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1998年(平成10年)

平成8年第二審第41号
    件名
旅客船ニューながと貨物船ウエストウッド・マリアンヌ衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年11月25日

    審判庁区分
高等海難審判庁
原審広島

松井武、小西二夫、葉山忠雄、平田照彦、雲林院信行
    理事官
森田秀彦

    受審人
A 職名:ニューながと船長 海技免状:三級海技士(航海)(旧就業範囲)
B 職名:ニューながと二等航海士 海技免状:三級海技士(航海)
C 職名:ウエストウッド・マリアンヌ水先人 水先免状:内海水先区
    指定海難関係人

    損害
ニューながと…右舷船尾に破口など、積荷の車両4台の塗膜に損傷、船首部船底に凹損
ウ号…船首部ブルワークなどに曲損

    原因
ウ号…動静監視不十分、追い越しの航法(避航動作)不遵守(主因)
ニューながと…動静監視不十分、警告信号不履行、追い越しの航法(協力動作)不遵守(一因)

    二審請求者
理事官原清澄、補佐人鈴木邦裕

    主文
本件衝突は、ニューながとを追い越すウエストウッド・マリアンヌが、動静監視不十分で、その進路を避けなかったことによって発生したが、ニューながとが、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Cを戒告する。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成6年11月15日23時46分
瀬戸内海来島海峡西水道
2 船舶の要目
船種船名 旅客船ニューながと 貨物船ウエストウッド・マリアンヌ
総トン数 14,988トン 28,805トン
全長 185.50メートル 199.90メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 23,830キロワット 8,362キロワット
3 事実の経過
ニューながとは、可変ピッチプロペラを装備する2基2軸で、船首端から約29メートル後方に船橋を有し、関門港と神戸港との間に定期運航される旅客船兼自動車渡船で、A、B両受審人ほか32人が乗り組み、トラックなど車両165台及び旅客259人を乗せ、船首5.78メートル船尾6.42メートルの喫水をもって、平成6年11月15日18時関門港を発し、瀬戸内海を経由して神戸港に向かった。
ところで、A受審人は、船橋当直を4時間交替の3直制とし、各直を1人の航海士と2人の甲板部員に行わせ、自らは、出入航時のほか釣島水道、来島海峡、備讃瀬戸及び明石海峡の操船指揮に当たっていた。
A受審人は、23時17分ごろ安芸灘南航路第4号灯浮標の南西方2海里ばかりの地点で、来島海峡航路(以下「航路」という。)の通航のため昇橋したところ、当直中のB受審人から前路1海里ばかりにわたって数隻の同航船が存在しているので、針路を予定より5度右に向けているとの報告を受け、ウエストウッド・マリアンヌ(以下「ウ号」という。)を含む同航船の船尾灯を初めて視認した。
そこで、A受審人は、自ら操船に当たることとし、B受審人をレーダー監視に、2人の甲板部員を操舵と見張りとにそれぞれ当たらせ、機関を22.9ノットの全速力前進にかけ、航行中の動力船の灯火を表示して航路の西口に向け東行した。
23時20分A受審人は、航路入航に備えて機関用意を指示し、同時26分半桴(いかだ)磯灯標から261度(真方位、以下同じ。)1.4海里の航路の西口付近に達したとき、航路内を先航している前示同航船群との接近を避けて来島海峡航路第2号灯浮標(以下、来島海峡航路浮標の名称については「来島海峡航路」を省略する。)と第4号灯浮標との中間付近から航路に入るつもりで、針路を057度に定め、折からの約2ノットの逆潮流により20.9ノットの対地速力で進行した。
23時30分半A受審人は、桴磯灯標から332度1,100メートルの、航路の南側境界線上に達したところで航路に入ろうとしたが、そのまま入航すると、前路近距離の航路内を航行しているウ号とその前後の同航船に接近することから、航路外を航行することとし、針路を109度に転じた。
こうして、A受審人は、23時31分少し前第4号灯浮標付近の航路外で航路内のウ号を追い越したのち、同時35分同船の前方1,100メートルのところで航路に入り、同時37分小島東灯標から320度2,000メートルの地点において、針路を航路に沿う125度に転じたとき、両船の船間距離が1,550メートルで、その距離は増大する状況であった。
そのころ、A受審人は、レーダーを監視していたB受審人から、右舷前方に同航中の小型船4隻がおり、これら船舶を西水道北口の航路屈曲部に達するまでに追い越すことができないとの報告を受け、同小型船群に追尾するため、23時37分半ウ号との船間距離が1,700メートルとなったとき、機関を12.0ノットの半速力前進に減じ、10,0ノットの対地速力として続航した。その際、念のためB受審人に前後の同航船との船間距離を測定させたところ、同受審人からレンジを0.75海里としたレーダーには、後方に映像を認めないとの報告を受け、ウ号とはかなり離れていると判断し、右舷前方の小型船4隻のうち最後尾の小型船との船間距離を0.25海里に保つため、23時38分機関を微速力前進とし、7.0ノットの対地速力とした。
23時38分半小島東灯標から325度1,450メートルに達したとき、A受審人は、ウ号が右舷船尾7度1,600メートルのところから自船を追い越す態勢となり、西水道北口の航路屈曲部付近で自船に追い付き衝突のおそれがあったが、前方の小型船の動静に気を奪われ、レーダー監視中のB受審人に後方のウ号の動静を報告させるなど、十分な操船補佐を指示することも、自らレーダーで同船の動静を十分に監視することもしなかったので、このことに気付かず、同小型船の後方に従うため、適宜機関を半速力及び微速力前進に使用しながら、8.8ノットの対地速力で進行した。
一方、B受審人は、レーダー監視を続けていたが、前示小型船4隻の映像に気を奪われ、レンジを0.75海里としたレーダーの中心点を0.5海里下方に移動し、船首方は1.25海里、船尾方は0.25海里をそれぞれ探知できるように調節したまま、レーダーのレンジを適切に切り替えるなどして後方のウ号の動静を監視せずにいて、同船の接近状況に気付かず、A受審人にこのことを報告するなど、十分な操船補佐を行わなかった。
そのため、ウ号が衝突のおそれのある態勢で更に接近していたが、A受審人は、警告信号を行わず、23時43分小島東灯標から021度550メートルの西水通北口の航路屈曲部付近に達したとき、前示最後尾の小型船が強い北流の影響を受けて急速に速力を減じながら、自船の前方0.2海里のところを右方から左方に替わる態勢となったのを認め、同船を避けるとともに航路の右側端に沿って航行しようと右舵一杯を令して機関を4.0ノットの極微速力前進とした。
その際、A受審人は、操舵室前部中央のところで前方に注意を払い、ウ号の動静監視を行わなかったので、同船が右舷船尾10度1,000メートルのところにいて、その後急速に接近していたが、このことに依然として気付かないまま回頭を続け、間もなく同小型船が左舷方に替わったので舵を中央に戻させ、惰力で航路に沿う針路まで回頭することとして続航した。
23時44分A受審人は、レーダーのレンジを1.5海里に切り替えたB受審人と見張りについていた甲板部員とからウ号が右舷船尾方から接近しているとの報告を受けたものの、後方から接近する同船が避航動作をとるものと思い、また、西水道に入る針路が気になり、その接近模様を確認しなかったため、同船の動作のみでは衝突を避けることができない状況であったのに、速やかに右転を中止するなど、衝突を避けるための協力動作をとらないまま進行した。
A受審人は、23時44分半回頭惰力により西水道に入る態勢となったことから、操舵室内を移動して右舷後方を見たところ、ウ号が著しく接近しているのを知り、増速して同船から遠ざかろうと機関を港内全速力前進、続いて同時45分航海全速力前進としたが及ばず、23時46分小島東灯標から062度370メートルの地点において、船首が170度に向き、8.0ノットの対地速力となったとき、ニューながとの右舷側後部に、ウ号の船首が後方から40度の角度で衝突した。
当時、天侯は曇で風力4の北風が吹き、潮候は下げ潮の中央期で、衝突地点付近海域には約3ノットの北流があった。
また、ウ号は、船尾船橋型コンテナ船で、船長Dほか22人が乗り組み、便乗者4人を乗せ、コンテナ貨物など8,999トンを積載し、船首6.50メートル船尾8.00メートルの喫水をもって、平成6年11月14日20時48分(現地時刻)大韓民国釜山港を発し、神戸港に向かった。
C受審人は、翌15日15時20分関門海峡東口の部埼沖合で同僚の内海水先人1人とともにウ号に乗船し、その後同僚水先人が水先業務に当たる間休息し、20時30分伊予灘第7号灯浮標付近で同水先人と交代して業務に就き、三等航海士が船橋当直をする中、操舵手による手働操舵で、航行中の動力船の灯火を表示し、釣島水道を経由して安芸灘を東行した。
C受審人は、23時15分来島梶取鼻灯台を右舷側0.6海里に見て通過し、そのころD船長が昇橋したのを知り、同時27分半桴磯灯標から308度1海里のところで航路に入って針路を085度に定め、機関用意として15.0ノットの全速力前進とし、折からの約2ノットの逆潮流により13.0ノットの対地速力で進行した。
C受審人は、航路入航のころ3隻の同航船を追い越し、23時31分少し前右舷船尾方にニューながとの多数の客室内灯などを初めて認め、同時32分半桴磯灯標から017度1,400メートルの地点で針路を航路に沿う122度に転じ、間もなく第4号灯浮標を右舷側200メートルばかりに見て通過したとき、ニューながとが右舷側の航路外を高速力で自船を追い越して先航しているのを認めた。
C受審人は、23時38分桴磯灯標から085度1.2海里のところで針路を125度に転じ、同時38分半左舷船首7度1,600メートルのところを先航するニューながとが、更にその先を航行する4隻の小型船との関係で減速しているのを認め、同船を追い越すこととなるのを知った。
しかし、C受審人は、ニューながとが左舷船首方に位置し、航過時には正横間隔が200メートルになることから、そのままの針路、速力で航行しても追い越せると思い、その後動静監視を十分に行っていなかったので、同船が小型船を避けるために減速するとともに航路屈曲部で航路の右側端に沿って航行するため右転したときには、衝突のおそれのあることに気付かず、減速して同船の後方につくなどしてニューながとの進路を避けることなく続航した。
C受審人は、23時43分小島東灯標から323度1,150メートルの地点にきたとき、ニューながとが左舷船首10度1,000メートルのところで、更に速力を減じながら右転を始めたが、依然動静監視不十分で、同船を追い越せるものとして進行し、同時45分自船船首が潮流によって左方に振られるのを抑えるため、右舵10度を指示し、潮流の影響により12.0ノットの対地速力となり、続いてニューながとの右舷側を追い越そうとして右舵20度をとらせて回頭中、同時46分少し前左舷船首至近に迫ったニューながとを認めたが、どうすることもできず、汽笛による長音1回を吹鳴し、続いてD船長が短音数回を吹鳴し、右舵一杯、機関停止としたものの及ばず、船首が130度を向いたとき、原速力で前示のとおり衝突した。
衝突の結果、ニューながとは右舷船尾外板に破口など及び積荷の車両4台の塗膜に損傷を生じ、ウ号に押されて右回頭をしながら進行して、23時47分小島東灯標から186度180メートルの地点で船首部が小島北東端付近の浅所に乗り揚げ、同部船底に凹損を生じ、ウ号は船首部ブルワークなどに曲損を生じたが、のちいずれも修理された。

(主張に対する判断)
本件は、夜間、来島海峡の西水道北口の航路屈曲部において、ウ号がニューながとに後方から接近して衝突したものであるが、ウ号側補佐人は、「ウ号を追い越して先航したニューながとが、十分安全に自船から遠ざかる前に一方的な都合で減速したため衝突したもので、減速したときの船間距離は約1,000メートルであり、ニューながとがウ号を追い越す関係は終了していない。」旨を主張するので、以下この点について検討する。
ところで、ニューながとは、航路南側の航路外を航行し、航路内を航行するウ号を第4号灯浮標付近で追い越したのち、ウ号に先航する態勢となって航路内に入ったものである。
確かに、ニューながとは、第4号浮標付近の航路外においてウ号を追い越しており、航路外を航行したこと自体は航路航行義務に違反する行為であるが、本件との因果関係は認められない。
また、ニューながとは、航路内に入り、ウ号と同一針路で航行する態勢となった23時37分の時点においては、両船間の距離が1,550メートルで、両船の速力からその船間距離は増大する状況にあり、同時37分半には両船間の距離が1,700メートルとなったものである。
仮にウ号側補佐人が主張するとおり、ニューながとが減速したときの船間距離が1,000メートルであったとしても、それ以前にあっては両船間の距離が増大する状況にあり、衝突のおそれはなかったと認められるので、ニューながとがウ号を追い越す関係は、その時点で終了していたものと考えられる。
一方、ニューながとが前路の小型同航船に追尾するよう減速したため、今度は、ウ号がニューながとの後方から追い越し、衝突のおそれのある態勢となったものと認められる。
ニューながとが減速したのは、先航する小型船4隻に西水道北口の航路屈曲部付近で追い付くことになるから、これらの船舶と危険な態勢とならないようにとられた措置で、必然的、不可避的な操船方法であって、ニューながとの一方的な都合とは認められない。
したがって、同補佐人の前示主張には理由がない。
次に、ウ号側補佐人は、「同一針路で航行中の両船間の正横距離は、約200メートルで、安全に航過し得る状況にあったから、両船が衝突したのは、ニューながとが衝突の直前に右転してウ号の前路に進出したことによる。」旨を主張するので、以下この点について検討する。
両船が原針路、原速力のまま進行すれば、その正横距離が200メートルで航過できたと認められることは、ウ号側補佐人の主張のとおりである。
ところで、ニューながとは、西水道北口の航路屈曲部付近に達したとき、前方に小型の同航船が西水道のやや東側を航路に沿って南下していたものである。また、当時、西水道北口付近には約3ノットの北流があり、東行船が西水道に入る際、潮流により船首が左方に振られるおそれがあるため、早めに右転の回頭惰力をつけ、その後右回頭速度を適宜調整しながら同水道に入る操船方法をとる必要があったことは、A、C両受審人の供述するところである。
こうした当時の小型船の存在及び潮流模様を考えれば、ニューながとが右転したのは航路に沿うために転針したものと認めるのが相当である。
したがって、ニューながとの右転について、ウ号補佐人の主張には理由がない。

(原因)
本件衝突は、夜間、船舶がふくそうし、強い北流のある来島海峡の西水道北口の航路屈曲部付近において、ニューながとを追い越すウ号が、動静監視不十分で、その進路を避けなかったことによって発生したが、ニューながとが、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
ニューながとの運航が適切でなかったのは、船長が、自らレーダーによりウ号の動静監視を十分に行わなかったばかりか、当直航海士に対してウ号の接近模様を報告するよう指示しなかったことと、当直航海士が、レーダーにより同船の動静を監視し、その接近模様に報告するなど、十分な操船補佐を行わなかったこととによるものである。

(受審人の所為)
C受審人は、夜間、水先業務に就いて船舶がふくそうし、強い北流のある来島海峡航路を西水道に向け航行中、高速力で先航していたニューながとが減速し、同船に後方から接近する態勢となったのを認めた場合、衝突のおそれの有無を判断できるよう、その動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、同船が左舷前方に位置し、航過時の正横距離200メートルになることから、このままの針路、速力で航行しても追い越せると思い、動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、そのまま航行を続け、同船との衝突を招き、ニューながとの右舷側船尾外板に凹損及びウ号の船首に亀裂などの損傷を生じさせるに至った。
以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人は、夜間、操船指揮に当たり、船舶がふくそうし、強い北流のある来島海峡航路を西水道に向け航行中、前方の小型船との接近を避けるため減速する場合、後方にウ号が存在すること知っていたのであるから、同船との接近模様を判断できるよう、自らレーダーを監視するなどウ号の動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、同小型船の動静に気を奪われ、ウ号の動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、同船の接近に気付かないまま航行を続け、ウ号との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、夜間、船舶がふくそうし、強い北流のある来島海峡航路を西水道に向け航行中、レーダーにより周囲の見張りを行なう場合、後方にウ号が存在することを知っていたのであるから、同船との接近模様を船長に報告できるよう、レーダーのレンジを適切に切り替えてウ号の動静監視し、操船補佐を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、前方の小型船の映像に気を奪われ、レーダーのレンジを適切に切り替えてウ号の動静を監視せず、操艦補佐を十分に行わなかった職務上の過失により、同船との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

(参考)原審裁決主文平成8年10月25日広審言渡(原文縦書き)
本件衝突は、ニューながとが、動静監視不十分で、ウエストウッド・マリアンヌと新たな衝突の危険のある関係を生じさせたことに因って発生したが、ウエストウッド・マリアンヌが、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったこともその一因をなすものである。
受審人Aの三級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
受審人Bを戒告する。
受審人Cを戒告する。

参考図






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