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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成9年2月20日05時05分 豊後水道鶴御埼南東方沖合 2 船舶の要目 船種船名 貨物船博祐丸
漁船朝日丸 総トン数 499.0トン 7.9トン 全長 75.00メートル 16.15メートル 機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関 出力
1,323キロワット 漁船法馬力数 120 3 事実の経過 博祐丸は、鋼材等を運搬する船尾船橋型貨物船で、船長B及び一等航海士C(昭和25年4月25日生、五級海技士(航海)の免状を受有し、受審人として指定されていたところ、平成10年2月20日死亡した。)ほか3人が乗り組み、鋼材約1,546トンを載せ、船首3.4メートル船尾4.7メートルの喫水をもって、平成9年2月19日15時30分岡山県水島港を発し、鹿児島県加治木港に向かった。 B船長は、船橋当直を自らと次席一等航海士及びC一等航海士の3人による、単独の4時間制を採り、0時から4時までを次席一等航海士、4時から8時までをC一等航海士、8時から12時までを船長の当直配置とし、居眠り運航防止のため、夜間には機関当直者を機関の見回りのほか船橋に在橋させ、船橋当直者に対しては、見張りを厳重に行うこと、他船との避航は早目に行うこと、視界が悪牝したり航行に不安を感じたら船長に知らせることなどを指示していた。 翌20日03時30分C一等航海士は、目覚し時計で起床して同時40分昇橋し、高甲岩灯台から060度(真方位、以下同じ。)2.6海里の地点で、前直の次席一等航海士から当直を引き継ぎ、法定灯火を表示していることを確かめ、単独で見張りと操船に当たって豊後水道を南下し、04時40分先ノ瀬灯台から080度1.5海里の地点に達したとき、針路を180度に定め、機関を全速力前進にかけ、10.2ノットの対地速力で進行した。 04時55分C一等航海士は、鶴御埼灯台から090度2.4海里の地点に達したとき、針路を200度に転じ、自動操舵として見張りに当たり、そのころ、左舷船首17度3.8海里に北上する朝日丸の白、緑2灯を視認できる状況にあったが、左舷方から接近する船舶は避航船なので右舷船首方の見張りをしていれば大丈夫と思い、左舷船首方の見張りを十分に行うことなく、当時、視界が良好で作動中のレーダーも十分監視していなかったので、同船に気付かなかった。 その後、C一等航海士は、朝日丸が前路を右方に横切り、衝突のおそれがある態勢で接近し、05時00分鶴御埼灯台から111度2.3海里の地点に至ったとき、同船が方位を変えないまま、1.9海里の距離に近づいたものの、依然、左舷船首方の見張りが不十分で、このことに気付かず、同時04分左舷船首17度700メートルに接近した朝日丸の緑灯を初めて視認し、相手船が直前で避航するものと期待して探照灯を数回照射し、同船に避航を促したが、直ちに汽笛による警告信号を行うことも、速やかに転舵するなど衝突を避けるための協力動作をとることもなく続航した。 05時04分半少し過ぎ、C一等航海士は、朝日丸がなおも避航しないで間近に接近したので、危険を感じて在橋中の機関長を機関操作に就け、機関を微速力前進に減じ、続けて停止としたが及ばず、05時05分鶴御埼灯台から131度2.4海里において、博佑丸は、原針路、原速力のまま、その左舷中央部に、朝日丸の船首が前方から30度の角度で衝突した。 当時、天候は晴で風力3の北西風が吹き、視界は良好であった。 B船長は、自室で就寝中、機関が停止したので目覚めたところ、C一等航海士からの報告で衝突を知り、昇橋して事後の措置を執った。 また、朝日丸は、網船第28天祐丸(以下「網船」という。)、運搬船第58天祐丸及び灯船第38天祐丸と4隻で構成された、まき網船団付属のFRP製灯船兼魚群探索船で、A受審人が1人で乗り組み、まき網漁業の目的で、船首0.5メートル船尾1.5メートルの喫水をもって、同月19日16時30分大分県南海部郡鶴見町二又漁港の野崎地区を出港し、17時10分蒲戸埼東方1.5海里の海域に、他のまき網船団の灯船と集結したのち、同時26分散開して同地を発し、魚群探索に向かった。 ところで、朝日丸が所属するまき網船団のまき網漁業は、毎月の第2及び第4土曜日と旧暦の15日から18日までの4日間を休漁日とする以外、年間を通じて毎日夕刻出港し、夜間に豊後水道において操業したのち、翌日早朝帰港する操業形態を採っていた。 A受審人は、連日操業の際には出港当日の昼過ぎまで睡眠をとるようにしており、前日18日が休漁日で夜間睡眠を十分とったので、19日07時ごろ起床したものの、当時、5日前から風邪を引いて医者から施薬された3日分の風邪薬を服用し、その後置き薬を飲み続けていたが、回復が思わしくなく、出港時まで何もせずに自宅で休息していた。 集結地を発航後、A受審人は、魚群探索をしながら、いったん保戸島付近まで北上したのち、反転して九州東岸に沿って豊後水道を南下し、23時ごろ魚群探知機に魚影を認めたので、鶴御埼灯台から161度9.9海里の水深約120メートルの地点において、80キログラムの二爪錨を投じ、直径20ミリメートルの合成繊維製の錨索を170メートル延ばして錨泊し、電源をとるため機関を中立回転とし、左舷船首から4キロワットの集魚灯4個を海中50メートルまで下げて点灯したうえ、船尾マストと操舵室上のマスト間に張り渡している鉄パイプに吊した、2キロワットの集魚灯2個を点灯して集魚を開始し、周囲の見張りやレーダー監視に当たっているうち、風邪の症状による頭痛を感じたので、夜食の弁当をとったとき、持参してきた置き薬のカプセル2錠を飲み、その後、体調不調と疲労気味から少し眠気を感じたものの、睡眠をとらないまま集魚作業に当たった。 翌20日03時00分ごろあじの魚群が集まったところで、網船が潮日丸の周囲にまき網を入れて操業を開始し、A受審人は、3分の2までまき網を巻いたところで、揚錨して集魚灯を消灯したのち、操舵室上のマストで甲板上の高さ4.7メートルに備えた白色全周灯、操舵室天井左右舷でいずれも甲板上の高さ1.9メートルに備えた両舷灯及び船尾マストで甲板上の高さ1.3メートルに備えた船尾灯をそれぞれ掲げ、04時30分操業を終えて僚船とともに二又漁港に向けて帰港することとし、前示錨泊地点において、針路を先ノ瀬灯台の少し右に向く、350度に定め、機関の回転数をいつもより少し上げ、毎分1,800の半速力前進にかけ、13.4ノットの対地速力で自動操舵により進行した。 発航して間もなくA受審人は、窓やドアを閉め切った操舵室の左舷側で、防寒着を着て肘(ひじ)付きのいすに腰掛け、目視と3海里レンジとしていたレーダー監視による見張りに当たっているうち、体調が不調で疲労気味であったことから眠気を催すようになり、居眠り運航となるおそれがあったが、入港まで約1時間の短時間だから居眠りすることはないものと思い、居眠り運航の防止措置として、椅子から立ち上がって眠気を払拭することも、網船の漁ろう長に対して補助者の乗船を求めることもなく北上中、04時45分ごろ鶴御埼灯合から156度6.5海里の付近で居眠りに陥った。 04時55分A受審人は、鶴御埼灯台から150度4.4海里の地点に達したとき、右舷船首13度3.8海里に南下する博祐丸の白、白、紅3灯を視認できる状況にあったが、居眠りしていて同船に気付かず、その後同船が前路を右方から左方に横切り、衝突のおそれがある態勢で接近し、05時00分同灯台から143度3.4海里の地点に至ったとき、博祐丸の方位が変わらないで1.9海里の距離に近づいたものの、依然、居眠りしていてこのことに気付かず、同船の進路を避けることができないまま続航した。 A受審人は、05時05分わずか前、ふと目覚めて前方を見たところ、目前に迫った博祐丸の船体を初めて視認し、急いで機関のクラッチを中立としたが及ばず、朝日丸は、原針路、原速力のまま、前示のとおり衝突した。 衝突後、A受審人は、僚船に連絡したのち、自力で航行して大分県佐伯港の造船所に回航した。 衝突の結果、博祐丸は、左舷中央部外板に擦過傷を生じ、朝日丸は、船首部を損壊したが、のち修理された。
(原因) 本件衝突は、夜間、豊後水道の鶴御埼南東方沖合において、両船が互いに進路を横切り衝突のおそれがある態勢で接近中、北上する朝日丸が、居眠り運航の防止措置が不十分で、前路を左方に横切る博祐丸の進路を避けなかったことによって発生したが、南下する博祐丸が、見張り不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
(受審人の所為) A受審人は、夜間、風邪のため体調が不調の状態で風邪薬を服用し、一人で操舵と見張りに就き、まき網船団の僚船とともに豊後水道の鶴御埼南東方沖合を北上中、眠気を催した場合、居眠り運航を防止する措置として、網船の漁ろう長に対し補助者の乗船を求めて二人当直とすべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、入港まで短時間だから居眠りすることはないものと思い、漁ろう長に対し補助者の乗船を求めず、二人当直としなかった職務上の過失により、居眠り運航となり、博祐丸の進路を避けることができないまま進行して同船との衝突を招き、朝日丸の船首部を損壊させるとともに、博祐丸の左舷中央部外板に擦過傷を生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
参考図
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