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1998年(平成10年)

平成10年神審第11号
    件名
貨物船おりおん防波堤衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年10月7日

    審判庁区分
地方海難審判庁
神戸地方海難審判庁

山本哲也、清重隆彦、西林眞
    理事官
岸良彬

    受審人
A 職名:おりおん機関長 海技免状:三級海技士(機関)(機関限定・旧就業範囲)
B 職名:おりおん一等機関士 海技免状:五級海技士(機関)(機関限定)
    指定海難関係人

    損害
ファッションプレート及びバルバスバウが圧壊し、フォアピークタンクに浸水

    原因
出港操船中に発電機を切り替えようとしたこと、発電機停止の際の確認不十分

    主文
本件防波堤衝突は、出港操船中に発電機を切り替えようとしたばかりか、発電機停止の際の確認が不十分で、船内電源を喪失したことによって発生したものである。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成6年11月5日16時35分新潟県新潟港東区
2 船舶の要目
船種船名 貨物船おりおん
総トン数 873トン
全長 83.02メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 1,471キロワット
3 事実の経過
おりおんは、平成4年6月に進水した、バウスラスタ及び可変ピッチプロペラを備える鋼製貨物船で、主機として、定格回転数毎分215のディーゼル機関を機関室下段中央に備えていた。また、発電設備として、440ボルト225キロボルトアンペアの主発電機2台が主機の前部左右両舷に、同電圧50キロボルトアンペアの停泊用発電機1台が機関室中段の右舷側後部に、それぞれ据え付けられていた。
主発電機は、両機とも大洋電機株式会社製のTWY33D型3相交流発電機で、それぞれ昭和精機工業株式会社の6KHL-STL型ディーゼル原動機(以下「補機」という。)によっで駆動されており、補機とともに右舷側のものが1号機左舷側が2号機と呼ばれていた。
ところで、本船の消費電力は、バウスラスタには専用の駆動用ディーゼル機関を別に装備していたので、入出港スタンバイ時を含め主発電機1台で十分にまかなえる容量であった。このため、1、2号主発電機は、ほぼ1箇月ごとに切り替えられて交互に単独使用され、切替え時以外に並列運転されることはなかった。また、停泊用発電機は、2箇月に1度程度の頻度で、荷役のない停泊時にのみ使用されており、主発電機と並列運転はできなかった。
主配電盤は、主発電機盤、電動機の集合始動器盤、100ボルト系給電盤のほか、停泊用発電機の気中遮断器、動力電源の各遮断器などが組込まれた2面の配電盤に分割され、機関室中段の前部左舷側に操作面を船尾に向けて設置されていた。このうち、右端の主発電機盤には、上部中央に同期検定灯、接地灯等が縦に並べて取り付けられ、これらを挟んで右側に1号機の、左側に2号機の、電流、電圧、周波数等の計器類、表示灯、気中遮断器引外しボタンなどがそれぞれ取り付けられ、中ほどよりやや下方の位置に両機の気中遮断器が左右に配置されていた。
ところで、補機は、省力化の目的で、主発電機盤近くに設けた補機制御盤から遠隔発停できるようになっており、盤面の始動ボタンで自動始動できるほか、停止ボタンを押せば発電機の気中遮断器が瞬時に引き外されるとともに、停止電磁弁が作動して燃料が49秒間遮断され、この間始動ボタンを押しても始動できないように設定されていた。
補機制御盤は、主発電機盤の船尾方約60センチメートルの位置に立った、H形鋼製の支柱の船尾側面に取り付けられ、目の高さ付近の位置となる操作面には、中央部に電源灯並びに異常解除、警報停止及びランプテストの各押しボタンが縦に並び、これらを挟んで、「1号発電機関」「2号発電機関」と記された各銘仮の下に、それぞれ運転及び警報の各表示灯並びに始動及び停止の各押しボタンが配列されていたが、向かって右側が2号補機用、左側が1号補機用で、主発電機盤の配列とは左右が逆になっていた。
A受審人は、平成5年11月に機関長として初めておりおんに乗り組んで以来、4ないし5箇月の乗船期間に対し約20日の休暇下船の割合で乗下船を繰り返していたもので、一等機関士及び操機長を指揮して機関及び電気機器の運転管理にあたっていた。
ところで、当時機関士が頻繁に交代しており、そのたびにA受審人は、後任の一等機関士に各機器の運転取扱いを説明して引き継いでいた。そして、同6年8月24日B受審人が一等機関士として交代乗船した際にも同様の引継ぎを行い、主発電機については、各機器の配置や操作方法を現場説明し、切替えのときには立ち会わせて操作手順を示していたほか、補機制御盤の1、2号機の配列が、通常と異なり左右逆になっているので、慣れるまで操作の際は銘板を確かめてからボタン類を操作するように注意していた。
本船は、同年11月5日08時25分新潟港東区の中央ふ頭に首岸し、1号主発電機を単独使用して同時55分から積荷役を開始したところ、1号補機の空気抜きコックが振動で緩んで冷却清水が漏洩(ろうえい)し始め、15時30分ごろ冷却清水温度上昇の警報装置が作動した。
警報に気付いたA受審人は、直ちに主発電機を2号機に切り替えたうえ、1号機を停止して漏水箇所を発見し、コックを締め込んで冷却清水を補給した。そして、再び1号機に切り替えようと同機を始動して低速とし、調整運転を始めたところ、15時50分ごろ出港スタンバイとなった。そこで、同人は、機関準備のため機関室に降りてきたB受審人に対し、発電機の運転状態を説明し、スタンバイ解除後自ら切替えを行うつもりで、1号機は冷却清水温度が低下するまでそのままにしておくように告げて、スタンバイ配置に就くため船橋に向かった。
本船は、船長C(昭和16年7月2日生、一級海技士(航海)免状を受有し、受審人に指定されていたところ、平成9年10月15日死亡したことによりこれが取り消された。)並びにA及びB両受審人ほか4人か乗り組み、石膏(せっこう)2,210トンを載せ、船首420メートル船尾5.60メートルの喫水をもって、同日16時10分新潟港東区を発し、青森県八戸港に向かった。
C船長は、A受審人を主機プロペラ翼角及びバウスラスタの遠隔操作に、一等航海士及び二等航海士を船首配置に、機関準備を終えたB受審人及び操機長を船尾配置にそれぞれ就け、自ら手動操舵にあたり、離岸後、船尾配置を解除し、16時26分新潟港東区西防波堤(以下、防波堤、灯台などの施設名については「新潟港東区」を省略する。)にほぼ並航する態勢となったとき、船首配置を解除した。そして、同時28分東3号シーバース灯から299度(真方位、以下同じ。)210メートルの地点で、針路を西防波堤に沿う026度に定め、防波堤を左舷方に200メートル隔て、機関を常用回転数の毎分210プロペラ翼角を港内全速力の10度とし、速力を徐々に上げながら進行した。
機関室に戻ってA受審人が降りてくるまでの間当直に就いたB受審人は、出港スタンバイが解除されておらず、本船が港内航行中であることを知っており、また、1号主発電機についてのA受審人の指示も了解していた。しかしながら、同人は、発電機の切替え操作は他船で何度も経験していたので、体調が悪く便意を覚えていたこともあってA受審人が降りてくるまで待つまでもないと思い、港外の安全な海域に達するのを待つことなく、自ら主発電機を2号機から1号機に切り替えることとした。
ところで、B受審人は、他船では発電機の切替えを何度も行っていたが、本船で自ら切り替えたのは1、2度程度で、また、それまで補機の遠隔発停装置を装備した船に乗船したことはなかったので、発停は機側の操縦ハンドルで行い、補機制御盤を操作したことはなかった。
こうしてB受審人は、いったん2号機と並列運転にした1号主発電機に負荷を移し、主発電機盤の2号機気中遮断器をトリップさせたのち、早く作業を終えてしまおうと思い、A受審人から受けた注意をうっかり失念したまま、補機制御盤の銘板を確認することなく、2号補機を停止するつもりで、そのまま主発電機盤の前に立って手を伸ばし、左側の1号機停止ボタンを押した。
このため本船は、16時32分西防波堤灯台から195度1,100メートルの地点を約8ノットで航行中、1号主発電機の気中遮断器が瞬時に引き外されて非常用バッテリー電源以外の船内電源を喪失し、操舵機を含むすべての電動機が停止したほか、主機及びプロペラ翼角の遠隔制御が不能となった。
B受審人は、照明が消えて非常灯に切り替わり、警報ブザーが鳴りだしたので、間違えて1号主発電機を停止したことに気付き、補機制御盤の始動ボタンを押して1号機を再始動させようとしたが、停止電磁弁が作動していて始動せず、驚いて操作ボタンを次々に押して2号補機も停止させてしまい、両電磁弁が自動解除するまで電源復帰が不可能な状態となった。
A受審人は、照明が消えて警報が作動したことから船内電源喪失を察知し、C船長にその旨告げて機関室に急行し、タラップを降りて機関室中段に至ったとき、すぐに補機制御盤の警報赤ランプが点灯していることに気付いた。
C船長は、船首配置から帰ってきた二等航海士に船首に戻って投錨するよう大声で命じ、折から当て舵としてわずかに左舵をとっていたので船首が左回頭し始め、これを認めてプロペラ翼角の制御ダイヤルを後進一杯としたが、作動しなかった。
こうして本船は、操舵機、主機及びプロペラの制御が不能となり、それぞれ電源喪失前の舵角、回転数及び翼角のまま進行するうち、A受審人が補機制御盤で1号補機を始動し、気中遮断器を投入して電源を回復させ、B受審人とともにトリップした電動機を順次復帰させた。そして、プロペラ翼角が港内全速力から全速力後進に切り替わり、速力を減じながら急激に左転し始め、船首に到着した二等航海士が投錨する余裕のないまま、16時35分西防波堤灯台から198度530メートルの地点において、西防波堤の先端寄りの部分に、297度に向首して約3ノットの速力で、ほぼ直角に衝突した。
当時、天候は晴で風力1の東風が吹き、潮候は高潮時であった。
衝突の結果ファッションプレート及びバルバスバウが圧壊し、フォアピークタンクに浸水したが、海上保安部の捜査を受けたのち、自力航行で八戸港に向かい、のち損傷箇所の修理を行った。なお、西防波堤にはほとんと損傷がなかった。

(原因)
本件防波堤衝突は、新潟港東区において出港操船中、主発電機を2号機から1号機に切り替えようとしたばかりか、切り替えた2号機を停止する際、補機制御盤の銘板の確認が不十分で、負荷運転中の1号機が停止され、船内電源を喪失して操船不能となったことによって発生したものである。

(受審人の所為)
B受審人は、港内航行中に主発電機を2号機から1号機に切り替え、無負荷となった2号機を補機制御盤で停止しようとする場合、船内電源が喪失すると操船不能となって運航上危険な状態に陥るおそれがあったから、両機の操作ボタンが通常とは左右逆の配列になっている旨の引継ぎ事項を思い出し、停止ボタンを押す前に制御盤の銘板を確認すべき注意義務があった。ところが、同人は、早く作業を終えてしまおうと思い、同引継ぎ事項をうっかり失念したまま、停止ボタンを押す前に制御盤の銘板を確認しなかった職務上の過失により、負荷運転中の1号機を停止し、船内電源を喪失させて防波堤との衝突を招き、船首部を圧壊させるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。

よって主文のとおり裁決する。






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