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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成9年2月4日06時32分 沖縄県金武中城港中城湾新港地区 2 船舶の要目 船種船名
貨物船第七海宝丸 総トン数 749トン 全長 77.12メートル 機関の種類
ディーゼル機関 出力 1,471キロワット 3 事実の経過 第七海宝丸(以下「海宝丸」という。)は、全通二層甲板の船尾船橋型砂利採取運搬船で、A受審人ほか5人が乗り組み、平成9年2月3日13時45分沖縄県運天港を発し、同県国頭村佐手川の河口沖合の砂利採取区域に至って、砂約2,000トンを積載し、船首3.9メートル船尾5.1メートルの喫水をもって、17時15分同区域を発進し、同県金武中城港中城湾新港地区において台船に揚荷するため同地区に向かい、22時50分金武中城港中城西防波堤東灯台(以下「西防波堤東灯台」という。)から142度(真方位、以下同じ。)1,230メートルの新港地区防波堤外に達したとき、左舷錨を投下して仮泊した。 ところで、A受審人は、海宝丸が進水した平成7年から同船に船長として乗り組み、砂利などの採取及び沖縄県各港への運搬の業務に従事し、新港地区においては、主に錨泊中の台船に横着けして、採取した砂利などの台船への揚荷を行っており、これまで台船より先に揚荷地点で投錨することはなかった。また、新港地区防波堤内には、西防波堤東灯台から340度1,850メートルばかりの地点を起点として北西方に長さ約500メール幅約200メートルのピチリ干瀬(びし)があり、その周囲に水深1ないし2メートルの浅所が拡延し、通常台船が錨泊する揚荷地点は、ピチリ干瀬から拡延した浅所の南方150メートルばかりのところであった。 このような揚荷地点付近の水路事情は、海図第241号によって調査でき、揚荷地点を航過して北方に進出するのはピチリ干瀬周りの浅所に著しく近づくことになり、極めて危険であった。 翌4日05時45分A受審人は、昇橋したとき、台船がまだ揚荷地点に到着していないのを知り、とりあえず揚荷地点付近に転錨することにしたが、以前台船に接舷した揚荷地点付近であるから、大丈夫と思い、海図により水路調査を十分に行わなかったので、揚荷地点の北方150メートルのところまで浅所が迫っていることに気付かなかった。 06時05分A受審人は、抜錨し、同時15分半西防波堤東灯台から045度300メートルの地点に達したとき、針路を330度に定め、機関を種々に使用して3.3ノットの対地速力で、手動操舵により進行した。 06時30分A受審人は、いつもの揚荷地点を航過し、ピチリ干瀬から拡延した浅所に著しく接近する状況となったことに気付かないまま、同時31分半主機クラッチを切り、船首に投錨準備を指示して惰力進行中、06時32分西防波堤東灯台から340度1,750メートルの地点において、海宝丸は、原針路のまま2.0ノットの行きあしで、ピチリ干瀬から拡延した浅所に乗り揚げた。 当時、天候は雨で風力3の北東風が吹き、潮候は下げ潮の初期で、日出時刻は07時12分であった。 乗揚の結果、船首部船底外板に損傷を生じ、高潮寺引船により離礁し、新港地区の岸壁に接岸した。
(原因) 本件乗揚は、日出前の薄明時、沖縄県金武中城港中城湾新港地区において、ピチリ干瀬に近い地点に転錨するにあたり、投錨地点付近の水路調査が不十分で、ピチリ干瀬から拡延した浅所に著しく接近したことによって発生したものである。
(受審人の所為) A受審人は、日出前の薄明時、沖縄県金武中城港中城湾新港地区において、ピチリ干瀬に近い地点に転錨する場合、浅所に乗り揚げないよう、海図により投錨地点付近の水路調査を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、投錨するのが以前台船に接舷した揚荷地点付近であるから、大丈夫と思い、投錨地点付近の水路調査を行わなかった職務上の過失により、ピチリ干瀬から拡延した浅所に気付かないまま、これに著しく接近して乗揚を招き、船底外板に損傷を生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。 |