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1998年(平成10年)

平成9年広審第91号
    件名
貨物船さくら丸貨物船若吉丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年11月17日

    審判庁区分
地方海難審判庁
広島地方海難審判庁

釜谷奨一、上野延之、横須賀勇一
    理事官
向山裕則

    受審人
A 職名:さくら丸船長 海技免状:三級海技士(航海)
C 職名:若吉丸船長 海技免状:五級海技士(航海)
D 職名:若吉丸甲板員 海技免状:五級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
さくら丸…右舷中央部の外板に凹損
若吉丸…左舷側後部外板に凹損

    原因
さくら丸…狭視界時の航法(レーダー、速力、信号)不遵守
若吉丸…狭視界時の航法(レーダー、速力)不遵守

    主文
本件衝突は、さくら丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことと、若吉丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったこととによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Cを戒告する。
受審人Dを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成8年7月26日04時55分
茨城県鹿島港南方沖合
2 船舶の要目
船種船名 貨物船さくら丸 貨物船若吉丸
総トン数 454トン 275トン
全長 81.38メートル
登録長 49.16メートル
機関の種類 デイーゼ機関 ディーゼル機関
出力 2,059キロワット 735キロワット
3 事実の経過
さくら丸は、主に関門港と茨城県日立港間のコンテナ輸送に従事する船尾船橋型貨物船で、A受審人及びB指定海難関係人ほか3人が乗り組み、コンテナ約480トンを積載し、船首3.2メートル船尾4.4メートルの喫水をもって、平成8年7月24日09時30分関門港田野浦区を発し、速吸瀬戸を経由して日立港に向かった。
A受審人は、船橋当直体制を同人が毎8時から12時、一等航海士が毎0時から4時、B指定海難関係人が毎4時から8時までの各時間帯をそれぞれ単独で輪番して行うことにしていたが、B指定海難関係人の技量が未熟であったことから、同人が、単独で船橋当直に当たることについては若干の不安を感じていた。
A受審人は、相模灘を経由し、翌々26日00時勝浦灯台の北東方約14海里の地点で、一等航海士と船橋当直を交代することにしたが、このころ千葉県北部の太平洋岸一帯には、すでに濃霧注意報が発表されており、同受審人はナブテックスにより、このことを知っていた。
A受審人は、交代にあたり視界が良好で、平素、部下に対し視界制限状態のことも含め一般的な注意事項を行っていたことから、あえて指示するまでもないと思い、一等航海士に対し、B指定海難関係人の当直時間帯に視界制限状態になったら確実に報告するよう、申し送りを徹底して指示することなく降橋して休息した。
02時43分一等航海士は、犬吠埼灯台の東方約4海里の地点に達したとき、視界が断続的に悪化したが、継続的に悪くなってからA受審人に報告すれば良いものと思いながら当直に従事し、04時00分鹿島南防波堤灯台(以下「南防波堤灯台」という。)から088度(真方位、以下同じ。)6.9海里の地点に達したとき、針路を348度に定めて自動操舵とし、機関を13.0ノットの全速力前進にかけて成規の灯火を表示し、B指定海難関係人と船橋当直を交代した。
当直交代後、B指定海難関係人は、視程が約100メートルであるのを認めたが、一時的に視界が回復することもあり、また、レーダーで周囲を探知したところ周辺海域に支障となる他船が見当たらず、A受審人からの申し送りが徹底して指示されていなかったことから、同人に報告を行うことなく、そのまま続航し、A受審人は報告が得られず、霧中信号を行うことも、安全な速力に減ずることもできなかった。
04時35分少し過ぎB指定海難関係人は、南防波堤灯台から034度9.6海里の地点に達したとき、6海里レンジに設定したレーダーの船首輝線の右側12度6海里のところに、若吉丸の映像を初めて探知し、その後同船が南下して反航することを知ったものの、まだ遠距離であるから大丈夫と思い、動静監視を行わずに進行した。
04時41分B指定海難関係人は、南防波堤灯台から029度10.4海里の地点に達したとき、若吉丸の映像を船首輝線の右側15度4海里に認め得る状況となり、このころ同船が針路を右転したが、依然、レーダーによる動静監視を行っていなかったので、このことに気付かなかった。
04時45分B指定海難関係人は、南防波堤灯台から027度11海里の地点に達したとき、若吉丸の映像を船首輝線の右側14度3海里に認め得る状況となったが、同船の映像右側に見えていたことから左転して、自船との航過距離を隔てて右舷対右舷で航過しようと操舵を手動とし、5度左転して343度の針路として続航した。
04時50分B指定海難関係人は、若吉丸の映像が船首輝線の右側14度1.5海里となり、著しく接近することを避けることができない状況となったが、この状況に気付かず、A受審人は、報告を受けていなかったので、速やかに機関を後進にかけるなど、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また、必要に応じて停止することができないまま進行した。
04時53分B指定海難関係人は、同船の映像が同方位0.5海里に接近したとき、更に左転して同船を替わそうと針路を333度に転じて続航中、レーダーの中心部付近となって同船の映像を見失い、同時54分半ごろふと右舷船首方を見たとき至近に若吉丸の灯火を初認して、あわてて左舵20度とした及ばず、04時55分南防波堤灯台から020度128海里の地点において、原速力のまま、292度を向首したさくら丸の右舷中央部状が、若吉丸の左舷後部に後方から8度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風力1の西風が吹き、視程は約100メートルで、潮候は下げ潮の末期であった。
A受審人は、衝撃により衝突を知り、昇橋して事後の措置にあたった。
また、若吉丸は、宮城県塩釜港仙台区において、同区の防波堤築造工事に伴う山砂運搬に従事する船尾船橋型貨物船で、C及びD両受審人のほか3人が乗り組み、空倉のまま海水バラスト240トンを載せ、船首2.2メートル船尾3.4メートルの喫水をもって、同月25日15時20分同港を発し、入渠のため広島県木ノ江港に向かった。
若吉丸の仙台区における山砂運搬時の乗組員は、総員4人をもって運航に従事していたが本航海は、入渠地までの回航が長時間に及ぶことから、A海運の社長であるD受審人が、雇入れの公認手続を経ずに回航要員として臨時に乗船することとなり、航海当直については同人が毎4時から8時までの、C受審人が毎8時から12時、一等航海士が毎0時から4時までの各時間帯をそれぞれ単独で輪番して行うこととなった。
C受審人は、発航後休息をとり、20時に昇橋してD受審人と船橋当直を交代し、成規の灯火を表示して、その後、福島県の東岸を3海里の離岸距離を隔てて南下し、翌26日00時塩屋埼灯台の西方4海里の沖合で一等航海士と船橋当直を交代し、濃霧注意報が発表されている千葉県北部太平洋岸に向け南下中、引継ぎに際し、同人に対しては、視界が悪くなればC受審人に報告する旨を伝えたものの、次直のD受審人に対しては、同人がC受審人、一等航海士の休暇下船の折には船長職として乗船した経験があったことから、D受審人の当直時間帯には自ら昇橋して甲板上の指揮をとるまでもないと思い、視界制限状態になったときの報告を申し送るよう指示することなく降橋した。
04時00分D受審人は、南防波堤灯台から012度21.6海里の地点に達したとき一等航海士と船橋当直を交代し、このころ視程が約1.5海里になっていることを知り、6海里レンジに設定したレーダーで監視に当たりながら針路を180度に定めて自動操舵とし、機関を10.0ノットの全速力前進にかけて進行した。
04時35分D受審人は、南防波堤灯台から012度15.2海里の地点に達したとき、視界が徐々に悪くなったのを認めたが、C受審人に報告をせず、このときレーダーのほぼ船首輝線上約6海里のところに、さくら丸の映像を初めて探知し、その後同船が北上して反航する模様を知ったものの自船のレーダーでは、航跡が残るので、相手船の針路はこれにより分かるものと思い、レーダープロッティングを行うなど、系統的な観察による動静監視を行わないまま続航した。
04時41分D受審人は、南防波堤灯台から023度14.5海里の地点に達し、視程が約100メートルになったとき、レーダーでさくら丸の映像を船首輝線の右側3度4海里のところに認め得る状況となったが、依然レーダーによる動静監視が不十分で、同船が自船の右舷側を航過する態勢で進行していることに気付かず、左舷側を対して航過しようと20度右転して針路を220度に転じ、警告信号を開始したものの、C受審人に報告せず、機関を約7.0ノットの半速力前進に減じただけで、安全な速力としないまま進行した。
04時50分D受審人は、南防波堤灯台から021度13.4海里の地点に達したとき、さくら丸の映像を左舷船首37度1.5海里に認め、同方位のまま著しく接近することを避けることができない状況となったのを知ったが、更に減速してしばらく様子を窺(うかが)えばよいものと思い、速やかに機関を後進にかけるなど、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また、必要に応じて停止することなく、操舵を手動とし、機関を半速力前進よりやや落とした6.0ノットの速力で続航中、同時55分少し前左舷前方に初めてさくら丸の表示する灯火を認め、あわてて機関を停止して右舵一杯としたが及ばず、ほぼ原速力のまま、300度を向首したとき前示のとおり衝突した。
衝突の結果、さくら丸は右舷中央部の外板に凹損を生じ、若告丸は左舷側後部外板に凹損を生じたが、のち、いずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、夜間、さくら丸及び若吉丸の両船が霧による視界制限状態の鹿島灘を航行中、北上するさくら丸が霧中信号を行うことも安全な速力に減ずることもなく、レーダーによる動静監視不十分で、前路に探知した若吉丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、速やかに機関を後進にかけるなど、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また必要に応じて停止しなかったことと、南下する若吉丸が、安全な速力とせず、レーダーによる動静監視不十分で、前路に探知したさくら丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、速やかに機関を後進にかけるなど、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また、必要に応じて停止しなかったこととによって発生したものである。
さくら丸の運航が適切でなかったのは、船長の船橋当直者に対する視界制限状態時の報告についての指示が徹底されていなかったことと、船橋当直者の視界制限状態時の報告が行われなかったこととによるものである。
若吉丸の運航が適切でなかったのは、船長の船橋当直者に対する視界制限状態時の報告についての指示が十分でなかったことと船橋当直者の視界制限時の報告及び措置が適切でなかったこととによるものである。

(受審人等の所為)
A受審人は、夜間、濃霧注意報が発表されている千葉県北部の太平洋岸に向け上総勝浦港沖を北上中、無資格の部下に船橋当直を行わせる場合、視界制限状態となったときの報告について次直者に申し送りを徹底するよう指示すべき注意義務があった。しかるに同人は、平素、視界制限状態のことも含め、一般的な注意事項を行っていたことから、あえて指示するまでもないと思い、視界制限状態となったときの報告について次直者に申し送りを徹底するよう指示しなかった職務上の過失により、自ら操船の指揮に当たることができず、若吉丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、また、必要に応じて停止することもできないまま進行して衝突を招き、自船の右舷中央部外板に凹損を生じさせ、若吉丸の左舷側後部外板に凹損を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
C受審人は、夜間、濃霧注意報が発表されている千葉県北部太平洋岸に向け塩屋埼灯台東方沖合を南下中、部下に船橋当直を任す場合、視界制限状態になったら報告するよう次直者に申し送りを指示するべき注意義務があった。しかるに同人は、次、次直者が、自船に船長職として乗船した経験があったから、視界制限状態において自ら昇橋して甲板上の指揮をとるまでもないと思い、視界制限状態になったら報告するよう次直者に申し送りを指示しなかった職務上の過失により、自ら操船指揮に当たることができないまま進行して衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
D受審人は、夜間、霧のため視界制限状態となった鹿島灘を南下中、さくら丸をレーダーで探知し、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったのを知った場合、速やかに機関を後進にかけるなど、針路を保つことのできる最小限度の速力に減じ、また、必要に応じて停止するべき注意義務があった。しかるに同人は、わずか減速して、しばらく様子を窺えばよいものと思い、速やかに機関を後進にかけるなど、針路を保つことのできる最小限度の速力に減じず、また、必要に応じて停止しなかった職務上の過失によりさくら丸との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のD受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B指定海難関係人が、視界制限状態となった際、船長に報告しなかったことは本件発生の原因となる。
B指定海難関係人に対しては、勧告しない。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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