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1998年(平成10年)

平成9年長審第41号
    件名
漁船福漁丸漁船艫恵丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年1月14日

    審判庁区分
地方海難審判庁
長崎地方海難審判庁

保田稔、関?彰、安藤周二
    理事官
平良玄栄

    受審人
A 職名:福漁丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
C 職名:艫恵丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
福漁丸…左舷船首部に亀裂
艫恵丸…右舷船尾端に亀裂、舵板、推進器に曲損及び転覆して主機などにぬれ損、船長が頚髄損傷などで全治6箇月及び同人の妻が長期間の通院加療を要する全身打撲傷

    原因
福漁丸…見張り不十分、船員の常務(避航動作)不遵守

    主文
本件衝突は、福漁丸が、見張り不十分で、前路で停留中の艫恵丸を避けなかったことによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成8年2月22日10時25分
熊本県魚貫埼西方沖合
2 船舶の要目
船種船名 漁船福漁丸 漁船艫恵丸
総トン数 9.7トン 4.17トン
全長 16.11メートル 11.35メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
漁船法馬力数 120 70
3 事実の経過
福漁丸は、はえ縄漁業に従事するFRP製漁船で、A受審人及びB指定海難関係人の2人が乗り組み、船首0.50メートル船尾1.00メートルの喫水で、平成8年2月22日09時25分その前日から餌の積込みなどのために寄港していた熊本県牛深港を発し、ふぐ漁の目的をもって同県魚貫埼北西方沖合の漁場に向かった。
ところで、福漁丸の就労体制は、海技免許を受有しているA受審人が船長であったものの運航指揮を執らず、長兄である海技免許を受有していないB指定海難関係人がすべてを取り仕切り、出入航操船などにも当たり、A受審人がそれに従うという形態で行われていた。
A受審人は、発航後魚貫埼北西方の漁場に向かうこととし、小型漁船などが多数出漁している同埼西方海域を通過して北上することとなったが、B指定海難関係人が操船に慣れているので大丈夫と思い、自ら操船に当たることなく、同人に操船をゆだねたままオーニングを張った前部甲板上ではえ縄の釣り針に餌を付ける作業に当たった。
こうしてB指定海難関係人は、発航時から操船に当たり、09時53分牛深大島灯台から349度(真方位、以下同じ。)0.7海里の地点に達したとき、針路を337度に定め、機関を7ノットのほぼ全速力前進にかけて進行し、間もなく12海里レンジとしたレーダー画面により周囲を見たところ、前路3ないし4海里に操業中の漁船らしき多数の船舶の映像を探知したものの、漁船群まで遠いので、しばらくの間ふぐ漁に備えて漁具の整備や釣り針に餌を付ける作業を行うため、自動操舵として操舵室から船尾甲板上に出た。
B指定海難関係人は、10時20分半正船首1,000メートルばかりに、漁船群のうちに艫恵丸を視認でき、同船が対水速力を有せず停留中であることを容易に判断できる状況であったが、漁船群までまだ距離があるものと思い、前路の見張りを十分に行わずに依然として船尾甲板上で作業を続け、艫恵丸の存在に気付かず原針路、原速力のまま同船を避けずに続航中、10時25分牛深大島灯台から339度4.4海里の地点において、福漁丸は、その船首が艫恵丸の船尾右舷部に後方から20度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力1の北風が吹き、視程は10海里ばかりで海上は平穏であった。
A受審人は、衝撃で初めて衝突に気付き、艫恵丸の乗組員の救助などに当たった。
また、艫恵丸は、刺し網漁業に従事するFRP製漁船で、C受審人が同人の妻と2人で乗り組み、船首0.33メートル船尾0.92メートルの喫水で、同日08時00分熊本県魚貫埼漁港付近の係留地を発し、仕掛けていた刺し網を揚収する目的をもって魚貫埼西方漁場に向かった。
C受審人は、08時30分衝突地点付近の漁場に至り、機関を停止回転とし、漁ろう中を示す形象物としてかごを所持していたものの、これを掲げないままその代用のつもりで縦30センチメートル横50センチメートルの赤旗を掲げ、間もなく右舷船首部の揚網機で全長約900メートルの両端に標識旗を付けた刺し網の揚網を始め、自ら同機の操作に当たり、同人の妻をその後方で揚網した刺し網から漁獲したかれいを外したり同網を手繰って整理するなどの作業に当たらせ、付近一帯に多数の僚船などが操業したり行き交ったり、また、漁網などの標識旗が多数散在する海域において、時折周囲を見渡しながら同作業を継続した。
C受審人は、時化が続いたためかれいのほかに海草などが刺し網に絡み揚網にてこずりながらも約半分の網を揚収し、10時23分半わずか過ぎ多数認めていた他船のなか、右舷船尾20度300メートルのところに自船に向首接近する態勢の福漁丸を認めた。しかし、僚船や近隣地区の漁船が漁模様を問い合わせるためや互いの漁網が交錯しないようにその延出方向を確認するため自船に接近することが日常的にあったので何らの不審を感じず、また、行き交う漁船であればいずれも数十メートルの距離を隔てて自船を避けて通過していたことから、福漁丸もそのうち速力を減じるか自船を避けるものと思いながら同船を監視していた。
こうしてC受審人は、10時25分わずか前船首を357度に向けた状態で福漁丸が40メートルに迫ったとき、同人の妻が同船を見て船首部の構造などから地元の漁船でないとの疑問を待ち、しかも依然として全速力で接近することから初めて危険を感じたものの、網が揚網機に掛かったままであったので、どうすることもできず、妻と共に船首端に寄り両手を上げて大声で叫んだが、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、福漁丸は、左舷船首部に亀(き)裂を生じ、艫恵丸は、右舷船尾端に亀裂、舵板、推進器に曲損及び福漁丸に押され左舷側に転覆して主機などにぬれ損を生じ、艫恵丸の乗組員2人が海中に投げ出されて刺し網に絡まったものの、それぞれ自力で浮上し、C受審人が頚髄損傷などで全治6箇月及び同人の妻が長期間の通院加療を要する全身打撲傷などをそれぞれ負った。

(原因に対する考察)
本件衝突は、漁場に向けて航行中の福漁丸と漁ろう中を示す形象物を掲げないまま赤旗を掲げて刺し網揚網中の艫恵丸との間で発生したものであるが、両船の関係については、福漁丸が、航行中の動力船であると、また、艫恵丸が、法定の形象物を表示せずに赤旗を掲げて刺し網を揚網していたという実態と、少なくとも対水速力を持たない状態であることが客観的に認められる状況であったことを考え合わせれば、これを停留中の船舶とそれぞれ認め、航行中の福漁丸が停留中の艫恵丸を避けるべきものと判断するのが相当である。
福漁丸において、船長が発航時からの操船をしていなかったことと操船者が見張りを行っていなかったこととにより、見張り不十分となって艫恵丸を見落としたことは、本件発生の原因となる。
艫恵丸において、船長が揚網中という実態を示す法定の形象物を表示していなかった点については、十分に反省を求めるべき点であって遺憾とするも、本件時において漁ろうに従事していると客観的に評価できないのみで、本件時の状況から本件結果との関係がなく、また、衝突を避けるための措置をとらなかった点については、発生海域の特殊性、すなわち、一般航行船の航行帯より沿岸寄りであること、多数の同種漁船が同様に操業中で漁網などの標識が多数散在する海域で、かつ、漁港等の出入り口などでないこと、更に僚船などが情報交換や網の状態確認のためなどで互いに至近距離に接近することが日常的に行われていることなどを考え合わせればやむを得ないと認めることができ、本件発生の原因とはならない。

(原因)
本件衝突は、熊本県魚貫埼西方沖合において、福漁丸が、見張り不十分で、前路で停留中の艫恵丸を避けなかったことによって発生したものである。
福漁丸の運航が適切でなかったのは、船長が操船に当たらなかったことと、操船者が十分な見張りを行わなかったこととによる。

(受審人等の所為)
A受審人は、熊本県魚貫埼西方の小型漁船などが多数操業する海域を通過して漁場に向けて航行する場合、自ら操船に当たるべき注意義務があった。しかし、同人は、B指定海難関係人が操船に慣れているので大丈夫と思い、自ら操船に当たらなかった職務上の過失により、前部甲板上ではえ縄の釣り針に餌を付ける作業に当たり艫恵丸を避けないまま進行して衝突を招き、福漁丸が左舷船首部に亀裂並びに艫恵丸が転覆して機関ぬれ損等及び乗組員2人が負傷するに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B指定海難関係人が、熊本県魚貫埼西方の小型漁船などが多数操業する海域を漁場に向けて航行中、船尾甲板上でふぐはえ縄漁の準備作業に従事し、前路の見張りを十分に行わなかったことは、本件発生の原因となる。
B指定海難関係人に対しては、A受審人の運航指揮模様に徴し、勧告するまでもない。
C受審人の所為は、本件発生の原因とならない。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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