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1998年(平成10年)

平成8年門審第27号
    件名
油送船第一内海丸貨物船バーブ・ウラ衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年1月23日

    審判庁区分
地方海難審判庁
門司地方海難審判庁

酒井直樹、川本豊、藤江哲三
    理事官
森田秀彦

    受審人
A 職名:第一内海丸船長 海技免状:三級海技士(航海)
B 職名:バーブ・ウラ水先人 水先免状:関門水先区
    指定海難関係人

    損害
内海丸…船首部を圧壊
バ号…右舷船首部及び右舷船尾部外板に破口を伴う凹損

    原因
内海丸…港則法の航法(右側通行、避航動作)及び船員の常務(前路進出)不遵守

    二審請求者
受審人A

    主文
本件衝突は、第一内海丸が、関門航路大瀬戸の屈曲部で、バーブ・ウラと行き会う際、航路の右側を航行しなかったばかりか、航路の右側を航行中のバーブ・ウラの前路に向けて進出したことによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成7年11月11日20時37分
関門海峡大瀬戸付近
2 船舶の要目
船種船名 油送船第一内海丸 貨物船バーブ・ウラ
総トン数 1,583トン 10,508トン
全長 93.00メートル 134.00メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,471キロワット 8,531キロワット
3 事実の経過
第一内海丸(以下「内海丸」という。)は、船尾船橋型油送船で、A受審人ほか10人が乗り組み、灯油2,174キロリットル及び軽油1,007キロリットルを載せ、船首4.80メートル船尾6.00メートルの喫水をもって、平成7年11月11日12時30分大分県大分港を発し、関門海峡経由で福井県福井港に向かった。
A受審人は、19時20分下関南東水道第2号灯浮標付近で昇橋し、同時40分部埼灯台を通過したとき、船橋当直中の一等航海士を関門海峡通航の補佐に、甲板手を手動操舵に当たらせて自ら操船指揮を執り、航行中の動力船の灯火のほか危険物積載を示す紅色閃光灯を表示して関門海峡中央水道から関門航路に入り大瀬戸に向け南下した。
A受審人は、20時31分半、山底ノ鼻灯台から174度(真方位、以下同じ。)500メートルの地点に達したとき、針路を小倉日明第1号灯浮標の少し北方に向く258度に定め、機関を全速力前進にかけ、11.0ノットの対地速力で関門航路の中央寄りを進行した。
定針したときA受審人は、数分前から右舷前方近距離に認めていた自船より小型で少し速力の遅い同航船の左舷側に並航したので、金ノ弦岬南東方の転針予定地点の手前で追い越すつもりで続航した。
A受審人は、20時33分、金ノ弦岬灯台から111度720メートルの地点で、右舷船首29度2,200メートルのところに金ノ弦岬灯台の陰から現れたバーブ・ウラ(以下「バ号」という。)の白、白、紅三灯を初認し、その後バ号が自船より大型の関門航路東行船であることを知り、その動静監視に当たって進行した。
A受審人は、20時34分、金ノ弦岬灯台から135度480メートルの地点に達し、バ号の方位が変わらず1,650メートルに接近したとき、関門航路大瀬戸の屈曲部で東行するバ号と行き会う態勢にあることを知り、前示右舷側の同航船が早めに右転しないと自船が右転できないまま航路の左側に進出するおそれがあった。しかしながら、同人は、同航船が右転したのち自船が右転してもバ号と左舷を対してなんとか航過できるものと思い、速やかに減速し、同航船の船尾を替わして航路の右側を航行することなく、同針路のまま続航した。
A受審人は、20時35分、関門航路第11号灯浮標を右舷側200メートルに並航したとき、方位が変わらず1,050メートルに接近したバ号が航路に沿って徐々に左転しているのを認め、一等航海士から右舷船尾近距離となった前示同航船が右転したとの報告を受けたが、直ぐには右転できずに直進を続け、同航船が右方に替わるのを確認したのち、同時36分少し前、航路の中央付近に達したとき、右舵を令した。
20時36分、金ノ弦岬灯台から215度580メートルの地点に達して自船が右転を始めたとき、A受審人は、右舷船首20度420メートルに接近したバ号が左転を続けているのを認め、急ぎ航路右側に戻ろうとして短音一回の汽笛を吹鳴し、右舵一杯、機関全速力後進を令して右回頭を強めたところ、左転中のバ号の前路に進出する態勢となり、20時37分、金ノ弦岬灯台から239度570メートルの地点において、340度を向き、前進惰力が4ノットになった内海丸の船首が、バ号の右舷船首部に後方から80度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力2の南西風が吹き、潮候は上げ潮の末期で、付近海域には潮流がなく、視界は良好であった。
また、バ号は、船尾船橋型貨物船で、船長Cほか34人が乗り組み、べニヤ板約1,700トンを載せ、船首4.50メートル船尾7.00メートルの喫水をもって、同日15時12分福岡県博多港を発し、関門海峡経由で山口県岩国港に向かった。
C船長は、関門海峡西口に向け響灘を東行し、20時ごろ六連島の北方1海里ばかりの地点で受審人B及び関門水先区水先修業生Dを乗せ、関門海峡通過の水先を依頼した。
B受審人は、C船長、二等航海士、操舵手及びD水先修業生とともに船橋配置に就き、航行中の動力船の灯火を表示して自主規制航路を南下したのち20時17分、関門航路に入航し、大瀬戸に向け南下中、同時29分半、関門航路第8号灯浮標を右舷側に通過し、同時30分、大山ノ鼻灯台から306度1,580メートルの地点に達したとき、大瀬戸第1号導灯を正船首少し右方に見る147度に針路を定め、機関を港内全速力前進にかけ、11.5ノットの対地速力で、航路の右側を進行した。
B受審人は、20時33分大山ノ鼻灯台から274度700メートルの地点に達したとき、左舷船首40度2,200メートルのところに、金ノ弦岬灯台の陰から現れた内海丸の白、白、緑3灯のほか紅色閃光灯と、その右舷側近距離に同航する第3船の白、白、緑3灯をそれぞれ初認した。
その後、B受審人は、内海丸とその同航船の動静監視に当たって続航し、20時34分半、大山ノ鼻灯台を右舷側550メートルに航過して内海丸が方位が変わらず1,620メートルに接近したとき、航路の屈曲に沿いながら徐々に左転して大瀬戸第2号導灯に向くよう、短音二回の汽笛を吹鳴して左舵少しを令した。
B受審人は、20時35分、金ノ弦岬灯台から261度1,030メートルの地点に達して内海丸が1,050メートルに接近し、自船が徐々に左転を始めたとき、大瀬戸の関門航路第11号灯浮標付近に差し掛かった内海丸の右舷船尾至近のところに同航する第3船の緑灯が紅灯に変わるのを認めたが、内海丸は緑灯を見せたまま方位が変わらず接近するので、内海丸は航路を斜航して小倉日明東岸壁に向かうものと思い、同時35分半、金ノ弦岬灯台から253度920メートルの地点に達して内海丸が左舷前方720メートルに接近したとき、機関停止を令し、惰力進行しながら内海丸の動静監視を続けた。
20時36分、B受審人は、金ノ弦岬灯台から246度800メートルの地点に達し、船首が110度に向いたとき、ほぼ正船首420メートルに迫った内海丸が、自船に向けて右転しているのを認め、危険を感じて左舵一杯、機関全速力後進を令し、汽笛により短音五回の警告信号を連続して吹鳴したが、及ばず、船首が060度に向き、前進惰力が4ノットになったとき、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、内海丸は船首部を圧壊し、バ号は右舷船首部及び右舷船尾部外板に破口を伴う凹損を生じた。

(原因)
本件衝突は、夜間、関門航路大瀬戸の屈曲部において、西行する内海丸が、東行するバ号と行き会う際、航路の右側を航行しなかったばかりか、航路の右側を航行中のバ号の前路に向けて進出したことによって発生したものである。

(受審人の所為)
A受審人は、夜間、関門航路を西行中、同航路大瀬戸の屈曲部で東行するバ号と行き会う場合、バ号と互いに左舷を対して無難に航過できるよう、関門航路の右側を航行すべき注意義務があった。しかるに、同人は、右舷側の同航船が右転したのち自船が右転してもバ号と左舷を対して航過できるものと思い、速やかに減速するなどして関門航路の右側を航行しなかった職務上の過失により、右転できないまま直進を続け、バ号の前路に進出して衝突を招き、内海丸の船首部を圧壊し、バ号の右舷船部及び右舷船尾部外板に破口を伴う凹損を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第四条第二項の規定により、同法第五条第一項第三号を適用して同人を戒告する。
B受審人の所為は本件発生の原因とならない。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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