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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成9年6月12日19時15分 北海道苫小牧港外 2 船舶の要目 船種船名 貨物船敬天
貨物船隆井丸 総トン数 499トン 499トン 全長 76.17メートル 73.12メートル 機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関 出力
735キロワット 882キロワット 3 事実の経過 敬天は、飼料などの輸送に従事する船尾船橋型の貨物船で、A、B両受審人ほか3人が乗り組み、ふすまペレット1,200トンを載せ、船首3.15メートル船尾4.28メートルの喫水をもって、平成9年6月12日18時15分北海道苫小牧港第1区の中央南ふ頭を発し、宮城県石巻港に向かった。 発航時、A受審人は、霧のため視界が狭められた状態であったので、航行中の動力船の灯火を表示し、出港作業を終えたB受審人を早めに昇橋させて1号レーダーの監視に、また機関長を見張りにそれぞれ当たらせ、自らは手動で操舵に当たりながら指揮をとり、時々舵輪左横の2号レーダーの監視を行って、機関を微速力前進にかけ、7.0ノットの対地速力で、苫小牧港内を先航するセメントタンカーを追尾して港外に向け進行した。 18時45分ごろA受審人は、開発ふ頭の沖合に差し掛かったとき、苫小牧信号所の指示により、北ふ頭から出航してくる大型船を先航させることにし、いったん行き脚を止めたのち、同時50分ごろ再び機関を前進にかけて徐々に回転を上げ、視程が約200メートルに制限されたなか、霧中信号を行うことも、安全な速力とすることもなく、やがて機関を全速力前進にかけ、11.2ノットの対地速力で続航した。 そして、A受審人は、19時01分東・西両防波堤間の入口付近にあたる、苫小牧港東外防波堤灯台(以下「東外防波堤灯台」という。)から342度(真方位、以下同じ。)300メートルの地点で、針路を223度に定めて自動操舵とし、同一速力で進行した。 19時02分少し過ぎA受審人は、B受審人から右舷船首方4海里に船舶の映像を認めたとの報告を受け、同時05分少し前、東外防波堤灯台から234度1,250メートルの地点に達したとき、再び同人から、同映像が3海里ほどに近づいたとの報告があったので、レーダーを6海里レンジから3海里レンジに切り換えて見たとき、右舷船首12度3.1海里に隆井丸の映像を認めた。 その後、A受審人は、2号レーダーを時々見ていたものの、隆井丸が停泊状態に移りこのままで自船の右舷側を0.25海里ほど隔てて航過できるものと思い、同船の映像を十分に監視していなかったので、19時09分半、隆井丸の映像がほぼ同方位1.5海里となり、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったことに気づかなかった。 19時10分A受審人は、東外防波堤灯台から227度1.6海里の地点に達したとき、B受審人に当直を委ねても大丈夫と思い、隆井丸が安全に航過するまで在橋して操船指揮に当たることも、同人に対して同船の動静を十分に監視するよう指示することもなく、隆井丸が停泊状態に移ったようなのでこの針路で行くようにと告げただけで、夕食をとるため機関長とともに降橋した。 こうして、単独で船橋当直に就いたB受審人は、2号レーダーのところに移動して見張りに当たったが、A受審人から前示のような引継ぎを受けていたことから、隆井丸が停泊船で右舷を対し無難に替わるものと思い込み、同船に対するレーダーによる動静監視を十分に行っていなかったので、依然隆井丸と著しく接近することを避けることができない状況となっていることに気づかず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、必要に応じて行き脚を止めることもなく続航した。 19時13分少し過ぎB受審人は、東外防波堤灯台から226度2.2海里の地点に達し、レーダーを見て隆井丸の映像を船首少し右0.4海里に認めるようになったとき、航過距離を広げようと思い、自動操舵のまま207度の針路に転じて進行した。 B受審人は、19時15分少し前、隆井丸の映像が中心輝点に急速に近づき、自船の船首方に出るように見え、驚いて前方を見たところ、船首方近距離に迫った隆井丸のマスト次いでマスト灯を認め、衝突の危険を感じ、手動操舵に切り換えて右舵一杯をとり、機関を全速力後進にかけたが及ばず、19時15分東外防波堤灯台から224度2.6海里の地点において、敬天は、ほぼ原針路、原速力のまま、その船首が、隆井丸の左舷側中央部に、前方から70度の角度で衝突した。 当時、天候は霧で風はほとんどなく、潮候は上げ潮の末期にあたり、視程は約200メートルで、日没時刻は19時12分であった。 食堂にいたA受審人は、機関音が変わったことに気づき、昇橋しようと食堂を出たとき衝撃を感じ、急いで昇橋して事後の措置に当たった。 また、隆井丸は、主として関東、北海道間の各港で鋼材の輸送に従事する船尾船橋型の貨物船で、C受審人ほか4人が乗り組み、鋼材538トンを載せ、船首2.90メートル船尾4.10メートルの喫水をもって、同日14時50分北海道室蘭港を発し、苫小牧港に向かった。 その後、C受審人は、代理店から苫小牧港内が濃霧なので着岸を見合わせるようにとの連絡を受け、18時少し前早めに昇橋したところ、霧のため視程が200メートル足らずに狭められていることを知り、航行中の動力船の灯火の点灯を確認したものの、霧中信号を行うことも、安全な速力とすることもなく、引き続き機関を全速力前進にかけ、10.0ノットの対地速力で、苫小牧港の検疫錨地付近に投錨仮泊するつもりで進行した。 昇橋して間もなくの18時00分C受審人は、アヨロ鼻灯台から086度7.4海里の地点で、針路を050度に定めて自動操舵とし、同一速力で、前直の一等航海士と2人で2台のレーダーをそれぞれ監視しながら北上し、18時40分ごろ投錨配置に当たらせるため一等航海士を降橋させたのち、このころ昇橋してきた機関長を見張りに就けて続航した。 19時05分半C受審人は、東外防波堤灯台から233.5度3.6海里の地点に差し掛かったとき、反航する第三船の映像が船首方2海里ほどに接近したので、これを避けるため手動操舵に切り換えて針路を070度に転じた。 やがて、C受審人は、19時09分少し前東外防波堤灯台から231度3.1海里の地点に達し、第三船と左舷側を対して無難に航過する状況になったとき、3海里レンジとしたレーダーで、左舷船首15度1.7海里に敬天とその後方にもう1隻の船舶の映像を認め、間もなく敬天が反航船であることを知った。 19時09分半C受審人は、東外防波堤灯台から230.5度3海里の地点に達したとき、敬天の映像を左舷船首15度1.5海里に認めるようになり、方位が明確に変わらないことから、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったことを知った。しかし、同人は、右転をすれば左舷を対して航過できるものと思い、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、必要に応じて行き脚を止めることもなく、19時10分右舵をとって針路を090度に転じ、更に自動による霧中信号の吹鳴を開始して続航した。 19時11分C受審人は、敬天の映像が左舷船首40度1海里に近づいたとき不安を感じ、機関を3.0ノットの極微速力に減じて進行するうち、同時13分敬天の映像が0.5海里にまで接近し、中心輝点に急速に寄ってくるので、衝突の危険を感じ、機関を停止して惰力で進行した。 そして、C受審人は、注意を喚起するつもりでVHFで周囲に呼び掛けたものの、何らの応答も得られず、19時14分衝突の危険を感じ、右舵一杯をとり、更に舵効きを良くして衝突を避けようと思い、機関を全速力前進にかけたところ、左舷ウイングで見張りに当たっていた機関長が「船体が見えた、アスターンだ。」と叫んだので、左舷方を見たとき近距離に敬天を認め、驚いて機関を停止し、続いて全速力後進としたが及ばず、隆井丸は、097度を向き、約2ノットの速力で前示のとおり衝突した。 衝突の結果、敬天は船首部に亀(き)裂を含む凹損を生じ、のち修理されたが、隆井丸は左舷中央部外板に破口を生じて浸水し、間もなく衝突地点付近で沈没し、C受審人ほか3人が敬天によって救助されたものの、甲板長D(昭和27年5月6日生)が行方不明となり、のち遺体で発見された。
(原因) 本件衝突は、霧のため視界制限状態となった苫小牧港外において、南下する敬天が、安全な速力とせず、レーダーによる動静監視不十分で、前路に認めた隆井丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行き脚を止めなかったことと、同港に錨泊する予定で北上する隆井丸が、前路に探知した敬天と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行き脚を止めなかったこととによって発生したものである。 敬天の運航が適切でなかったのは、船長が、前路に隆井丸の映像を探知した後、在橋して自ら操船指揮に当たらなかったこと及び船橋当直者に対して隆井丸のレーダーによる動静監視を十分に行うよう指示しなかったことと、船橋当直者が隆井丸のレーダーによる動静監視を十分に行わなかったこととによるものである。
(受審人の所為) A受審人は、霧のため視界制限状態となった苫小牧港において、B受審人をレーダーによる見張りに就け自ら操船の指揮に当たって南下中、レーダーで前路に隆井丸を認めた場合、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったときに適切な措置がとれるよう、引き続き在橋して自ら操船の指揮に当たるべき注意義務があった。しかるに、同人は、隆井丸が停泊状態に移りこのままで右舷側を無難に替わるように思ったことから、B受審人に当直を委ねても大丈夫と思い、同人に任せて降橋し、引き続き在橋して自ら操船の指揮に当たらなかった職務上の過失により、その後隆井丸と著しく接近する状況となったとき適切な措置をとることができずに衝突を招き、敬天の船首部に亀裂を含む凹損及び隆井丸の左舷側中央部外板に破口をそれぞれ生じさせたほか、隆井丸が沈没し、乗組員1人が溺死するに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。 B受審人は、霧のため視界が著しく制限された苫小牧港を南下中、レーダーにより右舷前方に隆井丸の映像を認めて船長から当直を委ねられた場合、同船と著しく接近することを避けることができない状況となるかどうかを判断できるよう、レーダーによる動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、隆井丸が停泊船でこのままで自船の右舷側を替わるものと思い、レーダーによる動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、隆井丸と著しく接近する状況となったことに気づかず、行き脚を止める措置がとられずに衝突を招き、両船に前示のとおりの損傷を生じさせ、隆井丸が沈没し、乗組員1人が溺死するに至った。 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。 C受審人は、霧のため視界が著しく制限された苫小牧港沖合を、同港に錨泊するつもりで北上中、レーダーにより前路に敬天を認め、その後同船と著しく接近することを避けることができない状況となったのを知った場合、針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行き脚を止めるべき注意義務があった。しかるに、同人は、右転をすれば左舷を対して航過できるものと思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じで行き脚を止めなかった職務上の過失により、行き脚を止める措置が遅れて衝突を招き、両船に前示のとおりの損傷を生じさせ、隆井丸が沈没し、乗組員1人が溺死するに至った。 以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
よって主文のとおり裁決する。
参考図
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