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1998年(平成10年)

平成9年広審第77号
    件名
貨物船雄瑞丸貨物船日鋼丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年3月31日

    審判庁区分
地方海難審判庁
広島地方海難審判庁

亀山東彦、上野延之、黒岩貢
    理事官
清水正男

    受審人
A 職名:雄瑞丸船長 海技免状:三級海技士(航海)(旧就業範囲)
C 職名:日鋼丸船長 海技免状:三級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
雄瑞丸…左舷側後部に破口を伴う深さ約20センチメートルの凹損
日鋼丸…船首部を圧壊

    原因
日鋼丸…動静監視不十分、横切りの航法(避航動作)不遵守(主因)
雄瑞丸…警告信号不履行、横切りの航法(協力動作)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、日鋼丸が、動静監視不十分で、前路を左方に横切る雄瑞丸の進路を避けなかったことによって発生したが、雄瑞丸が、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Cを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成8年10月29日20時14分
瀬戸内海伊予灘西航路
2 船舶の要目
船種船名 貨物船雄瑞丸 貨物船日鋼丸
総トン数 5,930トン 499トン
全長 134.66メートル 72.73メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 9,988キロワット 1,029キロワット
3 事実の経過
雄瑞丸は、船首船橋型のロールオン・ロールオフ貨物船で、A受審人及びB指定海難関係人ほか9人が乗り組み、コンテナー、車両、シャーシー及び農機など合計390ユニットを載せ、船首5.3メートル船尾6.1メートルの喫水をもって、平成8年10月28日17時40分京浜港東京区有明埠頭を発し、豊後水道及び関門海峡経由で福岡県博多港に向かった。
A受審人は、通常は航海当直に入らず、出入港、狭水道及び狭視界時等に操船指揮に当たることとしており、翌29日足摺岬沖を航過したあと、17時20分ごろ高知県沖ノ島と蒲葵島(びろうじま)間の狭い水路を抜ける際に操船指揮に当たり、同時50分ごろ同水路を抜けたあと一等航海士に当直を委ねることとしたが、平素から当直者に対して、危険が迫ったときには汽笛の吹鳴、機関操作をためらうな、必要があればいつでも船長に報告するように指示し、また、その旨を船橋に掲示しており、一等航海士に引き続いで瀬戸内海での当直予定である無資格のB指定海難関係人が海技免状を受有していると思っていたこともあって、特に指示する必要はないと思い、接近する他船と衝突のおそれがある際には必ず報告するよう、平素の指示を徹底しないまま降橋して休息した。
その後の当直に当たった一等航海士は、豊後水道を北上し、19時48分佐田岬灯台から231度(真方位、以下同じ。)1.5海里の地点で、針路を伊予灘西航路の推薦航路線に沿う333度に定めて機関を全速力前進にかけ、折からの北流に乗じてわずかに右に圧流されながら20.8ノットの対地速力で自動操舵により進行し、同時55分ごろD甲板手とともに昇橋したB指定海難関係人に当直を引き継ぎ降橋した。
B指定海難関係人は、引き継いだ針路、速力のまま前路の見張りに当たりながら操船の指揮を執り、20時05分佐田岬灯台から319度5.7海里の地点に達したとき、左舷船首30度3.0海里に日鋼丸の白・白・緑灯を初認し、その後同船が前路を右方に横切り、衝突のおそれがある態勢で接近していることを認めたが、その旨をA受審人に報告せず、自船が保持船であるから相手船が避けてくれるものと思い、同じ針路、速力のまま続航した。B指定海難関係人は、その後も日鋼丸の動静を監視し、同船が避航の気配がないまま20時12分同方位1,200メートルに接近したのを認めたものの、依然として同船の避航を期待して、警告信号を行わず、更に接近しても大きく右転するなど衝突を避けるための協力動作をとることなく、同時13分同方位600メートルに接近したとき、注意を喚起するためピストル式発光信号器を日鋼丸の船橋に向けて点滅したが、なおも避航の気配がないまま接近するのを見て危険を感じ、同時14分少し前、急いで手動操舵に切換え右舵10度としたものの、船尾が左に振れるとむしろ危険が増すと思って直ちに舵中央に戻したが及ばず、雄瑞丸は、20時14分佐田岬灯台から324度8.8海里の地点において、ほぼ原針路、原速力のままその左舷後部に日鋼丸の船首が前方から80度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力2の南風が吹き、付近には1.5ノットの北流があった。
A受審人は、衝撃で衝突を知り、直ちに昇橋して事後の処置に当たった。
また、日鋼丸は専ら鋼材輸送に従事する船尾船橋型貨物船で、C受審人ほか6人が乗り組み、スラブ1,516.4トンを載せ、船首3.8メートル船尾4.6メートルの喫水をもって、同日18時30分大分港乙津泊地を発し、大阪港堺泉北区に向かった。
C受審人は、出航操船に当たり、防波堤を替わって港域外に出た18時42分大分港乙津東防波堤灯台から038度0.9海里の地点で、針路を053度に定め、機関を全速力前進にかけたあと自動操舵として一等航海士に当直を委ねて降橋した。
一等航海士は、同じ針路のまま10.4ノットの対地速力で進行し、別府航路第2号灯浮標を右舷に航過したあと、19時30分ごろ佐田岬灯台から279度10.7海里の地点辺りから速吸瀬戸を抜けた北流の影響を受け、左方に8度圧流されて実航針路045度で続航し、19時45分ごろ再び昇橋したC受審人に当直を引き継いで降橋した。
C受審人は、立って前路を見張りながら当直に当たり、当時の北流で圧流されていることは分かっていたものの、伊予灘西航路を横切ってから右転するつもりで同じ針路のまま進行中、20時05分佐田岬灯台から314度8.7海里の地点に達したとき、右舷船首70度3.0海里に前路を左方に横切り衝突のおそれのある状態で接近する雄瑞丸の灯火を視認し得る状況であったが、周囲に散在する漁船に気をとられていたので同船を認めなかった。C受審人は、20時10分同方位1.4海里となった雄瑞丸の白・白・紅灯を初めて視認したものの、一見しただけで同船の方が速力が速く見えたので自船の前路を無難に横切るものと思い、そのころ左舷方から接近する南下船の動静を気にして雄瑞丸のその後の動静を監視しなかったので、同船と衝突のおそれがあることに気付かず、その進路を避けないまま同じ針路、速力で続航中、南下船が自船の船尾方を無難に航過したあと、20時13分半少し過ぎ、右舷間近に接近した雄瑞丸を認め、急いで手動操舵に切り替えて右舵一杯としたが及ばず、日鋼丸は、船首が右転して073度に向首したとき、原速力のまま前示のとおり衝突した。
衝突の結果、雄瑞丸は左舷側後部に破口を伴う深さ約20センチメートルの凹損を生じ、日鋼丸は船首部を圧壊したが、のちいずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、夜間、伊予灘において、東行する日鋼丸が、動静監視不十分で、前路を左方に横切る雄瑞丸の進路を避けなかったことによって発生したが、北上する雄瑞丸が、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
雄瑞丸の運航が適切でなかったのは、船長が当直者に対して、接近する他船と衝突のおそれがある際には報告するよう、平素の指示を徹底しなかったことと、当直者が他船の接近を船長に報告せず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったこととによるものである。

(受審人等の所為)
C受審人は、夜間、単独で当直中、前路を左方に横切る態勢の雄瑞丸の灯火を視認した場合、同船との衝突のおそれの有無を判断できるよう、その後の動静を監視すべき注意義務があった。しかしながら、同人は、一見しただけで同船が自船の前路を無難に横切るものと思い、その後の動静を監視しなかった職務上の過失により、雄瑞丸の進路を避けないまま進行して同船との衝突を招き、雄瑞丸の左舷後部に破口を伴う凹損と自船の船首部を圧壊させるに至った。
以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人が、当直者に対して平素の指示を徹底しなかったことは、本件発生の原因となるが、平素から報告についての指示を行い、その指示を船橋に掲示していたことに鑑み、過失とするまでもない。
B指定海難関係人が、日鋼丸の接近を船長に報告せず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことは本件発生の原因となるが、同人が十分反省していることに徴し、勧告しない。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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