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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成6年4月21日13時56分 鳴門海峡 2 船舶の要目 船種船名
貨物船清和丸 総トン数 4,966トン 全長 115.00メートル 機関の種類
ディーゼル機関 出力 3,089キロワット 船種船名 押船第八大興丸 バージ28大興号 総トン数
100トン 2,285トン 全長 26.00メートル
77.05メートル 機関の種類 ディーゼル機関 出力 1,471キロワット 3 事実の経過 清和丸は、船首船橋型の自動車兼貨物運搬船で、A受審人ほか11人が乗り組み、車両456台及びトレーラー17台を載せ、船首4.73メートル船尾536メートルの喫水をもって、平成6年4月21日09時50分岡山県水島港を発し、名古屋港に向かった。 同日12時A受審人は、地蔵埼沖を通過したとき、明石海峡経由では同海峡付近で船舶が輻輳(ふくそう)すると思い、一方、鳴門海峡経由であれば潮流が北流の最強となる1時間ぐらい前の最盛期に同海峡に達することとなり、そのころには通行船舶も少ないと考えられたので、これまで幾度となく通航したことのある同晦峡に向かうこととし、自らの昇橋地点として瀬ノ肩鼻の北西方2.6海里ばかりの地点を指示して休息した。 ところで、鳴門海峡は、淡路島南西部と四国北東部の間にある海峡で、同海峡に架かっている大鳴門橋の付近が、両側から拡延している浅礁なとで可航幅約400メートルの最狭部となっており、潮流の最盛期には流速が早く、複雑な渦流が生じるところであったこのことから、潮流の最盛期に同海峡を通航する船舶は、不測の事態に備えて、可航水域の両側端から全長の1ないし1.5倍の距離を離して航行しなければならないので、可航幅に比較して相対的に大きい船舶は、同水域の側端及び中央を示すために設置されている、大鳴門橋橋梁標(以下「標識」という。)の中央の標識に寄って航行することとなり、これらの船舶が最狭部で行き会うときには、その航過距離が狭くなり、衝突のおそれが生じるところであった。 A受審人は、13時34分指示した地点に達した旨の報告を受けて昇橋し、同時42分ごろ瀬ノ肩鼻の北右で二等航海士に替わって自ら操船指揮をとり、同航海士を見張りに、また甲板手を手動操舵に当て、同時47分少し過ぎ孫埼灯台から332度(真方位、以下同。)1.5海里の地点において針路を126度に定め、機関を全速力前進にかけて147ノットの速力で進行した。 定針したころ、A受審人は、右舷船首18度3.2海里に第八大興丸(以下「大興丸」という。)被押バージ28大興号(以下「大興号」といい、両船を総称するときには「大興丸押船列」という。)を初めて認め、自船とほぼ同じくらいの長さの大興丸押船列が鳴門海峡に向かっていることを知った。 13時50分A受審人は、針路を140度に転じ、その後、同時51分半わずか前孫埼灯台から006度1,200メートルの地点で、大鳴門橋の中央の標識に向く160度に転じたとき、レーダー監視に当たっていた二等航海士から大興丸押船列についての報告を受け、同押船列と最狭部で行き会う状況であることを知った。 ところが、A受審人は、両船とも同海峡を通航する船舶としては大型で、このまま進行すれば衝突のおそれがあることに思い至らず、左舷側を対して何とか航過できると思い、潮流に抗している自船の方で、適宜速力を減じるなどして同押船列が最狭部を通過するのを待たないで、折からの4.9ノットの北流に抗してわずかに左方に圧流されながら、9.9ノットの対地速力で進行した。 13時55分少し前A受審人は、孫埼灯台から062度600メートル、大鳴門橋直下から360メートル北側の地点に達し、大興丸押船列と900メートルに接近したとき、同押船列が右転して中央の標識を左舷側に見て通過する態勢としたのを知ったので、自船も同標識を左舷側に見て通過するつもりで右舵10度を令した。 しかし、A受審人は舵効が現われないので引き続いて右舵20度を令したところ、依然として舵効が現われず、13時56分少し前衝突の危険を感じて機関を停止したが、船首が急激に左方に振れ、13時56分鳴門飛島灯台(以下、「飛島灯台」という。)から017度740メートルの地点において、清和丸は、140度を向いて、原速力のまま、その船首が大興号の左舷中央部に前方から40度の角度で衝突した。 当時、天候は晴で風力3の南東風が吹き、月齢は10日で潮流は最強時の1時間前にあたり付近には4.9ノットの北流があった。 また、大興丸は、B受審人ほか5人が乗り組み、船首3.00メートル船尾3.60メートルの喫水をもって、船首1.60メートル2.40メートルの喫水となった、空倉の大興号の船尾ノッチ部に船首を嵌合(かんごう)して全長95メートルの押船列とし、同月20日19時20分三重県津港を発し、愛媛県東予港に向かった。 B受審人は、翌21日13時25分ごろ淡路島南西端にある潮埼の南西方で昇橋し、次席一等航海士を補佐に就け、自ら遠隔操舵で操船に当たって北上を続け、同時46分ごろ飛島灯台から133度1.5海里の地点において針路を318度に定め、機関を全速力前進にかけて10.0ノットの速力で進行した。 13時47分少し過ぎB受審人は、右舷船首6度3.2海里に鳴門海峡に向けて南下している清和丸を初めて認め、同時53分飛島灯台から117度610メートルの地点に達したとき、同船が右舷船首20度1.1海里に接近してもなお南下を続け、両船がそのまま航行を続けると同海峡の最狭部で行き会う状況であることを知った。しかし、同受審人は、両船がこのまま、続航すると衝突のおそれがあることに思い至らず、右側を航行すれば何とか航過できると思い、清和丸に対して潮流に乗じている自船の通過を待つよう警告信号を行うことなく、その後先航する小型タンカーに追従するため機関の毎分回転数を10回転減じて340として進行した。 13時54分B受審人は、飛島灯台から099度350メートルのところで徐々に右転を始め、同時55分同灯台から046度340メートルの地点で中央の標識を左舷側に見る000度の針路に転じたところ、左舷船首14度800メートルに接近した清和丸と針路が交差していることを知った。しかし、同受審人は、同船がいずれ右転すると思い、潮流の影響を受けて14.9ノットの対地速力で続航中、同時56分少し前清和丸が280メートルに接近しても右転しなかったので、衝突の危険を感じて右舵10度をとったが、効なく、大興丸押船列は、原針路のまま、前示のとおり衝突した。 衝突の結果、清和丸は、左舷錨の曲損と船首外板に破口を生じ、大興丸は損傷なく、大興号は左舷中央部外板に破口を生じて浸水したが、のちいずれも修理された。
(原因に対する考察) 本件は、強潮流下の鳴門海峡の最狭部において、潮流に抗して南下する清和丸とこれに乗じて北止する大興丸押船列とが衝突した事件である。 以下、本件発生の原因について検討する。 鳴門海峡は、事実に示したように大鳴門橋寸近が可航幅約400メートルの最狭部となっており、潮流の最盛期には流速が早く、複雑な渦流が生じるところであるばかりか、同橋の南方約250メートルのところには淡路島側から浅礁が張り出し、沈船が存在する水域である。 一方、潮流の最盛期に鳴門海峡を通航する船舶が、不測の事態に備え、可航水域の測端から全長の1ないし1.5倍の距離を離して航行することは、通常の操船方法である。その結果、可航幅に比較して相対的に大きい通峡船舶は、必然的に狭い水道の中央に寄る進路をとることになるので、これらの船舶同士が最狭部で行き会う状況の場合には、衝突のおそれが生じることとなる。したがって、このようなときには、潮流に抗している船舶が、これに乗じている船舶に比べて操船が容易であるから、同船の通過を待つのが船員の常務というべきである。 本件時、4.9ノットの北流があったことを考えると、全長115メートルの清和丸及び全長95メートルの大興丸が、そのままの速力で進行すると鳴門海峡の最狭部で狭い航過距離をもって行き会う状況であったから、衝突のおそれがあったと認められる。 したがって、潮流に抗して南下する清和丸が、潮流に乗じて北上する大興丸押船列の通過を待っべきであったのに、同押船列の通過を待たなかったこと及び大興丸押船列が、清和丸に対して、自船の通過を待つように警告信号を行うべきであったのに、同信号を行わなかったことを原因とするのが相当である。 なお、清和丸が、早期に右舵をとり、狭い水道である鳴門海峡の右側端を航行することによって、最狭部で大興丸押船列と行き会うことは数量的には可能であった。しかしながら、清和丸が右側端を航行することによって、新たな乗揚などの事故に陥るおそれがあった。このことは、海上保安庁が、可航幅が鳴門海峡とほぼ同じ関門海峡の早靹瀬戸水路において、流速の大小にかかわらず、総トン数3,000トン以上の油送船同士などの行き会いを回避するように行政指導を行っていることからも明らかである。 したがって、本件は、清和丸が大興丸押船列の通過を待つのが適切かつ確実な衝突回避のための措置であったから、清和丸が同海峡の右側端を航行しなかったことを原因とは認めない。
(原因) 本件衝突は、強潮流時の鳴門海峡において、全長115メートルの清和丸及び全長95メートルの大興丸押船列が最狭部で行き会う状況となった際、潮流に抗して南下する清和丸が、潮流に乗じて北上する大興丸押船列の通過を待たなかったことによって発生したが、大興丸押船列が、清和丸に対して、自船の通過を待つよう警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。
(受審人の所為) A受審人は、強潮流時の鳴門海峡中央部に向けて潮流に抗して南下中、潮流に乗じて北上する大興丸押船列と最狭部で行き会うことを知った場合、衝突のおそれがあったから、速力を減じるなどして同押船列の通過を待つべき注意義務があった。しかし同人は、このことに思い至らず、左舷を対して何とか航過できると思い、同押船列の通過を待たなかった職務上の過失により、大興丸が押す大興号との衝突を招き、同号の左舷中央部外板に破口を生じさせたばかりか、清和丸の左舷錨の曲員と船首外板に破口を生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項3号を適用して同人を戒告する。 B受審人は、強潮流の鳴門海峡において、潮流に乗じて北上中、潮流に抗して南下する清和丸と最狭部で行き会うことを知った場合、衝突のおそれがあったから、自船の通過を待つよう警告信号を行うべき注意義務があった。しかし同人は、このことに思い至らず、両船が右側を通航すれば何とか航過できると思い、警告信号を行わなかった職務上の過失により、清和丸との衝突を招き、両船に前示のとおりの損傷を生じさせるに至った。 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
(参考)原審裁決主文平成9年2月18日神審言渡(原文縦書き) 本件衝突は、両船が強潮流時の鳴門海峡最狭部付近で出会う状況となった際、北流に抗して南下する清和丸が、北上する第八大興丸被押バージ28大興号の通過を待つことなく進行し、強潮流によって操船の自由を失い、第八大興丸被押バージ28大興号の方に圧流されたことに因って発生したものである。 受審人Aの三級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
参考図
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