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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成10年1月3日12時45分 西カムチャッカ沖合 2 船舶の要目 船種船名
漁船第三十六松榮丸 総トン数 349トン 全長 62.70メートル 機関の種類
ディーゼル機関 出力 1,471キロワット 3 事実の経過 第三十六松榮丸(以下「松榮丸」という。)は、平成8年から北洋において専らたら延縄(はえなわ)漁業に従事する中央船橋二層甲板型の鋼製漁船で、A及び両受審人ほか21人が乗り組み、操業の目的で、魚箱約2,300個を上甲板上に積載し、船首2.8メートル船尾5.0メートルの喫水をもって、平成9年11月16日12時00分(日本標準時、以下同じ。)釧路港を発航し、西カムチャッカ沖合の漁場に向かった。 松榮丸に積載した魚箱は、漁期の終了間近に漁獲した魚を冷凍しないで生魚のまま持ち帰る目的で用意した縦60センチメートル(以下「センチ」という。)、横36センチ、高さ12センチの木箱で、前年は魚倉に積載して出漁したものの、漁期の終了近くになって魚倉が一杯となったため、魚箱を魚倉から出して上甲板上に積み付けを行った経験から、本年は二度手間を避けるため発航時から上甲板上に積み付けて出漁したものであった。そして、その魚箱を、船橋前側の上甲板の船首から約10メートルのところに両舷側部が約1.1メートル、中央部が約1.4メートルの高さの波除け用の横隔壁が設けられていたが、その後方に長い方を前後にして横方向はほぼ船幅一杯に26列で船橋寄りの最前部のみ24列、船首尾方向は9列で両舷端部のみ8列とし、両舷端部8段のほかは10段重ねに整然と積み付けてその上に通路とするために木板数枚を敷き、更にその上に荷崩れを防止するため目合い10センチのナイロン製ネットをかけ、ラッシングを施していた。 こうして、松榮丸は、釧路港を発航したのち、同月21日05時50分ロシア連邦(以下「ロシア」という。)の漁船と会合してロシア人のオブザーバー1人を本船に同乗させて漁場に向かい、11時45分北緯52度1分東経155度42分の西カムチャッカ沖合の漁場に到着して操業を開始し、同年12月31日21時20分北緯55度21分東経154度35分の地点において、真だら等約250トンを漁獲したところで操業を中断のうえ、同地点付近で漂泊待機したあと、平成10年分の操業許可証をロシア監視船から受領するため、越えて平成10年1月2日13時ごろ同船との会合地点に向けて移動を開始した。 ところで、西カムチャッカ沖合の海域は、同2日午後から約5,000メートル上空に氷点下42度(摂氏、以下同じ。)以下の寒気が入り込み、このため船上で観測する大気温度も氷点下11度から12度となった。そして、松榮丸は、風力5ないし6の南西寄りの風と波浪を左舷前方から受け、西北西方に向かって全速力で航行するうちに、甲板上に打ち込んだしぶきが凍結して船体及び甲板上に積み付けた魚箱の周囲に着氷を生じるようになり、それが急速に成長して翌3日早朝には30センチから40センチの厚さとなったので、トップヘビーを避けるため船体及び魚箱周囲の着氷を除去のうえ魚箱を魚倉内へ移動させることとし、同日05時ごろ乗組員総員で着氷除去作業を開始した。ところが、魚箱前面の着氷は除去できたものの、魚箱上部の着氷はネットが芯となっていて上から木槌で叩いても容易に除去できないことが判明し作業の方法についてA、B両受審人及び一等航海士の3人で協議のうえ、手前側から1列分ずつ魚箱を抜き取り、その上の氷盤を下から先の尖った鉄の棒で突いて順次除去する方法に変更して着氷除去作業を続けさせた。 08時10分A受審人は、船橋当直をしているときにロシア監視船と会合して操業許可証を受け取ったあと、一旦釧路港に帰航することとし、着氷除去作業中折りからの南寄りの風波による船体動揺を緩和するため針路を真方位100度に定め、機関を約11ノットの全速力前進にかけて航行を続け、同時30分甲板上で乗組員の着氷除去作業が続けられていたが、松榮丸ではB受審人が操業中の作業全般について指揮監督に当たっていたので、以後の作業については同人に任せておけばよいものと思い、同人に対して作業方法を変更するときには報告するよう指示することなく、船橋当直を同人と交代して自室に退き休息した。 09時ごろB受審人は、魚箱上部の着氷除去作業を行っていた現場責任者の一等航海士から、前示の方法によっても着氷の除去にかなりの労力と時間を要して作業が捗(はかど)らないので、中央付近の横5列と船橋寄りの船首尾方向3列の150個の魚箱を支柱として残し、その周囲に積み付けた魚箱を全部抜き取り、氷盤下をトンネル状にして着氷を除去したい旨の申し出を受けた。しかし、B受審人は、同方法では魚箱を抜き取っているときに氷盤が崩れると、下で作業中の乗組員が崩れた氷盤の直撃を受けるおそれがあったが、現場の判断に任せておけばよいものと思い、氷盤の圧力に対して強度上どの程度の支柱を必要とするのか検討しないまま、自ら氷盤の状態を確認して氷盤の下に乗組員が入ることのない別の安全な作業方法を指示することなく、作業時間の関係から当日は取りあえず支柱周囲の魚箱を抜き取り、暖気による着氷の自然崩落を待つこととし、そのことと作業は注意して行うよう指示を与え、作業方法の変更についてA受審人に報告しないで申し出の作業方法を許可した。 こうして、松榮丸は、支柱とした150個の魚箱を除き、上甲板上に積み付けた魚箱の抜き取り作業をほぼ終えた12時45分、北緯56度30分東経152度31分の地点において、突然天井部分の氷盤が支柱部分を含めほぼ全面にわたって崩落し、下で安全帽不着用のまま防寒帽子をかぶって作業中の冷凍長C及び機関員Dがその下敷きとなった。 当時、天候は曇で風力4の南風が吹き、海上には波高約2メートルの波浪があり、気温は氷点下11度であった。 船橋当直中のB受審人は、氷盤が崩落するのを船橋の窓を通して目撃し、船内放送で非常招集をかけ、また、A受審人は、自室で休息中に通信長の報告で氷盤が崩落したことを知り、直ちに昇橋してB受審人と共に事後の措置に当たった。 12時50分崩落した氷を撤去してその下敷きとなっていたC冷凍長(昭和33年5月11日生)及びD機関員(昭和21年2月14日生)を救出したが、両人ともすでに死亡していることが確認された。 松榮丸は、途中ロシア人オブザーバーをロシア監視船に移乗させ、越えて1月8日07時00分釧路港に入港し、死亡した両人とも頭蓋骨骨折及び圧迫死による即死と検案された。
(原因) 本件乗組員死亡は、冬期の西カムチャッカ沖合において、申板上に積み付けた魚箱周囲の着氷を除去するに当たり、作業方法が不適切で、魚箱を抜き取ってトンネル状にした氷盤が崩落し、下で作業中の乗組員が落下した氷盤の直撃を受けたことによって発生したものである。 作業方法が適切でなかったのは、船長が漁労長に対して作業方法を変更するときには報告するよう指示しなかったことと、漁労長が現場責任者からの作業方法変更の申し出に対して自ら氷盤の状態を確認のうえ別の安全な作業方法を指示しなかったこと及び作業方法の変更を船長に報告しなかったこととによるものである。
(受審人の所為) B受審人は甲板上に積み付けた魚箱周囲の着氷を除去するに当たり、氷盤の下の魚箱を支柱とする一部を残して抜き取り、氷盤下をトンネル状にして着氷を除去する作業方法に変更したい旨の申し出を現場責任者から受けた場合、申し出の方法では魚箱を抜き取っているときに氷盤が崩れたら、下で作業中の乗組員が崩れた氷盤の直撃を受けるおそれがあったのであるから、自ら氷盤の状態を確認のうえ氷盤の下に乗組員が入ることのない別の安全な作業方法を指示すべき注意義務があった。ところが、同人は、現場の判断に任せておけばよいものと思い、自ら氷盤の状態を確認しないまま申し出た作業方法を許可し、別の安全な作業方法を指示しなかった職務上の過失により、魚箱を抜き取った天井部分の氷盤が崩落する事態を招き、下で作業中のC冷凍長及びD機関員がその下敷きとなり、両人を死亡させるに至った。 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。 A受審人は、乗組員が甲板上に積み付けた,魚箱周囲の着氷除去作業を行っているときに船橋当直を漁労長に委ねて休息する場合、漁労長に対し、作業方法を変更するときには報告するよう指示すべき注意義務があった。ところが、A受審人は、松榮丸では漁労長が操業中の作業全般について指揮監督に当たっていたので、作業に関することについては同人に任せておけばよいものと思い、作業方法を変更するときには報告するよう指示しなかった職務上の過失により、休息中に作業方法が変更され、前示のとおり氷盤の崩落によりC冷凍長及びD機関員を死亡させるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。 |