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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成6年6月3日23時50分 静岡県御前埼東南東方沖合 2 船舶の要目 船種船名 貨物船国津丸
貨物船スベティ ブラホ 総トン数 499トン
25,063トン 全長 70.63メートル
188.93メートル 機関の種類 ディーゼル機関
ディーゼル機関 出力 882キロワット
9,561キロワット 3 事実の経過 国津丸は、国内各港間を不定期に就航する船尾船橋型の貨物船で、A及びB両受審人ほか4人が乗り組み、肥料508トンを載せ、船首3.06メートル船尾4.42メートルの喫水をもって、平成6年6月3日11時20分千葉港を発し、四日市港に向かった。 ところで国津丸の船橋当直は、00時から04時までと12時から16時までを次席一等航海士、04時から08時までと16時から20時までを一等航海士、及び08時から12時までと20時から24時までを船長がそれぞれ担当する単独3直制をとり、食事時間の関係などから、各当直開始の20分前にはそれぞれが昇橋して交替することとしていた。 同日19時40分A受審人は、伊豆半島東岸沖合を神子元(みこもと)島北方に向け南下中、船橋当直に就き、21時15分神子元島灯台から295度(真方位、以下同じ。)1海里の地点に達したとき、針路を御前埼灯台の南3.5海里沖合に向く266度に定め、機関を全速力前進にかけ、航行中の動力船の灯火を表示し、レーダーを30分ごとに船位測定に使用するほかはスタンバイ状態として折からの微弱な潮流により1度ほど右方に圧流されながら、10.0ノットの対地速力で、駿河湾南部を西行した。 A受審人は、23時30分12海里レンジとしたレーダーにより船位を測定したところ針路線より少し右偏していたので、同時35分御前埼灯台から101度11.7海里の地点で、針路を260度に転じて続航中、同時37分右舷船首77度3海里のところにスベティ ブラホ(以下、「ス号」という。)の白、白、紅3灯を視認したが、これを距離の離れた同航船と思い、後方から接近する同航中の第三船に気をとられ、ス号の動静監視を十分に行わなかったので、その後同船が前路を左方に横切り衝突のおそれのある態勢で接近するのが分かる状況であったが、同状況に気付かなかった。 A受審人は、23時40分ころB受審人が昇橋してきたので、同人に対して、現在の針路、速力、御前埼灯台の灯光及び後方の同航船が接近しつつあることを引き継いだものの、同時41分にス号が方位が変わらず2海里にまで接近していたが、依然同船に対する動静監視が不十分で、同船と衝突のおそれのある態勢で接近中であることに気付かず、速やかに右転するなどして同船の進路を避けることなく、また、同船についての引継ぎができないまま、同時42分ごろ当直を交替して自室に退き休息した。 一方、船橋当直を引き継いだB受審人は、レーダーをスタンバイ状態とし、船橋前部中央でいすに座り、窓枠に両肘をついて当直に就き、このとき、右舷方にス号を認めたものの、A受審人から同船についての引継ぎがなかったことから、これを同航船と思い、同船に対する動静監視が十分でなかったため、ス号と衝突のおそれのある態勢で接近中であることに気付かず、同船の進路を避けることなく続航するうち、間もなく、御前埼灯台並航時刻の確認を思い立ち、船橋内後部左舷側の海図台に赴き、船尾方を向いて同時刻の計算を始めた。 B受審人は、23時43分半ごろス号が右舷船首77度1.5海里にまで接近し、このころから自船に対し閃光(せんこう)による信号を繰り返し行ったものの、海図台で後方を向いて計算中であったことから、これに気付かず、依然同船の進路を避けないまま続航中、同時50分少し前計算を終えて船首方を振り返ったとき、右舷船首至近にス号の室内灯数個を認め、急ぎ操舵を手動に切り替えて左舵一杯としたが及ばず、23時50分御前埼灯台から106.5度9.4海里の地点において、国津丸は、ほぼ原針路、原速力のまま、その右舷船首部がス号の左舷中央部に後方から49度の角度で衝突した。 当時、天候は晴で風力2の南西風が吹き、視界良好で、海上は静穏であった。 また、ス号は、船尾船橋型ばら積み貨物船で、船長Cほか21人のクロアチア人が乗り組み、空倉のまま、船首4.50メートル船尾6.53メートルの喫水をもって、同日21時05分清水港を発し、中華人民共和国青島港に向かった。 ス号の船橋当直は、00時から04時までと12時から16時までを二等航海士、04時から08時までと16時から20時までを一等航海士、及び08時から12時までと20時から24時までを三等航海士がそれぞれ担当し、各直に操舵手1人を付けた3直制をとっていた。 発航に当たって、C船長は、水先人を乗せ、三等航海士を機関テレグラフの操作と見張りに、また、操舵手を操舵にそれぞれ就かせ、航行中の動力船の灯火を表示して港外に向かい、21時30分ごろ水先人を下船させたところで自ら操船をとり、静岡県三保半島東方沖合を南下した。 21時42分C船長は、機関を全速力前進にかけ、同時50分清水灯台から68度2.6海里の地点に達したとき、針路を196度に定め、22時30分操舵を自動に切り替えて操舵手を見張りに就かせ、三等航海士にレーダー監視と船位の確認とを行わせ、折からの微弱な潮流により、1度ばかり右方に圧流されながら14.9ノットの対地速力で進行した。 23時30分御前埼灯台から79度10.6海里の地点に達したとき、C船長は、三等航海士から左舷船首39度4.6海里のところに他船が存在する旨の報告を受け、ウイングに出て国津丸の表示する白、白、緑の3灯を初めて視認し、これを監視するうち、同時37分同船が同方向3海里になり、その後も方位に変化なく前路を右方に横切り衝突のおそれのある態勢で接近していることを知った。 23時40分ごろ次直の二等航海士が昇橋したが、C船長は、同航海士には特に指示を与えず、同時41分国津丸が左舷船首39度2海里に接近し、やがて同時43分半には同方向1.5海里にまで接近したのを認め、なおも自船の進路を避けないで直進する様子に、その意図が理解できず、左舷ウイングにおいて持ち運び式発光信号器により、国津丸に対して閃光を繰り返し発して注意を喚起したものの、警告信号は行わずに続航した。 23時47分C船長は、国津丸が適切な避航動作をとらないまま同船と1,300メートルばかりに接近したとき、三等航海士を操舵に就かせて手動操舵としたものの、更に接近すれば同船が避航するものと思い、なおも警告信号を行わないで発光信号による注意喚起を繰り返しつつ、その後同船と間近に接近しても右転するなど衝突を避けるための最善の協力動作をとらずに進行し、同時49分半同船と至近に迫って、ようやく右舵一杯を指示したが及ばず、ス号は、船首が211度を向いたとき、原速力で前示のとおり衝突した。 衝突の結果、国津丸は右舷側船首上部を圧壊し、ス号は左舷中央部水面より上方に2箇所の破口を伴う凹損を生じた。
(原因) 本件衝突は、夜間、静岡県御前埼東南東方沖合において、両船が互いに進路を横切り衝突のおそれのある態勢で接近中、西行中の国津丸が、動静監視不十分で、前路を左方に横切るス号の進路を避けなかったことによって発生したが、南下中のス号が、適切な避航動作をとらないまま接近する国津丸に対して警告信号を行わず、間近に接近した際、衝突を避けるための最善の協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
(受審人の所為) A受審人は、夜間、静岡県御前埼東南東方沖合において、右舷方に白、白、紅の3灯を表示したス号を視認した場合、衝突のおそれがあるかどうかを判断できるよう、同船の動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、ス号を距離の離れた同航船と思い、同船の動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、同船と衝突のおそれのある態勢で接近する状況であることに気付かず、同船の進路を避けることなく進行してス号との衝突を招き、国津丸の右舷側船首上部を圧壊させ、ス号の左舷中央部に破口2箇所を含む凹損をそれぞれ生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 B受審人は、夜間、静岡県御前埼東南東方沖合において、前直者から船橋当直を引き継ぎ単独で同当直を行うに当たり、右舷方にス号を視認した場合、衝突のおそれがあるかどうかを判断できるよう、同船の動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、前直者から同船についての引継ぎがなかったので、これを同航船と思い、その後も同船の動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、同船と衝突のおそれのある態勢で接近する状況であることに気付かず、同船の進路を避けることなく進行して、ス号との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
(参考)原審裁決主文平成8年1月31日仙審言渡(原文縦書き) 本件衝突は、国津丸が、見張り不十分で、前路を左方に横切るスベティ ブラホの進路を避けなかったことに因って発生したが、スベティ ブラホが、警告信号を行わず、衝突を避けるための動作をとらなかったこともその一因をなすものである。 受審人Aの四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。 受審人Bの四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
参考図
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