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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成9年2月15日00時15分 大分県大分港 2 船舶の要目 船種船名 押船第十栄進丸
バージ12号 総トン数 199トン 全長 27.20メートル× 登録長
70.00メートル 幅 15.50メートル 深さ 6.00メートル 機関の種類
ディーゼル機関 出力 1,471キロワット 3 事実の経過 第十栄進丸(以下「栄進丸」という。)は、専ら海砂の採取及び運搬に従事する引船兼押船で、A受審人ほか6人が乗り組み、海砂1,000立方メートルを載せ、船首3.6メートル船尾3.4メートルの喫水となった、吸込式浚渫(しゅんせつ)装置を備えたバージ12号(以下「バージ」という。)の船尾凹状部に、栄進丸の船首を嵌(かん)合し、その船首部左右から油圧によって伸出した鋼製ピンでバージの船尾凹状部と結合し、全体の長さ90メートルの押船列とし、船首2.4メートル船尾3.4メートルの喫水をもって、平成9年2月14日23時30分大分県大分港大在ふ頭2号岸壁を発し、宮崎県延岡港に向かった。 ところで、大分港東部は、南北方向の長さ1,200メートル、東西方向の長さ1,080メートルの7号地を中心に、その東側に日吉原泊地及び日吉原岸壁、西側に大在泊地及び大在ふ頭があり、7号地北岸と平行してその北方430メートルのところに東西方向に伸びる大在泊地中防波堤(以下「中防波堤」という。)があり、同防波堤の東端付近の北側100メートルの地点から023.5度(真方位、以下同じ。)方向に伸びる長さ440メートルの日吉原泊地北防波堤(以下「北防波堤」という。)と、日吉原岸壁北側から315度方向に伸びる長さ750メートルの日吉原泊地東防波堤(以下「東防波堤」という。)とで、幅430メートルの防波堤入口を形成し、北防波堤の北端には大分港日吉原泊地北防波堤灯台(以下「北防波堤灯台」という。)が、東防波堤の西端には大分港日吉原泊地東防波堤灯台(以下「東防波堤灯台」という。)がそれぞれ設置されていた。 また、A受審人は、昭和40年から主として199トン型又は499トン型の内航貨物船の船長として乗船した経歴があるものの、全長が90メートルを越すような押船に乗船した経験はなく、大分港の入港経験もなかったものの、栄進丸の前任船長が負傷したため、依頼されて急遽(きょ)乗船することになり、同日22時30分前示岸壁に着岸中の同船に乗船し、前任船長から引継ぎを受け、出航の準備を行ったのち出航部署を令し、船首に一等航海士及び甲板長を、船尾に機関長及び一等機関士をそれぞれ配置し、自らは船橋で操船に当たることにした。 離岸したのちA受審人は、右回頭して機関を半速力前進にかけ、7号地の西岸に沿って大在泊地を北上し、23時55分東防波堤灯台から249度1,780メートルの地点に達したとき、離岸作業を終えて昇橋した一等航海士と操舵を交替し、操舵スタンドの左舷側に設置されたレーダーの前に立ってレーダーの監視と操船指揮に当たった。 一等航海士は、間もなく7号地の北西端に並ぶ地点に至ったところ、A受審人から転舵の指示がなかったので、右舵をとって7号地北岸と中防波堤の間の水路こ向ける針路とし、翌15日00時03分東防波堤灯台から251度1,240メートルの地点に達したとき、針路を097度に定め、引き継いだ4.0ノットの押航速力で、手動操舵により進行した。 甲板長は、定針したころ昇橋し、00時から04時までが割り振られた航海当直時間になっていたので一等航海士と操舵を交替し、港内において操船指揮をとるA受審人からいずれ操舵の指示があるものと思い、引き継いだ針路で続航した。 A受審人は、一等航海士と甲板長がいずれも海技免伏を受有し、本船に慣れているので操舵を任せておればよいものと思い、操舵の指示を与えないままレーダー監視を続け、00時09分中防波堤の東端に並ぶ東防波堤灯台から224度690メートルの地点に達したとき、防波堤入口に向けるため、甲板長に左舵をとるように指示したが、舵角及び針路を明示せず、また、十分な声量で明確な操舵号令を令さなかった。 甲板長は、A受審人の操舵号令が不明確でそれに気付かず、同受審人から転舵の指示がないので不審に思ったものの、東防波堤が近づいたので、防波堤入口に向けるために左舵5度をとってゆっくり左転を始め、左転の回頭速度が速くなったところで一旦(いったん)舵を中央に戻して針路を053度に転じ、バージの鳥居形マスト及びクレーン操作台とにより生じた船首死角によって、操舵位置から防波堤入口を示す北防波堤灯台及び東防波堤灯台を確認することができなかったので、防波堤入口の東側に当たる東防波堤灯台を左舷船首方に見る態勢となったことに気付かないまま、いずれ船長から操舵の指示があるものと思って進行した。 A受審人は、舵角及び針路を明示しなくても甲板長が適宜操舵して防波堤入口に向けるものと思い、操舵号令を令したのち転舵及び舵効を十分に確認するなど、適切な操船を行うことなく、レーダーにより東防波堤に向首して接近していることを認めながら続航した。 00時15分わずか前A受審人は、防波堤との距離が近いことから衝突の危険を感じて機関の後進を令し、同じく危険を感じた一等航海士がほぼ同時に機関を中立とし、更に後進にかけたが及ばず、00時15分東防波堤灯台から136度130メートルの地点において、栄進丸押船列は、原針路、原速力のまま、東防波堤に82度の角度で衝突した。 当時、天候は薄曇で風力2の南南西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期であった。 防波堤衝突の結果、栄進丸は損傷がなく、バージは船首を圧壊し、防波堤はその一部を損傷したが、のちいずれも修理された。
(原因) 本件防波堤衝突は、夜間、大分港日吉原泊地の防波堤入口から出航する際、操船が不適切で、東防波堤に向首したまま進行したことによって発生したものである。
(受審人の所為) A受審人は、夜間、操舵員を操舵に就けて操船に当たり、大分港日吉原泊地の防波堤入口から出航する場合、防波堤などに衝突することのないよう、操舵員に対して操舵号令を明確に令し、その後の転舵及び舵効に確認するなど、適切な操船をすべき注意義務があった。しかるに、同人は、舵角及び針路を明示しなくても操舵員に任せておれば操舵員が適宜転舵して防波堤入口に向けるものと思い、適切な操船を行わなかった職務上の過失により、防波堤入口に向けて転針が行われず、東防波堤に向首したまま進行して防波堤衝突を招き、バージの船首を圧壊させ、東防波堤の一部に損傷を生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。 |