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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成9年1月8日20時15分 大韓民国済州島南西方沖合 2 船舶の要目 船種船名 漁船第六十三源福丸
漁船第八十一喜代丸 総トン数 270トン 243トン 全長 55.75メートル 47.58メートル 機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関 出力
860キロワット 1,103キロワット 3 事実の経過 第六十三源福丸(以下「源福丸」という。)は、網船1隻、灯船2隻及び運搬船2隻で構成される大中型まき網漁業船団の鋼製運搬船で、A受審人及びB指定海難関係人ほか8人が乗り組み、操業の目的で、船首2.70メートル船尾4.00メートルの喫水をもって、平成9年1月7日05時45分長崎県館浦漁港を発し、僚船とともに大韓民国済州島南西方沖合の漁場に向かった。 ところで、A受審人は船橋当直を同人、一等航海士、二等航海士、B指定海難関係人及び甲板員2人の6人による単独2時間交替制とし、同指定海難関係人が無資格者であったが、20年以上の海上経験を有していたところから、特に船橋当直についての注意を与えるまでもないものと思い、同人に対して周囲の見張りを十分に行い、他船が接近するのを認めた際には、速やかに報告するよう指示することなく、船橋当直を行わせていた。 21時00分A受審人は、済州島の馬羅島灯台南方13海里ばかりの地点に至って荒天を避けるため錨泊し、翌8日16時50分天候が回復したので同地点を発進して一等航海士に船橋当直を任せ、自らは操舵室後部に備えたソナーで魚群探索に当たり、同島南西方沖合の漁場に向かって進行した。 19時00分B指定海難関係人は、一等航海士と船橋当直を交代し、同時15分馬羅島灯台から205.5度(真方位、以下同じ。)43.8海里の地点において、網船から連絡を受けた船長の指示で、針路を315度に定め、機関を全速力前進にかけて13.5ノットの速力とし、操舵室前部で立って肉眼とレーダーによる見張りを行いながら自動操舵で続航した。 20時03分B指定海難関係人は、馬羅島灯台から220度41.5海里の地点に達したとき、右舷船首52度3.0海里のところに、第八十一喜代丸(以下「喜代丸」という。)の白、白、2灯を初認し、3海里レンジとしたレーダーでは、無難に左方に替わるように見えたので、そのまま進行した。 20時07分少し過ぎB指定海難関係人は、馬羅島灯台から221度41.3海里の地点に達し、喜代丸を右舷船首44度2海里に見るようになったとき、同船の船尾を替わすつもりで、針路を右方に10度転じて325度としたところ、その後同船の方位が変わらず、衝突のおそれがある態勢で接近する状況となったが、動静監視を十分に行っていなかったので、依然同船が自船の前路を無難に替わっていくものと思い、速やかにA受審人にその旨を報告しないで、原針路、原速力のまま進行した。 その後、B指定海難関係人は、動静監視を依然十分に行わないで、喜代丸の進路を避けないまま続航中、20時14分半わずか前同船が右舷船首至近に迫ったのを認め、衝突の危険を感じて手動繰舵に切り替え、右舵一杯とし、続いて機関を停止した。 そのころ魚群探索に当たっていたA受審人は、ソナーの画面に異変を生じたので喜代丸の異常接近に気付き、急ぎ機関を全速力後進としたが、効なく、20時15分馬羅島灯台から223.5度40.9海里の地点において、約8ノットの残速力で、000度に向首した源福丸の船首が喜代丸の左舷船尾部に前方から45度の魚度で衝突した。 当時、天候は曇で風力5の北風が吹き、視界は良好であった。 また、喜代丸は、網船1隻、灯船2隻及び運搬船1隻で構成される大中型まき網漁業船団の鋼製運搬船で、C受審人が船長としてほか7人と乗り組み、操業の目的で、船首2.27メートル船尾2.30メートルの喫水をもって、同月7日07時00分館浦漁港を発し、済州島南西方沖合の漁場に向かった。 ところで、C受審人は、同人が受有する免状では喜代丸の船長として乗り組むことができなかったものの、このことを知らないまま発航した。 C受審人は、船橋当直を同人、一等航海士及び二等航海士の3人による単独3時間交替制とし、当時荒天模様であったところから自らの当直時間以外も在橋し、操舵室後部の畳の上に座って操船の指揮に当たった。 23時20分C受審人は、馬羅島灯台の南南東方16.5海里ばかりの地点に至って荒天を避けるため錨泊し、翌8日17時00分天候が回復したので同地点を発進し、済州島南西方沖合の漁場に向かった。 発進後、C受審人は、船橋当直を一等航海士に任せ、そのまま在橋して操舵室後部に備えたソナーで魚群探索を行い、18時00分馬羅島灯台から195度20.8海里の地点に達したとき、同人と船橋当直を交代し、針路を247度に定め、機関を全速力前進にかけて11.0ノットの速力とし、操舵室前部で立って肉眼とレーダーによる見張りに当たり、一等航海士には魚群探索を行わせながら自動操舵で進行した。 19時58分半わずか過ぎC受審人は、馬羅島灯台から221.5度38.2海里の地点に達したとき、左舷船首61度4.0海里のところに、源福丸の白・白・緑3灯を初認し、同船が前路を右方に横切る態勢であることを知った。 20時07分少し過ぎC受審人は、源福丸が左舷船首58度2.0海里に接近したとき、同船が針路を右方に転じ、その後方位が変わらず、衝突のおそれがある態勢で接近したが、針路及び速力を保持していれば、そのうち自船を避けるものと思い、手動操舵に切り替えて様子を見守った。 20時13分少し過ぎC受審人は、源福丸が避航する気配を見せないまま、0.5海里ばかりまで接近したので、警告信号を行ったものの、依然同船が自船を避けるものと思い、その後間近に接近しても機関を使用するなどの衝突を避けるための協力動作をとることなく続航中、同時15分わずか前源福丸が大角度に右転し、左舷船首至近に直ったので衝突の危険を感じ、操舵室前方の作業灯を数回点滅したのち、同船と直角に衝突するのを避けるつもりで、左舵一杯とし、続いて機関を停止したところ、喜代丸の船首が225度を向いたとき、約7ノットの残速力で、前示のとおり衝突した。 衝突の結果、源福丸は、左舷船首部に破口を伴う凹損を生じ、喜代丸は、左舷船尾部に亀(き)裂を伴う凹損及び賄室などに損傷を生じたが、のちいずれも修理された。
(原因) 本件衝突は、夜間、大韓民国済州島南西方沖合において、魚群探索を行いながら漁場を移動中の両船が、互いに進路を横切り衝突のおそれがある態勢で接近中、源福丸が、動静監視不十分で、前路を左方に横切る喜代丸の進路を避けなかったことによって発生したが、喜代丸が、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。 源福丸の運航が適切でなかったのは、船長が無資格の船橋当直者に対して見張りを十分に行い、他船が接近した際には、報告するよう指示しなかったことと、同当直者が他船が接近したことを船長に報告しなかったこととによるものである。
(受審人等の所為) A受審人は、夜間、大韓民国済州島南西方沖合を魚群探索を行いながら航行中、無資格の甲板員に単独の船橋当直を行わせる場合、見張りを十分に行い、他船が接近した際には、速やかに報告するよう指示すべき注意義務があった。しかるに、A受審人は、同甲板員が船橋当直の経験が長かったところから、特に船橋当直についての注意を与えるまでもないと思い、見張りを十分行い、他船が接近した際には、速やかに報告するよう指示しなかった職務上の過失により、他船が接近した旨の報告が得られず、喜代丸の進路を避けることができないまま進行して衝突を招き、源福丸の左舷船首部外板に破口を伴う凹損を、喜代丸の船尾楼左舷側外板に亀裂を伴う凹損などを生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 C受審人は、夜間、単独の船橋当直に就き、大韓民国済州島南西方沖合を航行中、前路を右方に横切る態勢の源福丸を認め、同船と衝突のおそれがあることを知った場合、機関を使用するなどの衝突を避けるための協力動作をとるべき注意義務があった。しかるに、同人は、針路及び速力を保持していれば、そのうち同船が自船を避けるものと思い、機関を使用するなどの衝突を避けるための協力動作をとらなかった職務上の過失により、そのまま進行して衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。 以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 B指定海難関係人が、夜間、単独の船橋当直に就き、大韓民国済州島南西方沖合を航行中、他船が接近した際、船長に報告しなかったことは本件発生の原因となる。 B指定海難関係人に対しては、勧告するまでもない。
よって主文のとおり裁決する。
参考図
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