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1998年(平成10年)

平成9年横審第96号
    件名
油送船第五けいひん丸油送船第三共豊丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年7月23日

    審判庁区分
地方海難審判庁
横浜地方海難審判庁

長浜義昭、猪俣貞稔、勝又三郎
    理事官
長谷川峯清

    受審人
A 職名:第五けいひん丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
B 職名:第三共豊丸船長 海技免状:六級海技士(航海)(履歴限定)
    指定海難関係人

    損害
けいひん丸…左舷側前部に凹損
共豊丸…船首に凹損

    原因
けいひん丸…見張り不十分、船員の常務(新たな危険)不遵守(主因)
共豊丸…動静監視不十分、注意喚起信号不履行、船員の常務(衝突回避措置)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、錨を使用し桟橋に船尾付け繋留中の第五けいひん丸が、見張り不十分で、揚錨を開始し、航行中の第三共豊丸と新たな衝突の危険を生じさせたことによって発生したが、第三共豊丸が、動静監視不十分で、注意喚起信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年5月9日06時35分
京浜港川崎第1区
2 船舶の要目
船種船名 油送船第五けいひん丸 油送船第三共豊丸
総トン数 244トン 103トン
全長 43.01メートル 36.27メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 368キロワット 294キロワット
3 事実の経過
第五けいひん丸(以下「けいひん丸」という。)は、船尾船橋型の鋼製油送船で、A受審人ほか4人が乗り組み、空倉のまま、船首0.0メートル船尾2.2メートルの喫水をもって、平成9年5月8日夕刻から京浜港川崎第1区の多摩川繋(けい)留桟橋(以下「桟橋」という。)に繋留中のところ、翌9日06時25分同港横浜第5区に向かうべく、出航準備にとりかかった。
ところで、桟橋は、大師信号所から059度(真方位、以下同じ。)1,550メートルにあたる桟橋南東端より306度方向に多摩川河口の右岸に沿って構築された、全長498メートル幅3メートルの小型タンカー用繋留桟橋で、桟橋の前面に15メートル間隔で34本の鋼鉄製の繋留用パイルが設置されていて、上流から順に番号が付されていた。パイル1から同22までの距離318メートルの間には、1隻あたり4本のパイルを使用し、そのうち船首尾側各1本のパイルを隣接する他船と共同使用して横付け繋留する平水タンカー用の7バースが設定され、されにそれら各船の外側に最大6隻まで接舷繋留することができ、次にパイル23から桟橋南東端にあたる同34までの距離165メートルの間には、船首両舷錨を使用したうえ隣接する2本のパイルに船尾索をとって船尾付け繋留する11バースが設定されていた。
また、多摩川の左岸側が浅水域となっていることから、桟橋前面の水域は可航幅が約100メートルの狭い水路となっていたが、離桟の順番や船尾付け繋留船のバースは各船船長の判断に委ねられていて、横付け繋留船のバース指定のみが桟橋近くにある東京湾油送船繋船場協同組合多摩川事務所によって行われていた。
当時、桟橋南東端から60メートルのパイル30と同31との間に、けいひん丸が船首両舷錨を2節水際まで延出して船尾付け繋留し、同船の上流345メートルのパイル7と同10との間に第三共豊丸(以下「共豊丸」という。)が単独で左舷付け繋留していた。また、両船間の桟橋には、パイル10と同16との距離90メートルの間に、平水タンカーが2隻ずつ接舷した状態で計4隻が横付け繁留し、けいひん丸の上流105メートルのパイル23と同24との間及びその下流30メートルのパイル26と同27との間に、各1隻のけいひん丸と同型の油送船が船尾付け繋留し、さらにけいひん丸の下流側のパイル31と同32との間に同型の油送船が、パイル32と同33との間にけいひん丸より少し大型の油送船が、それぞれ船尾付け繋留していた。
A受審人は、船首尾部署が配置についたところで、水路に航行中の他船のいないことを確認したうえ、06時29分船尾部署を補助するために降橋し船橋を無人としたため、同時33分左舷船首79度320メートルに離桟し回頭を終えて下航を開始した共豊丸を、船橋から視認できる状況であったものの、このことに気付かず、同時34分船尾索を放ち船橋に戻ったとき、左舷船首69度170メートルに下航中の同船を認めることができたが、風下側となるパイル31と同32との間に繋留中の他船への圧流に気を取られ、上流側の見張りを行わず、下航する共豊丸に依然気付かなかった。
A受審人は、風下側の他船への圧流が気になり、船橋に戻り直ちに揚錨を開始し、適宜機関を微速力前進にかけ2.3ノットの前進行きあしとし、036度の針路で桟橋前面の狭い水路を塞(ふさ)ぐように進出した。
A受審人は、その後も、風下側への圧流が気になり、錨鎖を巻き揚げながら、適宜機関を微速力前進にかけ、共豊丸と新たな衝突の危険を生じさせた状況で進出中、06時35分わずか前錨鎖を1節まで巻き揚げたころ左舷船首至近に接近する共豊丸を初めて視認し、全速力後進としたが、効なく、原針路、同じ行きあしのまま、06時35分桟橋南東端から357度90メートルの地点で、けいひん丸の左舷側前部に共豊丸の船首が前方から80度の角度で衝突した。
当時、天候は曇で風力4の北北西風が吹き、潮候は下げ潮の初期で、視界は良好であった。
また、共豊丸は、船尾船橋型の鋼製平水タンカーで、B受審人ほか2人が乗り組み、空倉のまま、船首0.0メートル船尾1.8メートルの喫水をもって、同日06時30分前示繋留地点を発し、千葉港へ向かった。
B受審人は、離桟後直ちに舵と機関を適宜使用して右回頭し、06時33分桟橋南東端から318度375メートルの地点において、針路を126度に定め、機関を微速力前進にかけ、5.0ノットの対地速力で手動操舵により進行した。
そのころB受審人は、桟橋に船尾付け繋留している数隻の中の、右舷船首11度320メートルに、同船2隻の船体越しに繋留中のけいひん丸の船橋を、及び右舷船首6度320メートルにその船首部をそれぞれ初認したが、出航作業にとりかかっていることに気付かなかった。
B受審人は、自船がすでに桟橋前面の水路を下航しているので、まさか揚錨を開始する他船はあるまいと思い、船尾付け繋留船に対する動静監視を行うことなく下航を続け、06時34分けいひん丸が右舷船首21度170メートルとなったとき、同船が揚錨を開始し、自船の前路に進出して新たな衝突の危険が生じたが、このことに気付かず、直ちに注意喚起信号を行うことも、機関を後進にかけるなどして衝突を避けるための措置をとることもなく進行した。
B受審人は、06時34分半右舷船首16度85メートルに水路を塞ぐように進出してくるけいひん丸の船首部に気付き、危険を感じて機関を全速力後進としたが、及ばず、136度に向首し1.5ノットの行きあしで前示のとおり衝突した。
衝突の結果、けいひん丸は、左舷側前部に凹損を、共豊丸は、船首に凹損をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、京浜港川崎区の多摩川右岸にある桟橋前面の狭い水路において、船首両舷錨を使用し桟橋に船尾付け繋留中のけいひん丸が揚錨を開始する際、見張り不十分で、下航する共豊丸と新たな衝突の危険を生じさせたことによって発生したが、共豊丸が、動静監視不十分で、注意喚起信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
A受審人は、京浜港川崎区の多摩川右岸にある桟橋前面の狭い水路において、船首両舷錨を使用し桟橋に船尾付け繋留中、揚錨を開始する場合、揚錨を終えるまでの間同水路を塞ぐこととなるから、周囲の見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかし、同人は、右舷側に着桟中の他船への圧流に気をとられ、周囲の見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、下航する共豊丸の存在に気付かず、揚錨を開始し同船と新たな衝突の危険を生じさせて衝突を招き、けいひん丸の左舷側前部に凹損を、共豊丸の船首に凹損をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、京浜港川崎区の多摩川右岸にある桟橋前面の狭い水路を下航中、桟橋に船尾付け繋留しているけいひん丸ほか数隻を認めた場合、これらの船が揚錨を開始したら直ちに注意喚起信号を行い、衝突を避けるための措置をとることができるよう、それらの動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかし、同人は、自船がすでに同水路を下航しているので揚錨を開始する他船はあるまいと思い、動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、けいひん丸が揚錨を開始したことに気付かず、直ちに注意喚起信号を行うことも、衝突を避けるための措置をとることもなく進行して衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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