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1998年(平成10年)

平成9年広審第48号
    件名
貨物船第二東栄丸貨物船オリエント・イーグル衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年5月28日

    審判庁区分
地方海難審判庁
広島地方海難審判庁

黒岩貢、釜谷獎一、織戸孝治
    理事官
田邉行夫

    受審人
A 職名:第二東栄丸一等航海士 海技免状:三級海技士(航海)
B 職名:第二東栄丸二等航海士 海技免状:五級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
東栄丸…右舷船首外板に凹損を生じたが、のち修理され、オ号は、左舷船首外板にわずかな凹傷

    原因
オ号…見張り不十分、海交法の航法(避航動作)不遵守(主因)
東栄丸…動静監視不十分、警告信号不履行、海交法の航法(協力動作)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、水島航路に沿って南下中のオリエント・イーグルが、見張り不十分で、備讃瀬戸北航路に沿って西行中の第二東栄丸の進路を避けなかったことによって発生したが、第二東栄丸が、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成8年7月29日18時13分
瀬戸内海 備讃瀬戸
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第二東栄丸 貨物船オリエント・イーグル
総トン数 370トン 4,476.00トン
全長 57.82メートル 98.90メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 735キロワット 2,427キロワット
3 事実の経過
第二東栄丸(以下「東栄丸」という。)は、専ら徳山下松港で積んだ苛性ソーダを西日本各港に輸送する船尾船橋型ケミカルタンカーで、船長D及びA、B両受審人ほか2人が乗り組み、空倉のまま、船首0.80メートル船尾2.85メートルの喫水をもって、平成8年7月29日11時15分大阪港を発し、徳山下松港に向かった。
D船長は、航海当直を2直6時間交代制とし、自らの当直には機関長を補佐に就け、もう一方の当直にA、B両受審人及び機関部職員を配し、来島海峡通過時や狭視界時には自ら昇橋して操船に就くようにしていた。D船長は出港操船後引き続き当直に立って播磨灘を西行したが、備讃瀬戸の航行については、A、B両受審人が十分な経験を持っていたため任せることとし、船舶が輻輳(ふくそう)するときや天候が急変したときは報告するよう指示し、16時45分ごろ地蔵埼南方沖合で、A受審人に当直を引き継いだ。
ところで、東栄丸では、、瀬戸内海を頻繁に航行することから、同海域の事情に詳しい船橋当直者が常時操舵、操船に当たれるようにとの配慮から、休暇等により、2人の航海士のうち1人が不慣れな者であっても、他方の航海士を主たる任務に当たらせることにより、支障なく当直が行われるよう、2人一組の航海士による当直体制がとられていた。
こうしてA、B両受審人は、二等機関士を見張りに就かせて備讃瀬戸東航路を西行することとなったが、B受審人も、他の航海士と当直に就くときは主たる当直航海士の任務を務めていたことから、両受審人は、それぞれ操舵操船を1時間毎に交代し、単独で船橋当直に当たることとし、非番の航海士は適宜、休息をとることとした。
17時44分A受審人は、小槌島灯台から022度(真方位、以下同じ。)2,000メートルの地点に達して備讃瀬戸東航路第1号灯浮標を右舷側200メートルに並航したとき、針路をほぼ航路に沿う250度に定め、機関を11.5ノットの全速力前進にかけ、折からの潮流に乗じて14.0ノットの対地速力で進行し、同時49分小槌島灯台から313度1,700メートルの地点で操舵操船をB受審人に引き継ぎ、交代後は、操舵室左舷側後部の椅子に腰を掛けて休息した。
B受審人は、まもなく右舷船首わずか右の備讃瀬戸北航路と水島航路との交差部付近に漁船数隻を認め、これらに注意しながら続航中、18時09分牛島灯標から069度4,000メートルの地点に至り、北備讃瀬戸大橋に差し掛かったころ、右舷船首23度1,700メートルに水島航路に沿って南下中のオリエント・イーグル(以下「オ号」という。)を初めて認めたが、同船が行先信号を表示していなかったものの、一瞥(べつ)しただけで前示漁船群をかわし終えたら右転して備讃瀬戸北航路を西行するものと思い、動静監視を十分に行うことなく、その後方位に明確な変化のないまま衝突のおそれのある態勢で接近したが、このことに気付かなかった。
18時11分B受審人は、依然、動静監視不十分で、オ号が右舷船首20度800メートルに接近したことに気付かず、警告信号を行うことも、更に接近する同船に対し衝突を避けるための協力動作をとらないまま進行中、同時12分半200メートルに迫ったオ号を認めて驚き、機関を全速力後進とするとともに左舵一杯としたが及ばず、東栄丸は、18時13分牛島灯標から068度2,300メートルの地点において、248度を向首し、10ノットまで減速したその右舷船首が、オ号の左舷船首に、後方から28度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風はほとんどなく、潮候は上げ潮の中央期で、付近には2.5ノットの西南西流があった。
D船長は、衝突の衝撃で昇橋し、事後の措置に当たった。
また、オ号は、本邦と中華人民共和国との間に就航する船尾船橋型貨物船で、C指定海難関係人ほかフィリピン共和国の船員16人が乗り組み、鋼材約3,500トンを積載し、船首4.0メートル船尾5.3メートルの喫水をもって、同日17時00分水島港を発し、京浜港横浜区に向かった。
C指定海難関係人は、出発後、一等航海士を補佐に就け、甲板手を操舵に当たらせて水島航路を南下したところ、備讃瀬戸海上交通センターより備讃瀬戸北航路を大型船が西行する旨の連絡を受け、機関を停止するなどして同船をやり過ごし、18時06分牛島灯標から042度2,900メートルの地点に達し、水島航路第5号浮標を右舷側200メートルに並航したとき、行先信号を表示せずに、針路を146度に定め、折からの潮流による25度ばかりのリーウェイにより171度の進路とし、機関を半速力前進として6.5ノットの対地速力で航路に沿って進行した。
18時09分C指定海難関係人は、牛島灯標から053度2,500メートルの地点に達したとき、左舷船首53度1,700メートルに備讃瀬戸北航路に沿って西行中の東栄丸を視認し得る状況となり、その後方位に明確な変化のないまま衝突のおそれのある態勢で接近していたが、ちょうどそのころ正船首わずか右にコマセ網漁に従事する漁船数隻と点在するボンデンを認め、これに気を取られていたことから、見張り不十分となり、東栄丸に気付かず、速力を減ずるなどして同船の進路を避けないまま続航した。
18時10分少し過ぎC指定海難関係人は、牛島灯標から058度2,400メートルの地点に至り、コマセ網を避けるため20度ばかり左転し、その後原進路線に戻そうと徐々に右転中、同時11分ほぼ原針路を向首していたとき、左舷船首56度800メートルに東栄丸を初めて認めたが、同船がコマセ網を避けるためいずれ右転して自船の後方をかわるものと思い、機関停止としただけで依然同船の進路を避けず、右舷側のウイングに出てコマセ網に注意し惰力で進行中、同時12分一等航海士からの報告で同船がほぼ同方位400メートルに接近したことを知って驚き、直ちに機関を全速力後進とし、同時12分半右舵一杯としたが及ばず、オ号は、220度を向首して3ノットとなったとき、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、東栄丸は、右舷船首外板に凹損を生じたが、のち修理され、オ号は、左舷船首外板にわずかな凹傷を生じた。

(原因)
本件衝突は、水島航路と備讃瀬戸北航路との交差部において、水島航路に沿って南下中のオ号が、見張り不十分で、備讃瀬戸北航路に沿って西行中の東栄丸の進路を避けなかったことによって発生したが、東栄丸が、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。

(受審人等の所為)
B受審人は、備讃瀬戸北航路を航行中、水島航路を南下するオ号を認めた場合、同船との衝突の有無を判断できるよう、その動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、一瞥しただけで同船は備讃瀬戸北航路を西行するものと思い、動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、オ号との衝突を招き、東栄丸の右舷船首外板に凹損を、オ号の左舷船首外板にわずかな凹傷をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
C指定海難関係人は、水島航路を南下する際、見張りを十分に行わなかったことは、本件発生の原因となる。
C指定海難関係人に対しては、勧告しない。
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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