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1998年(平成10年)

平成10年仙審第8号
    件名
貨物船第三大幸丸漁船第七高栄丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年7月16日

    審判庁区分
地方海難審判庁
仙台地方海難審判庁

?橋昭雄、安藤周二、供田仁男
    理事官
上中拓治

    受審人
A 職名:第三大幸丸船長 海技免状:四級海技士(航海)(旧就業範囲)
B 職名:第七高栄丸船長 海技免状:二級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
大幸丸…左舷船尾部に擦過傷
高栄丸…船首部を圧壊

    原因
高栄丸…見張り不十分、横切りの航法(避航動作)不遵守(主因)
大幸丸…警告信号不履行、横切りの航法(協力動作)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、第七高栄丸が、見張り不十分で、前路を左方に横切る第三大幸丸の進路を避けなかったことによって発生したが、第三大幸丸が、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Bを戒告する。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年9月10日12時35分
青森県三沢漁港東方沖合
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第三大幸丸 漁船第七高栄丸
総トン数 494トン 4.9トン
登録長 52.87メートル 11.93メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,029キロワット 308キロワット
3 事実の経過
第三大幸丸(以下「大幸丸」という。)は、船尾船橋型の食用油タンカーで、A受審人ほか4人が乗り組み、空倉のまま、船首1.80メートル船尾2.90メートルの喫水をもって、平成9年9月9日12時20分北海道小樽港を発し、京浜港横浜区へ向かった。
翌10日11時50分A受審人は、鮫角灯台から020度(真方位、以下同じ。)19.7海里の地点に達し、三沢漁港東方沖合にさしかかったとき、一等航海士と交代して単独で船橋当直に就き、針路を166度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、11.1ノットの対地速力で陸地沿いに南下した。
定針したころ、A受審人は、左舷前方に沖合から三沢漁港の方に向かう数組の漁船群を認め、目視とレーダーとでその動きを観察したところ、至近に接近してから避航動作をとる小型漁船もおり、注意しながら進行するうち、12時17分少し前左舷前方5海里に漁船群から離れてこれに後続する第七高栄丸(以下「高栄丸」という。)を初めて視認した。
12時22分A受審人は、すべての漁船群が右舷方に替わったのち、高栄丸のレーダー映像を左舷船首35度3.5海里に測定するとともに、同船が小型漁船であることを認めて動静監視を行い、同時28分鮫角灯台から035度14.4海里の地点に至ったとき、高栄丸が同方向2海里となり、その後前路を右方に横切り衝突のおそれがある態勢で接近することを知って、針路、速力を保持して続航した。
12時33分A受審人は、高栄丸が適切な避航動作をとらないまま0.5海里に接近したものの、小型漁船なので至近に接近してからでも避航するものと思い、警告信号を行わず、更に間近に接近して同船の動作のみでは衝突を避けることができない状況となったが、速やかに機関を停止するなどの衝突を避けるための協力動作をとることなく、操舵を手動に切り替えただけで、同針路、同速力のまま進行した。
12時34分半A受審人は、高栄丸が150メートルに近づいてようやく衝突の危険を感じ、右舵一杯をとったが及ばず、12時35分鮫角灯台から039度13.5海里の地点において、大幸丸は、船首が225度を向いたとき、原速力のまま、その左舷船尾部が高栄丸の船首に後方から45度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力3の北東風が吹き、視界は良好であった。
また、高栄丸は、船体後部寄りに操舵室を有するFRP製漁船で、B受審人ほか2人が乗り組み、いか一本つり漁の目的で、船首0.5メートル船尾1.5メートルの喫水をもって、同日05時三沢漁港を発し、同港東方沖合の漁場に向かった。
07時B受審人は、漁場に到着し、直ちに操業を開始したが、やがて、北方からのうねりが高くなって僚船が帰航し始めたので、操業をやめ、11時37分鮫角灯台から060度21海里の地点を発進して三沢漁港に向け帰途に就いた。
B受審人は、乗組員を前部甲板上で操業の後片付けにあたらせ、自らは単独で船橋当直に就き、発進と同時に針路を270度に定めて自動操舵とし、しぶきが甲板上に打ち上がることから機関の回転数を全速力前進よりも少し減じ、10.0ノットの対地速力で多数の船舶が南北に航行する三陸沖合を西行した。
B受審人は、舵輪後方に立ち、操舵室前面の顔とほぼ同じ高さの窓ガラスを通して前方の見張りを行い、同ガラス下端と舵輪との間に設けられた棚上のレーダーを作動し、12時06分後片付けを終えた乗組員を操舵室後方の船員室で休ませ、引き続き船橋当直を行った。
12時22分B受審人は、鮫角灯台から054度15海里の地点に至ったころ、しぶきがかかって見にくくなった窓ガラス越しに周囲を見渡したものの、他船を見かけなかったうえ3海里レンジとしたレーダーにも先航する僚船の映像しか認めなかったので、しばらくの間は僚船以外の他船と出会うことがないものと思い、舵輪後方の操舵室の床に腰を下ろして右舷側を向き、持参した弁当を食べ始め、周囲の見張りを行わないまま進行した。
12時28分B受審人は、鮫角灯台から043度14.3海里の地点に達したとき、右舷船首41度2海里のところに大幸丸を視認でき、その後同船が前路を左方に横切り衝突のおそれがある態勢で接近する状況であったが、依然として周囲の見張りを十分に行わなかったので、この状況に気付かず、できる限り早期に右転するなどして大幸丸の進路を避けないで続航中、高栄丸は、原針路、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
B受審人は、衝撃で衝突したことを知り、事後の措置にあたった。
衝突の結果、大幸丸は左舷船尾部に擦過傷を生じ、高栄丸は船首部を圧壊したが、のちいずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、三沢漁港東方沖合において、両船が互いに進路を横切り衝突のおそれがある態勢で接近中、西行中の高栄丸が、見張り不十分で、前路を左方に横切る大幸丸の進路を避けなかったことによって発生したが、南下中の大幸丸が、適切な避航動作をとらないまま接近する高栄丸に対して警告信号を行わず、間近に接近した際、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
B受審人は三沢漁港東方沖合において、単独で船橋当直に就いて漁場から帰航する場合、三陸沖合を南北に航行する多数の船舶と互いに進路が交差していたから、右舷前方から衝突のおそれがある態勢で接近する大幸丸を見落とすことのないよう、右舷前方の見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかし、同人は、周囲を見渡したとき僚船しかいなかったことから、しばらくの間は僚船以外の他船と出会うことがないものと思い、操舵室の床に腰を下ろして弁当を食べ、右舷前方の見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、大幸丸の進路を避けないまま進行して衝突を招き、同船の左舷側船尾部に擦過傷を生じさせ、高栄丸の船首部を圧壊させるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人は、単独で船橋当直中、前路を右方に横切り衝突のおそれがある態勢で接近した高栄丸の動作のみでは衝突を避けることができない状況となった場合、速やかに機関を停止するなどの衝突を避けるための協力動作をとるべき注意義務があった。しかし、同人は、高栄丸が小型漁船なので至近になってからでも避航するものと思い、速やかに機関を停止するなどの衝突を避けるための協力動作をとらなかった職務上の過失により衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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