹損を生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 B受審人は、夜間、単独船橋当直に当たって速吸瀬戸の佐田岬沖合に向け豊後水道を北上中、荒天を避けるため関埼と高島との間の水路に向け転針する場合、速やかに船長に報告して操船指揮を求めるべき注意義務があった。しかるに、同人は、関埼、高島間の水路の通航経験があったことから単独当直のまま通航できるものと思い、速やかに船長に報告して操船指揮を求めなかった職務上の過失により、浅所の点在する高島と平瀬との間の水路に進入して権現碆に乗り揚げ、前示の損傷を生じさせるに至った。 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。 |