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1998年(平成10年)

平成9年那審第20号
    件名
引船第八阿蘇丸引船列漁船奈津丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年3月5日

    審判庁区分
地方海難審判庁
門司地方海難審判庁那覇支部

長浜義昭、東晴二、井上卓
    理事官
阿部能正

    受審人
A 職名:第八阿蘇丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
B 職名:奈津丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
阿蘇丸引船列…曳航索の一部に擦過傷
奈津丸…推進器及び舵板が曲損

    原因
阿蘇丸引船列…操船不適切(水域の選定)

    主文
本件衝突は、第八阿蘇丸引船列が、曳航索の短縮作業を行う水域の選定が不適切であったことによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成8年12月17日04時26分
沖縄県那覇港
2 船舶の要目
船種船名 引船第八阿蘇丸 台船石嶺1号
総トン数 19トン
全長 17.25メートル 42.00メートル
幅 4.59メートル 16.00メートル
深さ 1.90メートル 3.00メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 625キロワット
船種船名 漁船奈津丸
総トン数 4.0トン
登録長 10.30メートル
機関の種類 ディーゼル機関
漁船法馬力数 70
3 事実の経過
第八阿蘇丸(以下「阿蘇丸」という。)は、鋼製引船で、A受審人ほか3人が乗り組み、前部に高さ2.1メートルのアメリカ合衆国の軍用小型車両10台、後部に高さ2.6メートルの軍用トラック10台等をそれぞれ載せて船首1.0メートル船尾1.5メートルの喫水となった、左右両舷及び船尾が高さ1.8メートルのブルワークで囲まれ、船首部にランプウェイを備えた鋼製台船石嶺1号(以下「台船」という。)を、台船の船首両舷にY字型に取り付けた、直径80ミリメートル、船首から索端までの長さ30メートル、比重0.91の合成繊維製曳(えい)航索と、阿蘇丸の船尾から伸出した直径80ミリメートル、長さ170メートル、比重0.91の合成繊維製曳航索とでつないで引船列を構成し、船首1.0メートル船尾2.7メートルの喫水をもって、平成8年12月16日21時36分沖縄県伊江港を発し、那覇港軍港岸壁に向かった。
ところで、那覇港内の北側に浦添第1防波堤が、西側に新港第1防波堤が、外防波堤としてそれぞれ設置されており、防波堤の入口として、浦添第1防波堤東端東側の入口、倭口(やまとくち)と称する浦添第1防波堤西端と新港第1防波堤北端との間の入口及び新港第1防波堤南端南側の入口があり、倭口の東方には内防波堤(南)及び同(北)が、内防波堤の内側には新港安謝小船溜(だま)りや浦添埠(ふ)頭がそれぞれ設けられていた。倭口と内防波堤入口とを結ぶ間は、水揚げのため夜間に新港安謝小船溜りに向かう漁船が多数航行する水域であり、かつ、倭口と内防波堤入口とを結ぶ線の東方延長線上には浦添埠頭にある36基の660ワット高圧ナトリウムランプ照明装置等、陸上の明かりが多数存在していて、倭口から内防波堤入口に向かう船舶の見張りが妨げられる状況であった。
A受審人は、平素、入航前には阿蘇丸側の曳航索を同船の船尾甲板上にある曳航索用ウインチのリールドラムに巻き取り、次に台船側の曳航索の索端を阿蘇丸の曳航用フックにかけて曳航索を短縮していた。その際、A受審人は、曳航索を、負荷のかからない状態として、人力で誘導してリールドラムに整然と巻く必要があることから、曳航索を伸ばしたまま阿蘇丸を台船に接舷し、両船から海面にU字状に伸出した状態の曳航索を巻き取っていた。
A受審人は、探照灯で照射したとしてもその様な状態の曳航索を、夜間に他船からは視認することができなかったが、探照灯を照射すれば、同索を視認することができて避航するものと思い、那覇港入航に際し、外防波堤の外側等船舶の航行しない安全な水域を曳航索短縮の作業水域に選定せず、1,500メートルほど離れた倭口と内防波堤の入口とを結ぶ線の中間付近を作業水域とすることとし、また、那覇水路への入航時刻が翌17日07時に指定されていたことから、同水域で錨泊して時間調整を行うこととして進行した。
こうしてA受審人は、浦添第1防波堤東端の東側を経由して外防波堤内側の水域に至り、翌17日04時13分倭口と内防波堤の入口とを結ぶ線の中間付近の水深約20メートルの水域に達したとき、台船に甲板員1人を配置してその船尾から錨を投じ、鋼製錨索を50メートル伸出したのち、曳航索を伸出したまま阿蘇丸を左回頭し、同時24分那覇港新港第1防波堤北灯台(以下「北灯台」という。)から086度(真方位、以下同じ。)910メートルの地点において、193度に向首した台船の左舷側前部に、阿蘇丸の左舷側を接舷した。
そしてA受審人は、阿蘇丸の、海面からの高さが8.5メートルのマスト頂部に設置された法定の錨泊灯、同高さが2.5メートルの船尾甲板を照明する200ワットの作業灯1基、及び同高さが4.1メートルの操舵室上部に設置され船尾方100メートル付近の海面に向けた500ワットの探照灯1基をそれぞれ点じた。一方、台船には、法定の錨泊灯の設備がなかったので、船首ランプウェイの2本の支柱の頂部及び船尾中央部のブルワーク上にそれぞれに設置された、単1乾電池4個を電源とした1.5ワット光達距離2キロメートルの白色単閃(せん)光の標識灯3基を点じた。
しかし、西方から台船に接近する他船からは、阿蘇丸の船体、探照灯及び作業灯が台船や積荷の陰になっていて視認することができず、また、引船列の南方海面に向けて照射されている探照灯の明かり及び阿蘇丸の錨泊灯が、陸上の明かりに粉れて識別することが困難であったが、A受審人は、これらのことにも思いが及ばなかった。
A受審人は、ただちに阿蘇丸の船尾に位置し指揮をとり、機関長をウインチ操作に、甲板員1人を曳航索がリールドラムに整然と巻かれるように誘導する作業にそれぞれ配置し、引船列から海面にU字状になって100メートル南方に伸出した曳航索を巻き取り始めた。
A受審人は、そのころ左舷船尾83度900メートルのところに、奈津丸の白、紅、緑3灯を視認することができ、その後同船が曳航索に向けて接近したが、船尾から巻き揚げられてくる曳航索を注視するなどしていて、周囲の見張りを行わず、奈津丸の存在に気付かなかった。
A受審人は04時25分半奈津丸が左舷船尾75度120メートルに接近して機関を中立とし右転したものの、なおも白、紅2灯を示して曳航索に向首、接近していることに気付かず、作業を続けていたところ、04時26分北灯台から091度880メートルの地点において、錨泊中の引船列からU字状になって南方に伸出した曳航索の、台船船首から70メートル付近に、奈津丸の船首が衝突した。
当時、天候は晴で風力2の南風が吹き、潮候は下げ潮の末期で、視界は良好であった。
また、奈津丸は、潜水器漁業に従事するFRP製漁船で、B受審人ほか3人が乗り組み、船首0.2メートル船尾0.4メートルの喫水をもって、同月16日18時新港安謝小船溜りを出航し、沖縄県慶伊瀬島周辺の漁場に至って操業し、ぶだい等約100キログラムを獲り、翌17日04時同漁場を発し、航行中の動力船が掲げる法定の灯火を表示し、前部甲板の照明のため操舵室前方の船員室前面外側に下向きに設置された60ワットの作業灯1基を、見張りの妨げとならないように潜水服の袖部分を切断したもので遮(しゃ)光した状態で点じ、水揚げのため同小船溜りに向かった。
B受審人は、漁場発進時から、機関を全速力前進にかけて17.0ノットの対地速力とし、手動操舵で船橋当直にあたり、船橋内の左舷側と船首部に甲板員各1人を配し、倭口へ向けて進行し、04時23分半北灯台から300度400メートルの地点に達したとき、針路を内防波堤の入口に向首する097度に定め、浦添埠頭の照明装置等陸上の明かりが多数存在し前路の見張りが妨げられていたので、レーダーによる見張りを行って続航した。
B受審人は、04時24分少し前左舷船首1度1,040メートルに台船のレーダー映像を認め、ついで同時25分少し前左舷船首2度500メートルに台船の船影を視認し、倭口と内防波堤の入口とを結ぶ線の中間付近で、日ごろ船舶が錨泊しない水域に位置していたことから、無人の台船が単独で漂流しているものと思った。
B受審人は、その後、台船の南方海面100メートル付近が探照灯で照射されている状況や、台船越しに阿蘇丸の錨泊灯及び台船の標識灯を、背後の陸上の明かりに紛れてそれぞれ視認することができなかったものの、台船の船影の監視を続け、台船を左舷側に20メートル離して航過できることを確認しながら、原針路で進行した。
B受審人は、04時25分半台船の船首を左舷船首12度100メートルに認め、曳航索の存在を予測することも、視認することもできなかったが、安全を期すため、機関を中立とし、台船との航過距離をさらに50メートル離すつもりで、針路を124度に転じ、惰力で続航し、同時26分わずか前台船の船首を左舷側に70メートル離して航過したので、再び機関を港内全速力前進にかけて10.0ノットの対地速力とし、那覇港浦添灯浮標に向首するよう092度の針路とした直後、前示のとおり、衝突した。
B受審人は、衝撃を感じ、浮遊物に接触したものと思って直ちに機関を中立にし、乾電池式強力ライトで海面を照射したところ、索を認め、その後台船に向かって引き付けられるので曳航索と衝突したことに初めて気付き、事後の措置にあたった。
衝突の結果、阿蘇丸引船列は、曳航索の一部に擦過傷を生じ、のち新替えされ、奈津丸は、推進器及び舵板が曲損し、のち修理された。

(原因に対する考察)
本件は、夜間、那覇港の外防波堤の内側において、錨泊、接舷状態の引船列から海面にU字状に伸出した曵航索と、入航中の奈津丸とが衝突したものであるが、以下その原因について考察する。
引船列の錨泊地点は、港則法の適用される那覇港港域内であるが、錨泊の制限された水域や航路内ではない。しかし、同地点は、倭口と内防波堤の入口とを結ぶ線の中間付近で、夜間に倭口を経由して内防波堤の内側の新港安謝小船溜りにある那覇市沿岸漁業協同組合の市場に入航する多数の漁船が航行する水域であり、また、倭口と内防波堤の入口とを結ぶ線の東方延長線上の浦添埠頭にある照明装置等多数の陸上の明かりに紛れ、倭口から内防波堤の入口に向かう船舶の見張りが妨げられる水域であった。
引船列は、法定の錨泊灯に代えて標識灯3灯を表示し、南方に向いて錨泊中の台船の東側に、法定の錨泊灯を表示し、かつ、探照灯を南方海面100メートル付近に向けて照射した阿蘇丸が接舷中であったところ、倭口から内防波堤の入口に向かう奈津丸は、陸上の明かりが多数存在し前路の見張りを妨げられていたので、レーダーによる見張りを行いながら進行中、台船のレーダー映像を認め、引船列の灯火を識別できなかったものの、続いて台船の船影を視認し、その後その動静監視を続けながら、同船を十分離す針路で続航し、引船列から海面にU字状になって南方に数十メートル伸出した状態の曳航索の先端付近と衝突したものである。
漁労中の動力船の灯火や、航行中の引船列の灯火は、漁具や曳航索の存在を示すが、接舷状態の引船列の南方海面に向けて照射された探照灯の明かり、阿蘇丸の錨泊灯及び台船の標識灯を他船が認めたとしても、それらの灯火により、引船列から海面にU字状に100メートルほど伸出した曳航索の存在を予見することは不可能であり、また、引船列が音響による注意喚起信号を行ったとしても、同曳航索の存在を予見することは不可能あり、今回奈津丸がとったところの、機関を中立にし、台船を70メートル離して航過する針路とした措置以上の措置を期待できない。
曳航索の比重は0.91で、その極一部分が海面に浮いているだけであり、夜間、探照灯で照射されていたとしても、接近する他船から曳航索を視認することはできない。
よって、引船列が、夜間、接舷状態の阿蘇丸及び台船から海面にU字状になって南方に100メートルほど伸出した曳航索の巻き取り作業を行う際には、同作業を行っていることを接近する奈津丸が予見することも、曳航索を視認することもできないのであるから、他船の航行しない水域を選定すべきであり、漁船の多数航行する那覇港の倭口と内防波堤の入口とを結ぶ線の中間付近の水域で同作業を行ったことは、本件発生の原因となる。

(原因)
本件衝突は、夜間、那覇港において、阿蘇丸引船列が、入航準備のため、曳航索を伸出したまま阿蘇丸を台船に接舷し、海面にU字状に伸出した曳航索の短縮作業を行う際、同作業を行う水域の選定が不適切で、水揚げのため新港安謝小船溜りに向かう漁船が多数航行する、倭口と内防波堤の入口との間の水域において、曳航索の短縮作業を行ったことによって発生したものである。

(受審人の所為)
A受審人は、夜間、那覇港において、入航準備のため、曳航索を伸出したまま阿蘇丸を台船に接舷し、海面にU字状に伸出した曳航索の短縮作業を行う場合、探照灯で照射したとしてもその様な状態の曳航索を他船から視認することが困難であったのであるから、外防波堤の外側等船舶の航行しない安全な水域を作業水域に選定すべき注意義務があった。しかるに、同人は、探照灯を照射しておけば接近する他船が曳航索を視認することができて避航するものと思い、船舶の航行しない安全な水域を作業水域に選定しなかった職務上の過失により、水揚げのため新港安謝小船溜りに向かう漁船が多数航行する、倭口と内防波堤の入口とを結ぶ線の中間付近の水域において、曳航索の短縮作業を行い、曳航索と、前路の同索を視認することができないまま入航中の奈津丸との衝突を招き、曳航索に擦過傷を、奈津丸の舵及び推進器に曲損をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人の所為は、本件発生の原因とならない。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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