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1998年(平成10年)

平成9年仙審第71号
    件名
貨物船紀栄丸貨物船第三大幸丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年8月27日

    審判庁区分
地方海難審判庁
仙台地方海難審判庁

?橋昭雄、安藤周二、供田仁男
    理事官
黒田均

    受審人
A 職名:紀栄丸船長 海技免状:三級海技士(航海)
B 職名:紀栄丸一等航海士 海技免状:四級海技士(航海)
C 職名:第三大幸丸船長 海技免状:四級海技士(航海)(旧就業範囲)
D 職名:第三大幸丸一等航海士 海技免状:三級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
紀栄丸…船首外板に破口を伴った凹損
大幸丸…左舷外板中央部に破口を生じて浸水

    原因
紀栄丸、大幸丸…狭視界時の航法(信号、速力)不遵守

    主文
本件衝突は、紀栄丸が、視界制限状態における運行が適切でなかったことと、第三大幸丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったこととによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
受審人Cを戒告する。
受審人Dを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成7年6月10日05時05分
青森県八戸港東方沖合
2 船舶の要目
船種船名 貨物船紀栄丸 貨物船第三大幸丸
総トン数 498トン 494トン
登録長 69.81メートル 52.87メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 956キロワット 1,029キロワット
3 事実の経過
紀栄丸は、船尾船橋型の貨物船で、A及びB両受審人ほか3人が乗り組み、空倉のまま、船首1.96メートル船尾3.10メートルの喫水をもって、平成7年6月9日16時20分青森県青森港を発し、岩手県大船渡港に向かった。
A受審人は、船橋当直をこれまでどおり0時から3時までを甲板長、3時から7時までをB受審人及び7時から0時までを自らが行う単独三直制とした。
こうして、A受審人は、出航操船に引き続いて船橋当直に就き、日没とともに航行中の動力船の灯火を表示し、翌10日00時ごろ尻屋埼東南東4.2海里の沖合で次直の甲板長と交替した。その際、当時、三陸沖合に濃霧注意報が発表され、霧模様で視界がしだいに悪化する状況であったが、船橋当直者に対して平素から視界が悪くなれば報告するように指示していたので、視界制限状態になれば当然その旨を報告してくるものと思い、視界制限時には自ら操船指揮を執ることができるようにその旨の報告に関する具体的な指示を与えないまま、自室に退いて休息した。
その後、02時30分B受審人は、むつ小川原港東北東13海里沖合に達したころ、交替のために昇橋して当直に就き、03時00分鮫角灯台から013度(真方位、以下同じ。)23.8海里の地点で、船位が海図に記入された165度の予定針路線より陸岸に寄っていたことから、同針路線に乗せるつもりで針路を163度に定め、機関を全速力前進にかけて10.0ノットの対地速力(以下速力は対地速力である。)で自動操舵により進行した。その後、04時30分鮫角灯台から049度13海里の地点に達したころから霧に見舞われ、間もなく視程が約200メートルに狭められた状態となったが、霧中信号を行うことも、安全な速力とすることもせず、船長に視界制限状態となったことの報告を行うことなく、機関の回転数を少し下げただけで、以後レーダーによる見張りを行いながら9.0ノットのほぼ全速力で続航した。
04時49分半少し過ぎB受審人は、右舷船首6度5.0海里に第三大幸丸(以下「大幸丸」という。)のレーダー映像を初めて認め、同時51分半少し過ぎ右舷船首6度4.3海里に同映像を認めるようになって同船と著しく接近することとなる状況となったが、このことについても船長に報告せず、速やかに大角度の右転をするなど著しく接近することとなる事態を避けるための動作をとることなく、同じ針路及び速力で進行した。
その後、04時59分少し前B受審人は、大幸丸の映像を右舷船首9度2海里に認めるようになったものの、05時00半少し前右舷船首9度1.5海里に同映像を認め、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったことを知ったが、そのままの針路で進行しても近距離ではあるが右舷を対して航過することができると思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減ずることも、必要に応じて行きあしを止めることもなく、3海里レンジにしたレーダーでその映像を監視しながら引き続き同速力のまま続航した。
05時03分半B受審人は、右舷船首9度0.5海里に大幸丸の映像が接近したころ、レーダースコープ中心部の感度調整の不良で同映像を判読することができない状態となったことに不安を抱きながら、同船の動静を確かめようとしてレーダー調整と右舷側船橋ウイングでの見張りとを繰り返しているうちに、同時05分少し前船首右方至近に同船の左舷船首部を視認し、衝突の危険を感じて急いで機関を停止して右舵一杯としたが及ばず、05時05分鮫角灯台から072度12.0海里の地点において、紀栄丸は、168度を向いたとき、その左舷船首部が大幸丸の左舷外板中央部に前方から65度の角度でほぼ原速力のまま衝突した。
当時、天候は霧で風はほとんどなく、視程は約200メートルであった。
A受審人は、自室で休息中のところ衝突の衝撃を感じ、直ちに昇橋して事後の措置にあたった。
また、大幸丸は、船尾船橋型の貨物船で、C及びD両受審人ほか3人が乗り組み、菜種かすなど578トンを載せ、船首3.00メートル船尾4.35メートルの喫水をもって、同月8日15時15分京浜港横浜区を発し、小樽港に向かった。
C受審人は、船橋当直をD受審人と2人で単独6時間制で行うことを基本にしながら、18時から00時までの6時間については前半の3時間を甲板長に単独で行わせることにし、後半の3時間及びその後を6時間毎にD受審人との交替で行うことにした。
出航後間もなくC受審人は、D受審人に船橋当直を委ね、その後甲板長の当直を経て21時から当直に就き、航行中の動力船の灯火を表示して三陸沖合を北上した。
翌9日23時45分C受審人は、閉伊埼灯台の北東4.6海里沖合に至り、00時から当直に就くために昇橋してきたD受審人と交替した。その際、C受審人は、当時、三陸沖合には濃霧注意報が発表され、視界の悪化が予想される状況であったが、まだ霧の兆しも認められなかったし、機関を減速すればたとえ自室で休息中でもそのことに気付いて昇橋することができるものと思い、視界制限状態になった際の報告に関する適切な指示を与えず、視界が悪くなったら減速して機関当直者を見張りの補助にあたらせること及び不安を感じたら知らせることを指示し、自室に退いて休息した。
こうして、当直に就いたD受審人は、翌10日01時43分陸中黒埼灯台の沖合に達したころ、霧模様に見舞われて視程が約1海里となり、その後視界が更に狭められた状態となったが、霧中信号を行うことも、安全な速力とすることもせず船長に視界制限状態となった旨を報告することなく、全速力のまま北上した。
02時56分D受審人は、久慈牛島灯台から077度3.8海里の地点に至り、船位が海図に記入された347度の予定針路線より陸岸に寄り過ぎていたことから、同針路線に戻すつもりで針路349度に定め、引き続き機関を全速力前進にかけたまま10.5ノットの速力で自動操舵により進行した。
04時45分半少し過ぎD受審人は、ほぼ正船首6.3海里に紀栄丸のレーダー映像を初めて認めたころ、朝食交替のために昇橋してきた甲板員と一時当直を交替したが間もなく再昇橋して当直に就きレーダー監視を続けた。同時51分半少し過ぎほぼ正船首4.3海里に同映像を認めるようになり、同船と著しく接近することとなる状況となったが、このことについても船長に報告せず、速やかに大角度の右転をするなど著しく接近することとなる事態を避けるための動作をとることなく、同じ針路及び速力で続航した。
04時55分半少し過ぎD受審人は、ほぼ正船首3海里に同映像を認めるようになり、その後間もなく左舷を対して替わすつもりで10度右転して進行した。同時59分少し前同映像を左舷船首6度2海里に認めるようになり、同船と著しく接近することが避けられない状況となったが、左舷を対して航過することができると思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減ずることも、必要に応じて行きあしを止めることもなく、05時00分半少し前左舷船首6度1.5海里に同映像を認め、更に右転を続けて機関を全速力にかけたまま続航した。同時05分少し前レーダーから目を前方に転じたとき、左舷船首30度200メートルに紀栄丸の船首部を認め、衝突の危険を感じて急いで右舵一杯としたが及ばず、大幸丸は、船首が053度を向いたとき、前示のとおり原速力のまま衝突した。
衝突の結果、紀栄丸は船首外板に破口を伴った凹損を生じ、大幸丸は左舷外板中央部に破口を生じて浸水したが、自力で青森県八戸港に寄せ、のちいずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、夜間、両船が霧による視界制限状態の三陸沖合を航行中、南下する紀栄丸が霧中信号を行わず、レーダーで前路に認めた大幸丸と著しく接近することとなる状況になった際、安全な速力としないまま、大角度の右転をせず、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったとき、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったことと、北上する大幸丸が、霧中信号を行わず、レーダーで前路に認めた紀栄丸と著しく接近することとなる状況になった際、安全な速力としないまま、大角度の右転をせず、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったとき、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったこととによって発生したものである。
紀栄丸の運航が適切でなかったのは、船長の船橋当直者に対する視界制限状態の報告についての指示が十分でなかったことと、船橋当直者の視界制限状態の報告及び措置が適切でなかったこととによるものである。
大幸丸の運航が適切でなかったのは、船長の船橋当直者に対する視界制限状態の報告についての指示が十分でなかったことと、船橋当直者の視界制限状態の報告及び措置が適切でなかったこととによるものである。

(受審人の所為)
A受審人は、夜間、三陸沖合を濃霧注意報が発表されるなど視界の悪化が予想される状況の下で南下する際、部下に単独で船橋当直を任せる場合、視界制限時に自ら操船指揮を執ることができるよう、視界制限状態になった際の報告に関する具体的な指示を与えるべき注意義務があった。しかし、同人は、平素から視界が悪くなれば報告するように指示していたので、視界制限状態になればその旨を報告してくるものと思い、視界制限状態になった際の報告に関する具体的な指示を与えなかった職務上の過失により、船橋当直者から視界制限状態になった際の報告を受けられず、自ら操船指揮を執れなかったことにより衝突を招き、紀栄丸の船首外板に破口を伴う凹損及び大幸丸の左舷外板に破口をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、夜間、霧による視界制限状態の三陸沖合を南下中、レーダーで前路に認めた大幸丸と著しく接近することを避けることができない状況となった場合、針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行きあしを止めるべき注意義務があった。しかし、同人は、右舷を対して航過することができると思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかった職務上の過失により衝突を招き、両船に前示損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
C受審人は、夜間、三陸沖合を濃霧注意報が発表されるなど視界の悪化が予想される状況の下で北上する際、部下に単独で船橋当直を任せる場合、視界制限時に自ら操船指揮を執ることができるよう、視界制限状態になった際の報告に関する適切な指示を与えるべき注意義務があった。しかし、同人は、機関減速すれば自室で休息中でもそのことに気付いて昇僑することができるものと思い、視界が悪くなったら減速して機関当直者を見張りの補助にあたらせること及び不安を感じたら知らせることを指示しただけで、視界制限状態になった際の報告に関する適切な指示を与えなかった職務上の過失により、船橋当直者から視界制限状態になった際の報告を受けられず、自ら操船指揮を執れなかったことにより衝突を招き、両船に前示損傷を生じさせるに至った。
以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
D受審人は、夜間、霧による視界制限状態の三陸沖合を北上中、レーダーで前路に認めた紀栄丸と著しく接近することを避けることができない状況となった場合、針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行きあしを止めるべき注意義務があった。しかし、同人は、左舷を対して航過することができると思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかった職務上の過失により衝突を招き、両船に前示損傷を生じさせるに至った。
以上のD受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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