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1998年(平成10年)

平成9年第二審第22号
    件名
貨物船明宝丸貨物船第八新生丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年3月17日

    審判庁区分
高等海難審判庁
原審広島

小西二夫、師岡洋一、須貝壽榮、根岸秀幸、田邉行夫
    理事官
?橋昭雄

    受審人
A 職名:明宝丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
B 職名:第八新生丸船長 海技免状:一級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
明宝丸…左舷船首部外板に破口を伴う凹損及び左舷船尾部外板に凹損
新生丸…右舷船首部及び同中央部各外板に凹損

    原因
明宝丸…海交法の航法(航路航行義務、避航動作)不遵守(主因)
新生丸…警告信号不履行(一因)

    二審請求者
理事官山崎重勝

    主文
本件衝突は、明宝丸が航路外を航行したばかりか、航路外から航路に入る際、航路を航行中の第八新生丸の進路を避けなかったことによって発生したが、第八新生丸が、警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成7年12月23日03時43分
来島海峡西水道
2 船舶の要目
船種船名 貨物船明宝丸 貨物船第八新生丸
総トン数 699トン 480.21トン
全長 70.00メートル 65.40メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 745キロワット 956キロワット
3 事実の経過
明宝丸は、西日本各港間のセメント及びその原料の輸送に従事する、セルフアンローダー付き船尾船橋型微粉鉱石運搬船で、A受審人ほか5人が乗り組み、セメント約1,505トンをばら積みし、船首4.12メートル船尾4.60メートルの喫水をもって、平成7年12月22日18時00分山口県宇部港を発し、徳島県粟津港に向かった。
翌23日01時45分ごろA受審人は、安居島の南西方3海里ばかりのところで昇橋し、甲板員と交替して船橋当直に就き、航行中の動力船の灯火を表示したうえ、操舵を自動として実父の次席一等航海士とともに見張りに当たり、来島海峡に向かって安芸灘を東行した。
ところで、来島海峡には海上交通安全法によって来島海峡航路が設けられているが、A受審人は、同法に基づく同航路の交通方法を熟知していたうえ、多いときには月に10回ばかり来島海峡を往復航していたこともあって、同航路や付近海域の潮流について十分承知していた。そして、今航海は北流の最強時を1時間ばかり経過したころ、小島と馬島との間にある幅約800メートル長さ約2,000メートルの、ほぼ南北に延びる来島海峡西水道(以下「西水道」という。)を通航する予定で、同水道中央部の潮流は流速が約7ノットであることも了知していた。
同日03時15分A受審人は、来島海峡航路第2号灯浮標(以下「来島海峡航路」を冠した灯浮標名については号数のみを記載する。)を右舷側70メートルばかりに航過して来島海峡航路に入り、その後潮流をほぼ正船首方向から受けながら、同航路の南側境界線寄りをこれに沿って引き続き東行した。
やがて、A受審人は、03時23分桴磯灯標から025度(真方位、以下同じ。)1,250メートルの、第4号灯浮標を右舷側70メートルばかりにほぼ並航する、来島海峡航路の屈曲地点に達したが、そのとき、航路南側の航路外を航行すれば、小島の島影になって逆潮流の影響を軽減でき、航海時間を短縮できるのではないかと考えた。そこで、同人は、自船が航路航行義務船であること十分承知していたが、同灯浮標付近から航路を航行することなく航路南側の航路外を航行し、小島北端の小島東灯標(以下「東灯標」という。)を右舷側に接近して並航したとき、同島を付け回すように右転して西水道北口付近で航路に入り、その後航路に沿って南下することにした。そのため、針路を小島の島頂にほぼ向首する130度に定め、機関を回転数毎分560、11.0ノットの全速力前進にかけ、2.7ノットの北西流に抗し、8.3ノットの対地速力(以下速力は対地速力である。)で西水道に向かって進行した。
一方、定針したころ、A受審人は、左舷船首10度2,000メートルに、西本道に向かって来島海峡航路の南側境界線寄りを、航路に沿って東行している第八新生丸(以下「新生丸」という。)の船尾灯を初めて視認したが、同船は自船よりも速力が遅いようなので、東灯標付近で同船を追い越すことができると思った。
やがて、A受審人は、航路南側の境界線を横切って航路外に出たが、西水道まで2,400メートルばかりになったころから、暫時潮流の影響を受けることなく11.0ノットの速力で航行していたところ、03時36分少し前東灯標から299度1,650メートルの地点に達したとき、新生丸を左舷船首34度1,600メートルに見るようになった。しかし、同水道まで1,900メートルばかりとなったので、針路を同灯標の北方130メートルばかりまで接近する115度に転じ、操舵を手動に切り替えて自ら操船に当たり、更に東行を続けた
こうして、A受審人は、西水道北口付近で航路に入るつもりで、小島北西方の航路外を航行していたところ、間もなく新生丸が同水道の北方沖合で右回頭しているのを知った。
03時40分A受審人は、西水道北口付近の航路境界線まで480メートルばかりに近付いたとき、左舷船首25度650メートルに接近した新生丸が、同水道北口の北方500メートルばかりのところで、右回頭を終えて船首をほぼ西水道に沿う207度に向け、航路に沿って南下するのを認めた。そこで、同人は、自船がこのまま続航すると、小島北端を付け回すようにして航路に入ろうとするとき、同島を替わったところで強い北流を受け、船首が徐々に南方へ向きつつも船体は東方へ圧流され、円滑な右回頭が阻害されて新生丸と衝突のおそれがあることを知った。ところが、A受審人は、その一方で右に小回りして航路に入れば同船をなんとか追い越すことができるものと思い、小島を替わらないうちに機関を停止するなどして航路を航行中の新生丸の進路を避けることなく続航した。
やがて、03時41分少し前A受審人は、東灯標から025度130メートルの地点に達し、同灯標を右舷側に並航したので、小島北端を付け回すようにして西水道の航路へ入ることにし、右舵20度をとったところ、そのころから約5ノットの北流を受け、思うように右回頭することなく東方へ圧流されていくのを認めた。そこで、同人は、すぐさま通常は離・接岸時に使用する右舵一杯の70度としたが、依然として顕著な舵効を認めないまま6.0ノットの速力で進行し、03時42分少し過ぎ東灯標から096度260メートルの地点で航路に入った。
その後、A受審人は、相変わらず速やかに右転することなく東方へ圧流されていくのを認めながら、いずれ舵効が現われて南進が始まるものと期待しつつ続航するうち、03時43分少し前新生丸が間近に接近したのを認めたので衝突の危険を感じ、舵角が大き過ぎるのではないかと思って右舷40度に戻すとともに、機関を上限の回転数毎分570まで上げた。
しかし、その効なく、03時43分東灯標から117度370メートルの地点において、明宝丸は、船首が157度を向いたとき、約5ノットの速力で、その左舷船首部が新生丸の右舷船首部に後方から20度の角度で衝突し、その後左舷船尾部が同船の右舷中央部に再度衝突した。
当時、天候は晴で風力1の南西風が吹き、潮候は下げ潮の末期で、衝突地点付近には約5ノットの北流があった。
また、新生丸は、機関室前方に中甲板を設置した長さ約40メートルの船倉を有する船尾船橋型貨物船で、B受審人ほか4人が乗り組み、石灰石約1,180トンを積載し、船首3.6メートル船尾4.8メートルの喫水をもって、同月22日17時40分大分県津久見港を発し、岡山県水島港に向かった。
翌23日03時03分ごろB受審人は、第2号灯浮標を右舷側420メートルに航過して来島海峡航路に入ったところで昇橋し、甲板長と交替して船橋当直に就き、航行中の動力船の灯火を表示したうえ、同人を手動操舵に当たらせ、自ら操船の指揮を執って航路を東行した。その際、同人は、船尾方に3隻の同航船を認めたが、自船は速力が遅いのでそのうちいずれかの同航船に追い越されるものと考えた。
そこで、B受審人は、03時13分半桴磯灯標から028度1,300メートルの、第4号灯浮標を右舷側120メートルにほぼ並航する、来島海峡航路の屈曲地点に達したとき、針路を122度に定め、機関を回転数毎分320、9.5ノットの全速力前進にかけ、2.9ノットの北西流に抗しながら、6.6ノットの速力で航路の南側境界線寄りをこれに沿って進行した。
やがて、B受審人は、西水道まで1,800メートルばかりに近付き、そのころから暫時1.5ノットの北西流を受けながら、8.0ノットの速力で東行していたところ、03時33分少し過ぎ東灯標から335度840メートルの地点に達し、津島潮流信号所を左舷側に並航したので、潮流を正船首方から受けるようにして西水道へ入ることにした。そのため、いったん左舵をとって船首を100度ばかりに向けさせたのち、右舵をとってを右回頭を始めた。
こうして、B受審人は、03時36分少し前東灯標から012度670メートルの地点に至り、船首が111度を向いたとき、右舷船尾15度1,600メートルに、明宝丸が航路南側の航路外を西水道に向かって同航していたが、同船に気付かないまま、5ノットの逆潮流に抗し、4.5ノットの速力で大きく右回頭を続けた。
やがて、B受審人は、03時40分東灯標から065度550メートルの、西水道北口まで500メートルばかりの地点に達し、右回頭を終えて船首がほぼ同水道の航路に沿う207度を向いたとき、右舷船首63度650メートルに明宝丸のマスト灯2個及び左舷灯を初めて視認した。B受審人は、航路の右側端寄りを航行している自船よりも、更にその右側の航路外から来航した全長50メートル以上の明宝丸を見て驚くとともに、同船が原速力で続航すれば、小島を替わったところで強い北流のために右回頭が妨げられ、東方へ圧流されて自船と衝突のおそれがあることを知った。しかし、同人は、その一方で航路外から航路に入ってくる明宝丸が速やかに激右転の措置をとればなんとか替わるものと思い、その後同船が航路をこれに沿って航行している自船の進路を避けることなく接近するのを認めても、避航を促すための警告信号を行わなかった。
こうして、B受審人は、明宝丸が激右転の措置をとることを期待しながら続航していたところ、03時42分同船が右舷正横至近距離に迫ったのを認めて衝突の危険を感じたものの、機関を全速力後進にかけると操船不能に陥るおそれがあったので停止のみとし、また、左舷後方に後続船があったことから左舵一杯をとって25度ばかり回頭したところで舵中央とした。
しかし、その効なく、新生丸は、船首が177度を向き、後続船が自船の左舷側近距離を航過していったとき、約4ノットの速力で、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、明宝丸は、左舷船首部外板に破口を伴う凹損及び左舷船尾部外板に凹損を生じ、新生丸は、右舷船首部及び同中央部各外板に凹損を生じたが、のちいずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、夜間、北流時、来島海峡航路を東行するにあたり、明宝丸が、同航路南側の航路外を小島北端に接航する針路で航行したばかりか、同島北端を替わって同航路に入る際、航路をこれに沿って航行している新生丸の進路を避けなかったことによって発生したが、新生丸が、明宝丸に避航の動作が認められない際、警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
A受審人は、夜間、強い北流が流れている来島海峡を東行するにあたり、小島北端に接航して来島海峡航路南側の航路外から同航路に入る際、圧流により右回頭が阻害され、航路をこれに沿って航行している新生丸と衝突のおそれがあることを知った場合、機関を停止するなどして同船の進路を避けるべき注意義務があった。ところが、同人は、小回りして同航路に入れば新生丸をなんとか追い越すことができるものと思い、同船の進路を避けなかった職務上の過失により衝突を招き、明宝丸の左舷船首部及び同船尾部各外板並びに新生丸の右舷船首部及び同中央部各外板に凹損を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、夜間、西水道北口付近を来島海峡航路に沿って南下中、航路外から航路に入る明宝丸が航路を航行中の自船の進路を避けることなく、衝突のおそれのある態勢で接近するのを認めた場合、同船に避航を促すための警告信号を行うべき注意義務があった。ところが、同人は、明宝丸が速やかに激右転の措置をとればなんとか替わるものと思い、避航を促すための警告信号を行わなかった職務上の過失により衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

(参考)原審裁決主文平成9年7月2日広審言渡(原文縦書き)
本件衝突は、航路外から航路に入る明宝丸が、航路をこれに沿って航行している第八新生丸の進路を避けなかったことに因って発生したが、第八新生丸が、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったこともその一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。

参考図






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