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1998年(平成10年)

平成9年神審第99号
    件名
貨物船第十八日吉丸油送船第二ふじしろ丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年10月27日

    審判庁区分
地方海難審判庁
神戸地方海難審判庁

清重隆彦、須貝嘉榮、西林眞
    理事官
坂本公男

    受審人
A 職名:第十八日吉丸船長 海技免状:五級海技士(航海)
B 職名:第十八日吉丸機関長 海技免状:五級海技士(航海)(旧就業範囲)
    指定海難関係人

    損害
日吉丸…右舷船首部に凹損
ふじしろ丸…左舷前部に凹損、右舷前部に凹損、ドルフィンに変形を伴う損傷

    原因
日吉丸…操船・操機取扱不適切(回頭措置不十分)

    主文
本件衝突は、第十八日吉丸が、回頭措置不十分で、着桟中の第二ふじしろ丸を十分に離す針路としなかったことによって発生したものである。
受審人Aの五級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成7年7月12日07時30分
和歌山県和歌山下津港
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第十八日吉丸 油送船第二ふじしろ丸
総トン数 499トン 198トン
全長 65.38メートル 47.94メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,176キロワット 441キロワット
3 事実の経過
第十八日吉丸(以下「日吉丸」という。)は、船尾船橋型の砂利採取運搬船で、A及びB両受審人ほか3人が乗り組み、海砂1,500トンを載せ、船首3.2メートル船尾5.2メートルの喫水をもって、平成7年7月11日18時30分高知県下田港を発っし、和歌山県和歌山下津港に向かった。
A受審人は、数日前から体調を崩し下痢症状があったが、発航後2直5時間交替の船橋当直体制をとり、翌12日05時ごろ紀伊日ノ御埼灯台沖合において昇橋し、目的地の海南区第1区の公共岸壁に着岸するまで自ら操船に当たるつもりで、一等航海士から引き継いで単独の当直に就いた。
やがてA受審人は、和歌山下津港の港域内に入り、07時10分ごろ外港内を航行していたとき便意を催したが、着岸作業終了までは我慢できると思って当直を続け、同時13分海南北防波堤灯台(以下「北防波堤堤灯台」という。)から266度(真方位、以下同じ。)1.1海里の地点で、針路を088度に定め、機関を半速力前進に掛け、7.7ノットの対地速力で手動操舵により進行した。
07時22分A受審人は、北防波堤灯台から118度180メートルの地点に至り、海南区第1区の可航幅約450メートルの水路に入航していたとき、便意を抑えることができなくなり、船尾で入港部署に就いていたB受審人が内航船の船長経験を有していることを聞いていたことから、用便を済ませるまでの間一時操船を任せることとし、急遽(きゅうきょ)同人を船橋に呼び上げた。
そのころ、付近には航行している他船は見当たらず、また、無風で潮流がほとんどなく、着岸予定地である公共岸壁の600メートル手前までは十分な可航幅があるので、B受審人としては、数分間ならば直ちに行き脚を止めて停留することも、機関を適宜使用しながらわずかな行き脚をもって前進することも容易な状況であった。
しかしながら、A受審人は、B受審人に特段指示をするまでもないと思い、自らの操船指揮によって満載状態で狭い水路に入り目的地に着岸しなければならない立場にあったが、同人に対し同水路に進入しないよう指示することなく、階下の便所に降りた。
ところで、公共岸壁は、北防波堤付近から同第1区の水路を1,300メートル東進し、和歌山石油精製株式会社第8桟橋(以下、桟橋名については「和歌山石油精製株式会社」を省略する。)の西方250メートル付近で約40度左転して700メートルばかり進んだ港奥にあり、同桟橋付近から公共岸壁に至る水路は可航幅が100メートルばかりと狭く、水深は約8メートルであった。
一方、B受審人は、日吉丸に機関長として乗り組んでいたものの、これまで港内において同船を操船した経験はなかったが、かつて他船で船長職を執ったことがあり、目的地まで操船を続けても問題ないと思い、自身が操船する区域について、A受審人の指示を仰ぐことなく、引き継いだ針路088度で同速力のまま手動操舵により進行した。
B受審人は、07時26分第8桟橋まで400メートルに迫り、港奥に至る狭い水路の入口に差し掛かっていたが、速やかに前進行き脚を止め、A受審人に昇橋を求めることなく操船を続け、同水路に進入することとした。そして、同時26分少し過ぎ北防波堤灯台から092度1,180メートルの地点に達し、同水路左岸の第6A桟橋に右舷を接して着桟している第二ふじしろ丸(以下「ふじしろ丸」という。)を左舷船首25度560メートルに見るようになったとき、左舵5度をとっただけで十分な舵角で転舵せず、同時27分同船にほぼ向首したころ、機関を半速力前進から微速力前進とし、4.1ノットの対地速力で続航中、同時28分半舵を中央に戻した。
こうして、日吉丸は、A受審人によって操船が行われないまま、回頭措置が不十分で、ふじしろ丸を十分に離す針路とならずに進行し、同時29分少し過ぎ船首が050度を向き、右舷船首5度に見る同船船尾まで100メートルとなったとき、左舵15度をとった。しかし、舵効が表れないまま接近するので機関を全速力後進に掛けたところ、船首が右偏し、07時30分北防波堤灯台から083度1,680メートルの地点において、2.0ノットの前進行き脚をもって079度に向首したとき、その右舷船首部がふじしろ丸の左舷前部に後方から40度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風はなく、潮候は下げ潮の初期であった。
A受審人は、便所内で衝撃を感じ、急ぎ昇橋して衝突を知り、事後の措置に当たった。
また、ふじしろ丸は、船尾船橋型の油タンカーで、Cが船長として乗り組み、同月12日07時20分第6A桟橋に船首を039度に向け右舷付けて着桟し、横荷役準備中、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、日吉丸は右舷船首部に凹損を生じ、ふじしろ丸は、左舷前部に凹損を生じるとともに、衝突時の反動で右舷側が桟橋ドルフィンに強く接触して右舷前部に凹損を生じ、同ドルフィンにも変形を伴う損傷を生じたが、のちいずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、和歌山下津港海南区第1区において、日吉丸が、港奥の公共岸壁に満載状態で入航着岸する際、回頭措置不十分で、狭い水路の左岸に着桟中のふじしろ丸を十分に離す針路としなかったことによって発生したものである。
日吉丸の運航が適切でなかったのは、船長が、港奥の公共岸壁に向け入航中、便意を催してやむを得ず機関長に一時操船を任せる際、自身が昇橋するまで狭い水路に進入しないよう指示しなかったことと、機関長が、自身が操船する区域についての指示を仰がなかったこととによるものである。

(受審人の所為)
A受審人は、和歌山下津港海南区第1区入口付近において、港奥の公共岸壁に向け入航中、便意を抑えることができなくなって機関長に一時操船を任せて降橋する場合、自らの操船指揮によって狭い水路に入り目的地に着岸しなければならない立場にあったから、機関長に対し自身が昇橋するまで同水路に入らないよう指示すべき注意義務があった。ところが、同受審人は、特段指示するまでもないと思い、自身が昇橋するまで同水路に入らないよう指示しなかった職務上の過失により、機関長に一時操船を任せて降橋し、自ら操船の指揮をとることができないまま進行してふじしろ丸との衝突を招き、日吉丸の右舷船首部及びふじしろ丸の左舷前部と右舷前部とにそれぞれ凹損を生じさせ、桟僑ドルフィンを変形させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の五級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
B受審人は、和歌山下津港海南区第1区入口付近において、港奥の公共岸壁に向け入航中、便意を抑えられなくなって降橋する船長から一時操船を任された場合、自身が操船する区域についての指示を仰ぐべき注意義務があった。ところが、同受審人は、かつて他船で船長職を執ったことがあったことから、目的地まで操船を続けても問題ないと思い、自身が操船する区域について、船長から指示を仰がなかった職務上の過失により、狭い水路に進入してふじしろ丸との衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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