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1998年(平成10年)

平成9年広審第34号
    件名
貨物船ヤマト貨物船サンコースプレンダー衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年7月16日

    審判庁区分
地方海難審判庁
広島地方海難審判庁

上野延之、釜谷獎一、織戸孝治
    理事官
田邉行夫、前久保勝己

    受審人
    指定海難関係人

    損害
ヤマト…船首部を圧壊
サ号…左舷外板に破口

    原因
ヤマト…船員の常務(大幅な針路の変更、衝突回避措置)不遵守(主因)
サ号…船員の常務(衝突回避措置)不遵守(一因)

    二審請求者
理事官前久保勝己

    主文
本件衝突は、ヤマトが、大幅な針路の変更を行わなかったばかりか、サンコースプレンダーを避けなかったことによって発生したが、サンコースプレンダーが、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成8年4月27日20時17分
豊後水道
2 船舶の要目
船種船名 貨物船ヤマト 貨物船サンコースプレンダー
総トン数 93,699トン 16,582トン
全長 290.04メートル 165.50メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 13,533キロワット 5,685キロワット
3 事実の経過
ヤマトは、主として豪州から欧州に石炭を、及びブラジルから日本に鉄鉱石を輸送する船尾船橋型の貨物船で、パナマ共和国の海技免状を受有するA指定海難関係人及び邦人機関長ほかフィリピン人船員20人が乗り組み、邦人の監督者1人を乗せ、鉄鉱石81,494トンを積載し、船首10.35メートル船尾10.83メートルの喫水をもって、平成8年4月26日16時10分名古屋港を発し、関門港若松区に向かった。
翌27日18時45分A指定海難関係人は、愛媛県由良埼西方6.0海里の地点に達したころ昇橋し、19時02分半水ノ子島灯台から056度(真方位、以下同じ。)2.4海里の地点で、針路を324度に定め、水先人の乗船時刻調整のため機関を全速力前進より少し落し、折からの逆潮流に抗して13.5ノットの対地速力(以下「速力」という。)とし、船橋当直の三等航海士B(以下「B三等航海士」という。)に操船の補佐を、及び操舵手C(以下「C操舵手」という。)に操舵を行わせて操船指揮に当たり、航行中の動力船の灯火を表示し、機関室当直者に約1時間後機関を用意させることを指示して進行した。
19時30分ヤマトは、日振島灯台から258度6.3海里の地点に達し、そのころまでにA指定海難関係人からの指示に従って機関室当直者により、機関用意のため機関の回転数が徐々に下げられて12.0ノットの速力に落されていた。
19時38分A指定海難関係人は、日振島灯台から270度7.1海里の地点に達したとき、大分県関埼南南東方3海里の内海水先区水先人会水先人乗船地点(以下「水先人乗船地点」という。)に向けて豊後水道を横切ろうとしたが、前方に多数の南下船を認め、それらの船尾方を回避するつもりで同水道の横切りをやめ、その後北上船及び南下船を適宜回避しながら北上した。
ところで、豊後水道は、四国西岸と九州東岸との間を通って太平洋から瀬戸内海へ通じる水道で、北口は速吸瀬戸が存し、その付近では同水道に沿って南北に航行する船舶が多数ある海域であり、この海域において同水道を横切る際には、横切り時間をできるだけ短くして同水道に沿って航行している船舶との出会う機会を少なくするため、大幅な針路の変更を行って横切るのが望ましく、特に大型船は一層の配慮を要する海域であった。
20時00分A指定海難関係人は、佐田岬灯台から161度7.6海里の地点に達したとき、水先人乗船地点を西方に見るようになったことから機関用意を令するとともに同水道を横切ることとし、同時04分佐田岬灯台から164度6.9海里の地点に達したとき、大幅な針路の変更を行わないまま、水先人乗船地点に向けて小角度の左転により豊後水道を横切り始めた。
20時07分A指定海難関係人は、佐田岬灯台から166.5度6.4海里の地点に達し、船首が308度に向いたとき、右舷船首7度3.5海里にサンコースプレンダー(以下「サ号」という。)の白、白、紅3灯を初めて視認し、速力を落して同船の船尾方を回避するつもりで続航した。
A指定海難関係人は、その後国際VHF無線電話装置(以下「VHF」という。)でサ号を呼び出したが、応答がないので機関を半速力前進に、引き続き微速力前進まで落し、昼間信号灯をサ号に向けて照射し、VHFで自船が水先人乗船地点に向けて左転しながら豊後水道を横切っており、機関を微速力前進にしているから自船の船尾方を回避するよう要請する旨の連絡をしたが、サ号から了解との応答のみで回避する旨の確たる応答を得ないまま、同船が回避を了解したとして半速力前進に戻して進行した。
20時08分少し過ぎA指定海難関係人は、佐田岬灯台から168度6.1海里の地点に達し、船首が305度に向いたとき、サ号の白、白、紅3灯を右舷船首8度3海里に認め、その後サ号に回避の気配が認められず、自船の前路に向けて方位に明確な変化がないまま衝突のおそれのある態勢で接近するのを知ったが、前示VHFの交信で連絡がとれたものと思っていたことから、そのうちサ号が自船の船尾方を回避すると思い、サ号の前路に向けて続航し、その後同船の南下接近に当たり、速やかに機関を後進にかけて行きあしを止めるなど同船を避けないで小角度の左転により豊後水道を横切り続けた。
20時10分A指定海難関係人は、佐田岬灯台から170度5.9海里の地点に達したとき、船首が295度に向き、右舷船首16.5度2.3海里に白、白、紅3灯を見せたサ号がなおも回避の気配を見せなかったことから、同時11分半機関を一旦微速力前進としたものの、その後不安を感じて、右転しようと半速力前進にして右舵一杯としたところ直ちに舵効が得らなかったので舵を戻し、同時13分機関を停止し、VHFでサ号に自船が右舵をとっても舵効が得られないので回避してくれるよう要請する旨の連絡をしたところ、サ号から左舷対左舷で航過しようとの応答を受けたので更にサ号に回避してくれるよう要請する旨の連絡を続け、同時16分回避の気配を見せないまま右舷船首41度560メートルに接近したサ号を認め、ようやく衝突の危険を感じ、機関を全速力後進にかけたが及ばず、20時17分佐田岬灯台から180度5.7海里の地点において、ヤマトは、8.0ノットの前進惰力で、270度に向いたその船首が、サ号の左舷中央部に後方から83度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力2の北北東の風が吹き、潮候は下げ潮の初期で、衝突地点付近には微弱な南流があった。
また、サ号は、船尾船橋型貨物船で、船長D(以下「D船長」という。)ほか19人が乗り組み、関門水先区水先人会水先人(以下「関門水先人」という。)が乗船し、鋼材約16,233トンを積載し、船首6.22メートル船尾7.75メートルの喫水をもって、同月27日14時24分関門港小倉区を発し、関門水先人の嚮導(きょうどう)のもと、アメリカ合衆国ニューオーリンズ港に向かった。
D船長は、関門海峡を通過したのち15時15分福岡県部埼付近で関門水先人を下船させて瀬戸内海西部を南下した。
19時54分少し過ぎD船長は、佐田岬灯台から243度2.6海里の地点で、針路を153度に定め、機関を全速力前進にかけ、折からの順潮流に乗じて13.5ノットの速力とし、船橋当直の一等航海士に操船の補佐を、及び操舵手に操舵をさせて操船指揮に当たり、航行中の動力船の灯火を表示して進行した。
20時00分D船長は、佐田岬灯台から217度2.9海里の地点に達したとき、機関用意の解除を命じ、左舷船首14.5度6.4海里にヤマトの白、白、紅3灯を初めて視認したものの、その後船橋当直を一等航海士と交替した三等航海士E(以下「E三等航海士」という。)に任せ、船橋から出て無線室で代理店に送信する出港報告等の作成を始めた。
E三等航海士は、船橋当直を引き継いだのち、操舵手F(以下「F操舵手」という。)を操舵に配して船橋当直に当たり、ヤマトの灯火を監視していたところ、同船の針路が左右に振れているよう見えていたが、20時04分佐田岬灯台から203.5度3.3海里の地点に達したとき、左舷船首15度4.8海里のところにヤマトの白、白、緑3灯を視認するようになり、20時07分佐田岬灯台から196度3.8海里の地点に達したとき、ヤマトの白、白、緑3灯を左舷船首18度3.5海里に視認し、その後同船から昼間信号灯の照射を受け、VHFで同船が水先人乗船地点に向かって左転しながら豊後水道を横切っており、機関を微速力前進にしているから同船の船尾方を回避するよう要請する旨の連絡を受けたが、水先人乗船地点に向かって左転しながら同水道を横切っていることのみを了解したつもりで応答を行った。
20時08分少し過ぎE三等航海士は、佐田岬灯台から193度4.1海里の地点に達したとき、ヤマトの白、白、緑3灯を左舷船首20度3.0海里に視認するようになり、VHFの連絡及び同船の前後のマスト灯の開き具合からも同船が左転をしながら豊後水道を横切りつつ自船の前路に向けて方位に明確な変化がないまま衝突のおそれのある態勢で接近しているのを知ったが、そのうち自船を回避すると思い、速やかに機関を後進にかけて行きあしを止めるなど衝突を避けるための措置をとらないで続航した。
20時13分E三等航海士は、佐田岬灯台から185度4.9海里の地点に達したとき、再度VHFでヤマトを回避するよう要請する旨の連絡を受けたが、同船が右転しても同船に対して邪魔になる船もいないので左舷対左舷で航過するよう要請する旨の連絡をして進行し、同時16分半ヤマトに回避の気配を認めないまま左舷船首24度300メートルに接近したとき、ようやく衝突の危険を感じ、右舵一杯としたが及ばず、サ号は、船首が187度に向いたとき、原速力のまま前示のとおり衝突した。
D船長は、船体の異常な振動に気付いて衝突直前に昇橋したが、何もすることができず、事後の措置に当たった。
衝突の結果、ヤマトは船首部を圧壊し、サ号は左舷外板に破口を生じたが、のちいずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、夜間、ヤマトが、豊後水道の東側を北上中、同水道西側の関埼付近の水先人乗船地点に向けて同水道を横切る際、大幅な針路の変更を行わなかったばかりか、同水道を南下接近するサ号を避けなかったことによって発生したが、サ号が、ヤマトとの衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。

(指定海難関係人の所為)
A指定海難関係人が、夜間、豊後水道の東側を北上中、同水道西側の関埼付近の水先人乗船地点に向けて同水道を横切る際、大幅な針路の変更を行わなかったばかりか、同水道を南下接近するサ号を避けなかったことは本件発生の原因となる。
A指定海難関係人に対しては、勧告しない。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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