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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成9年7月22日12時40分 徳島県撫養(むや)港 2 船舶の要目 船種船名
貨物船生長丸 総トン数 129トン 全長 42.83メートル 機関の種類
ディーゼル機関 出力 330キロワット 3 事実の経過 生長丸は、主に広島県福山港において鋼材を積み、瀬戸内海各地の造船所などに輸送する船尾船橋型貨物船で、A受審人が機関長と2人で乗り組み、空倉のまま、船首0.5メートル船尾2.5メートルの喫水をもって、平成9年7月22日11時50分徳島県粟津港を発し、福山港に向かった。 A受審人は、この時刻に粟津港を出港すると、鳴門海峡の通過が南流の最強時にかかることが予想されたが、岸壁の都合で同港で待機することができないまま発航したもので、途中、鳴門海峡南口の撫養港内大磯埼北方沖合で潮の緩む16時ごろまで仮泊して潮待ちをすることとし、単独で船橋当直に当たって鳴門海峡に向け北上した。 12時22分A受審人は、大磯埼灯台から104度(真方位、以下同じ。)1,200メートルの地点に達したとき、針路を000度に定めて機関を全速力前進にかけ、10.0ノットの対地速力で手動操舵により進行し、同時24分ごろから徐々に左転して投錨予定地点に向かった。 A受審人は、地元の小型貨物船などが鳴門海峡を通航せず、同海峡に比べて潮流が穏やかであるが浅礁が拡延して狭隘(きょうあい)な撫養ノ瀬戸とそれに続く北泊ノ瀬戸を北上して播磨灘に入ることを知っており、20年ほど前に1度父親の操船のもとで通航したことがあったが、鳴門海峡を通航するのも年に数回で、同海峡付近の海図は小尺度のものしか船内に備えておらず、撫養ノ瀬戸や北泊ノ瀬戸についての知識が十分でなかった。 しかし、A受審人は、予定錨地に接近して撫養ノ瀬戸南口に向かう態勢となったとき、父親の操船のもとで同瀬戸を通航したことを思い出し、天候が良かったことから、注意して航行すれば大丈夫と思い、大尺度の海図を船内に備えておらず、水路調査が十分にできない状況であったが、予定どおり大磯埼北方で仮泊のうえ、鳴門海峡を通航する進路をとることなく、撫養ノ瀬戸を通航することとした。 A受審人は、12時28分大磯埼灯台から021度900メートルの地点に達したとき、撫養ノ瀬戸に向かうため針路を撫養港口灯標及び中瀬灯標を左舷至近に通過する251度に転じ、約2ノットの東流に抗して8.0ノットの対地速力で続航した。 12時30分撫養港口灯標を160度50メートルに通過して間もなく、A受審人は、機関を徐々に減速し、同時34分機関を微速力前進に減じ、その後2.0ノットの対地速力で進行中、生長丸は12時40分大磯埼灯台から282度1,350メートルの中瀬の浅礁に乗り揚げた。 当時、天候は晴で、風はなく、潮候は下げ潮の末期で、付近には約2ノットの東流があった。 乗揚の結果、船尾付近船底外板に擦過傷を生じたが、のち上げ潮を待って自力離礁した。
(原因) 本件乗揚は、徳島県粟津港を出て鳴門海峡を通航する予定で航行中、進路の選定が不適切で、水路調査が十分にできない状況のまま、浅礁が拡延する狭隘な撫養ノ瀬戸を航行したことによって発生したものである。
(受審人の所為) A受審人は、徳島県粟津港から鳴門海峡を経て播磨灘に向かう際、潮待ちのため同海峡南口の撫養港内の仮泊地点に接近中、潮待ちを中止して潮流が比較的緩やかな撫養ノ瀬戸を通航し播磨灘に出ることを思い付いた場合、大尺度海図を備えておらず、同瀬戸の水路調査が十分にできない状況であったから、予定どおり潮待ちのうえ、鳴門海峡を通航する進路をとるべき注意義務があった。ところが、同人は、当時、天候が良かったから、注意して航行すれば大丈夫と思い、鳴門海峡を通航する進路をとらなかった職務上の過失により、撫養ノ瀬戸を航行中、浅礁に乗り揚げて船尾付近船底外板に擦過傷を生じさせるに至った。 |