日本財団 図書館




1998年(平成10年)

平成8年神審第122号
    件名
貨物船アフリカンライオン貨物船チュンジン衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年10月6日

    審判庁区分
地方海難審判庁
神戸地方海難審判庁

佐和明、工藤民雄、清重隆彦
    理事官
平野浩三

    受審人
A 職名:アフリカンライオン水先人 水先免状:内海水先区
    指定海難関係人

    損害
ア号…右舷船首部外板に2箇所の破口、右舷中央部外板に凹損、1番船倉右舷側外板に擦過傷
チ号…船首楼甲板左舷側後部に曲損等、1番船倉左舷側ブルワークに曲損、船橋楼左舷側囲壁に凹損、二等航海士が脳挫傷で死亡

    原因
チ号…見張り不十分、船員の常務(新たな危険)不遵守(主因)
ア号…動静監視不十分、船員の常務(衝突回避措置)不遵守(一因)

    二審請求者
理事官 平野浩三

    主文
本件衝突は、チュンジンが、見張り不十分で、後続するアフリカンライオンの前路に向けて転針したことによって発生したが、アフリカンライオンが、チュンジンに対する動静監視が不十分で、衝突を避けるための措置遅かったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成7年8月8日23時28分
瀬戸内海播磨灘
2 船舶の要目
船種船名 貨物船アフリカンライオン 貨物船チュンジン
総トン数 13.428トン 1.997トン
全長 160.00メートル 91.10メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 5.001キロワット 1.765キロワット
3 事実の経過
アフリカンライオン(以下「ア号」という。)は、船尾船橋型貨物船で、船長Bほか22人が乗り組み、鋼材7.000トンを載せ、船首6.95メートル船尾8.25メートルの喫水をもって、平成7年8月8日17時20分広島県福山港を発し、京浜港川崎区に向かった。
A受審人は、発航時からア号を嚮導(きょうどう)し、B船長、当直航海土及び操舵事在橋のもと備讃瀬戸を経て播磨灘に入り、海図記載の播磨灘推薦航路の南側をこれに沿って進行し、23時17分松島灯台から156度(真方位、以下同じ。)9.4海里の地点にあたる、播磨灘航路第3号灯標(以下、灯浮標の名称については「播磨灘航路」を省略する。)を左舷側250メートルに並航する地点に達したとき、進路を067度に定め、機関を全速力前進にかけ、折からの微弱な東流に乗じて14.0ノットの対地速力で手動操舵により進行した。
そのころA受審人は、右舷正横少し前500メートルばかりに同航船を追い越す状態で、右舷船首24度0.5海里にチュンジン(以下「チ号」という。)の船尾灯を見るようになり、チ号も自船と同様播磨灘推薦航路線に沿って航行しているので同船を間もなく右舷側に0.2海里ばかり隔てて追い越すことになると判断した。
23時20分ごろA受審人は、左舷船首18度2海里強のところに南下中の第三船の白、白、緑3灯を認め、その方位が明確に変わらないまま接近するので、その動静に留意していた。このため同時22分右舷船首40度680メートルのところを同航中のチ号が針路を左に転じ、自船とチ号の針路が角度で交差するようになり、これまで後方に変わっていたチ号の方位に明確な変化が認められなくなったが、これに気付かなかった。
こうして、ア号、チ号及び第三船がそれぞれ互いに衝突のおそれがある態勢で接近することとなったが、A受審人は、チ号を無難に追い越すことができるものと思い、チ号に対する動静監視が不十分となってこのことに気付かず、23時24分避航の気配がないまま左舵前方1海里余りに接近した第三船に対して警告信号を行い、更に同時26分同船が0.5海里にまで接近したとき、再び警告信号を行った。
このころA受審人は、チ号が右舷船首42度400メートルまで接近しており、機関を停止するなどして速やかにチ号及び第三船との衝突の危険を回避しなければならない状況であったが、依然第三船にのみ気を取られていたので、チ号の接近に気付かないで、衝突を避けるための措置をとることなく進行した。
A受審人は、2回目の警告信号を行ったころ第三船が探照灯で前方を照らしながらその方位が右方に変わり始め、23時27分自船の船首方を通過したので、ようやくチ号の方を確認したとき、右舷船首50度300メートルに近づいた同船の船尾灯を認め、その後これが前方に替わりながら急激に接近するので、相手船が左回頭していることに気付いて危険を感じ、同時27分少し過ぎ左舵一杯、機関停止を令したが及ばず、23時28分松島灯台から140度8.9海里の地点において、ア野がほぼ052度を向いたとき、その右舷船首部が、12ノットの速力で、チ号の左舷船首部に後方から約30度の角度で衝突し、同時29分少し過ぎ両船がほぼ平行状態となったころ、ア号の右舷中央部外板とチ号の左舷船橋楼付近外板とが再び衝突した。
当時、天候は晴で風力2の北西風が吹き、潮候は下げ潮の初期で、付近には微弱な東流があった。
また、チ号は、船尾船橋型貨物船で、船長Cまか13人が乗り組み、藁300トン、コンテナ58個を載せ、船首約1.8メートル船尾約3.7メートルの喫水をもって、同月7日21時30分大韓民国釜山港を発し、兵庫県姫路港に向かった。
C船長は、関門海峡から瀬戸内海に入り、翌8日23時17分松島灯台から154度8.6海里の地点達したとき、三等航海士及び操舵手を当直配置に就け、針路を播磨灘推薦航路線に沿う068度に定め、機関を全速力前進にかけて自動操舵とし、折からの微弱な東流に乗じて12.0ノットの対地速力で進行した。
C船長は、備讃瀬戸東航路を東行中に後続するア号を認め、徐々に接近していることを知っていたが播磨灘の広い海域に出たので自船を離して航過するものと思い、その後その存在を失念したまま続航した。
23時22分ごろ松島灯台から147度8.8海里の地点において、C船長は、定針前から左舷前方に視認していた南下する第三船の方位が明確に変化しないことから、同船と著しく接近する状態となる前にその後方を替わす態勢とし、また、姫路港への転針予定地点である第4号灯浮標付近に向けるつもりで、針路を061度に転じたところ、いままでほぼ平行する針路で航行していた左舷船尾39度700メートルのところを後続するア号の針路と自船の針路とが小角度で交差する状況となった。
しかし、C船長は、後方の見張りを十分行っておらず、ア号の存在に気付かないまま、23時25分ごろ接近する第三船の方位が明確に変わっていないことから、手動操舵に切り替えさせて続航した。
C船長は、23時26分ごろア号が第三船に対して行った警告信号とその直後に第三船が行った探照灯の照射とをいずれも第三船によるものと思ったものか、同時26分半後方の確認を行うことなく、第三船との衝突を避けるための協力動作をとるつもりで操舵手に左舵を指示して回頭を開始し、やがて同船が船首方向より右舷側に替わったことから針路を元に戻すつもりで右舵を指示して間もなく、船首がほぼ022度を向いたとき10ノットの速力で前示のとおり衝突した。
衝突の結果、ア号は、右舷船首部外板に2箇所の破口を、右舷中央部外板に凹損を1番船倉右舷側外板に擦過傷をそれぞれ生じ、チ号は、船首楼甲板左舷側後部に曲損等を、1番船倉左舷側ブルワークに曲損を、船橋楼左舷側囲壁等に凹損をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理された。
なお、本件発生後、チ号二等航海士Dが船尾甲板上で倒れているのが発見され、姫路港入港後病院に搬送されたがのち脳挫傷で死亡した。

(主張に対する判断)
1 C船長は、「ア号の右舷船首付近が最初にチ号の船橘楼左舷側に後方から約10度の角度で衝突した。」旨主張するので、この点について検討する。
本件衝突により、ア号の右舷船首部外板に2箇所の破口が生じているが、これに対応するチ号の損傷箇所は、バウチョック左舷側上部後端角の圧損部分とその船尾がわハンドレールの倒壊等及び船首楼甲板左舷側後端角の圧損部分以外に存在しない。
ア号の右舷船首部外板の2箇所の破口は、ともに船首方向から船尾方向にかけて比較的鋭利なものが衝突した状態で外板が裂けており、また、チ号の船首楼甲板左舷側後端は、その前部の外板と船橋楼後側の囲壁がそれぞれ曲損しており、左舷後方から大きな力が加わった状態であることがわかる。
両船のこれらの損傷箇所が前述のごとく互いに接触するのは、船首の曲線部分の接触であることから、船体構造上、両船間に30度前後の衝突角度が必要である。
また、チ号の1番船倉左舷側ブルワークが内側に曲損しているのも、ア号の1番船倉外板の開き部分が接触したことによるものであり、このような両船の損傷はC船長の主張する衝突模様では発生し得ない。
したがって、C船長の上記主張を認めることができない。
2 ア号側補佐人は、「チ号が衝突の前に第三船を避けるため針路を7度左転したことは不自然で、衝突の約2分前に全く予想を超えた左転を行った。」旨主張するので、この点について検討する。
チ号が、左舷側から横切りの状態で接近する第三船を避けるために衝突の約6分前に進路を左に7度転じたということはその当否はさておいて、間近に接近するまで針路、速力を保持しなければならない、いわゆる保持義務の煩わしさから逃れるため、時折航海者が行う措置であって、全くあり得ないとはいえない行為である。
そして、ア号側補佐人が主張するごとく、ア号がチ号を0.2海里離して追い越す態勢で接近中、衝突の約2分前にチ号が左転し、同船が約45度回頭したとき、ア号の右舷船首部とチ号の左舷船首部とが約30度の角度をもって衝突したとするなら、この条件を満たす両船の相対位置関係を考えると、A受審人が、衝突の約1分前に右舷船首約50度にチ号の船尾灯を視認してから衝突に至るまでの間に、必ず正横より22.5度後方まで視認可能であるチ号の左舷灯びマスト灯の灯火を認めているはずである。
ところが、A受審人は、当廷において、衝突に至るまでチ号の船尾灯しか認めていないと一貫して供述している。衝突の危険が迫っており、チ号の動静を注視していたA受審人がチ号の灯火を見誤ったとは考えられない。そして、このことはア号とチ号の追い越し間隔が、0.2海里よりもっと接近していたことを意味する。
したがって、ア号側補佐人の主張を認めることができない。

(航法の適用)
本件衝突は、夜間、播磨灘西部において、海図記載の推薦航路線に沿って東行するア号及びチ号と南下する第三船とが、それぞれ衝突のおそれがある状態となったばかりか、ア号に追い越される態勢のチ号が、左転をして両船の針路が小角度で交差する状況となって3船が接近中、チ号が再び左転をしてア号との衝突に至ったもので、以下適用すべき航法を検討する。
衝突地点付近は、海上交通安全法の適用海域であるが、播磨灘推薦航路線付近は同法でいう航路にはあたらず、同法に規定する航法に関係がない状況で衝突に至っていることから、海上衝突予防法によって律することになる。
すなわち、ア号及びチ号の両船は、それぞれ第三船を左舷側に視認し、同船と互いに進路を横切り、衝突のおそれがある態勢で接近しており、海上衝突予防法第15条の横切りの関係にある。第三船は同法第16条の規定により、できる限り早期にア号及びチ号の進路を避けなければならず、ア号及びチ号は、同法第17条の規定により第三船に対して針路、速力の保持義務があった。
一方、本件発生の6分前まで播磨灘推薦航路線に沿う針路で航行していたチ号が小角度とはいえ針路を左に転じ、左舷後方から無難に追い越す態勢にあったア号と衝突のおそれが生じたため、ア号としては同法第13条の規定により、チ号を確実に追い越し、かつ、十分に遠ざかるまでその進路を避けなければならない状況であった。
しかし、第三船が十分に余裕のある時期に右転するなどして両船の進路を避けなかったため、ア号は2つの航法を同時に適用されることになり、そのとるべき措置に矛盾が生じたもので、このような場合、衝突の危険を避けるため、2航間の航去を定めた定型航法によらず、船員の常務により律するのが相当である。

(原因)
本件衝突は、夜間、両船が、播磨灘推薦航路線の南側を針路が小角度で交差する状況で東行中、南下する第三船と両船が衝突のおそれがある関係が生じた際、先航するチ号が見張り不十分で、第三船を避けようとして、左舷側を後続するア号の前路に向けて左転したことによって発生したが、ア号が、チ号に対する動静監視が不十分でチ号及び第三船との衝突を避けるための措置が遅かったことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
A受審人は、夜間、ア号を嚮導して播磨灘推薦航路線の南側を、チ号の左舷側を追い越す態勢で東行中、左方から第三船が衝突のおそれがある態勢で接近する場合、第三船のみならず、チ号の動静も十分に監視しておくべき注意義務があった。しかるに同人は、チ号も自船もともに推薦航路線に沿って航行しているのであるから、同船は引き続き同航路線に沿って進行するものと思い、第三船の動静監視に気を取られ、チ号の動静を十分に監視しなかった職務上の過失により、チ号が左転をして針路が互いに小角度で交差する状況となったことに気付かず、3船が互いに接近したとき、機関を停止するなどしてチ号及び第三船との衝突を避けるための措置が遅れてチ号との衝突を招き、ア号の右舷船首部外板に破口を及び右舷御外板中央部付近に擦過傷を伴う凹損を、チ号の船首楼甲板左舷側等に曲損を、船橋楼居住区囲壁左舷側前部に凹損をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION