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1998年(平成10年)

平成9年長審第63号
    件名
引船第三国広丸防波堤衝突事件〔簡易〕

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年3月5日

    審判庁区分
地方海難審判庁
長崎地方海難審判庁

高瀬具康
    理事官
副理事官 尾崎安則

    受審人
A 職名:船長 海技免状:五級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
船首部を圧壊、機関長が10日間の通院加療を要する頭皮裂傷

    原因
水路調査不十分

    主文
本件防波堤衝突は、水路調査が十分でなかったことによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
適条
海難審判法第4条第2項、同法第5条第1項第3号
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年2月22日20時10分
佐賀県呼子港
2 船舶の要目
船種船名 引船第三国広丸
総トン数 76.04トン
全長 23.80メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 514キロワット
3 事実の経過
第三国広丸(以下「国広丸」という。)は、船首船橋型の鋼製引船で、A受審人ほか2人が乗り組み、船首1.30メートル船尾2.80メートルの喫水をもって、平成9年2月22日06時鹿児島県の阿久根港を発し、独航により関門港下関区に向かい、九州西岸沿いに北上したのち同北西岸沖合を東行した。
A受審人は、佐賀県呼子港北方の加唐島南方水道を東行するうち、北東風が強まり、玄界灘の航行が危険と考え、呼子港に避難することとし、19時54分呼子平瀬灯標から127度(真方位、以下同じ。)1,200メートルの地点で、針路を212度に定め、機関を全速力前進にかけ、8.0ノットの対地速力で進行した。
ところで、呼子港は、東口と西口とがあって、東口北側の北防波堤南端と中防波堤北端との間が小型漁船の通路であり、同口南側の中防波堤南端と南防波堤北端との間が一般船舶の出入する通路をなしており、右舷標識の呼子港中防波堤南灯台と左舷標識の呼子港南防波堤灯台(以下「南防波堤灯台」という。)がそれぞれ設置されていた。
20時03分半A受審人は、鷹島灯台から088度420メートルの地点に至り、呼子港の東口に針路を向けることとし、以前に同港入港の経験を有していたものの最近の入航経験がなく、東口付近の水路状況につき記憶が定かでなかったが、いずれ東口に近づけば防波堤が見えてくるものと思い、海図に当たって十分な水路調査を行うことなく、ひとまず針路を230度に転じて続航した。
A受審人は、転針後右舷船首方に南防波堤灯台の緑灯を認めることになったものの、同灯光が左舷標識で南防波堤の中間に向かっていることに気付かず、操舵室の窓ガラスが曇っていたせいもあって、同防波堤の黒影を視認できないまま進行中、国広丸は、20時10分南防波堤灯台から139度75メートルの地点において、船首が同防波堤北東側に、原針路、原速力のまま衝突した。
当時、天候は晴で風力5の北東風が吹き、潮候は上げ潮の末期であった。
衝突の結果、防波堤には損傷がなかったが、国広丸は、船首部に圧壊を生じ、のち修理されたが、船尾甲板で入航配置についていた機関長Bが10日間の通院加療を要する頭皮裂傷を負った。

(原因)
本件防波堤衝突は、夜間、荒天避難の目的で呼子港に入航するにあたり、同港東口付近の水路調査が不十分で、南防波堤に向首進行したことによって発生したものである。

(受審人の所為)
A受審人は、夜間、加唐島南方水道を東行中、荒天となって最寄りの呼子港にその東口から避難入航する場合、最近同港に入航したことがなく東口付近の水路事情について記憶が定かでなかったから、海図に当たって十分な水路調査を行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、東口に近づけば防波堤が見えてくるものと思い、海図による十分な水路調査を怠った職務上の過失により、南防波堤に向かっていることに気付かないまま進行して同防波堤に衝突し、船首部を圧壊する損傷を生じ、乗組員に頭皮裂傷を負わせるに至った。






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