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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成8年3月15日15時30分 鹿児島県湯之持木港 2 船舶の要目 船種船名 引船聡丸
引船和丸 総トン数 16トン 19トン 全長 17.60メートル 14.00メートル 機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関 出力
397キロワット 588キロワット 3 事実の経過 聡丸は、機関室囲壁後部に曳(えい)航用フックを備え、2基2軸の推進器を有する鋼製引船で、A受審人ほか作業員2人が乗り組み、鹿児島県鹿児島市湯之持木港の浚渫(しゅんせつ)現場において、乗り揚げた自社の引船和丸を引き降ろす目的で、船首1.0メートル船尾2.0メートルの喫水をもって、平成8年3月15日15時00分同港東桜島町の湯之岸壁を発し、同港持木町の浚渫現場に向かった。 ところで、湯之持木港は、鹿児島市桜島の南南西側に位置し、その南西方の燃埼と南東方の観音埼との間に、鹿児島湾に向けて南南西方に開口した港で、港奥の北西側の持木港と南東側の湯之港の2港からなり、持木港は、桜島が噴火して危険となった際に住民が同島から海上に避難する、地域防災計画に基づき指定された港で、港内西側には島頂から鹿児島湾に注ぐ持木川の川口があり、その土砂が港内に流れ込んで水深が浅くなることから、これを浚渫して常時、船舶が出入可能な状態に維持する必要があった。 株式会社Aは、鹿児島市東桜島町に所在し、昭和10年9月に発足したのち、同37年7月から建設、土木、配管工事及び土砂販売などを定款とした株式会社として設立し、土木建設機械のほか港湾建設に必要な起重機船を含む作業台船3隻、土運船2隻及び引船2隻を保有し、陸上部門を取締役社長、海上部門を取締役会長のC(指定海難関係人として指定されていたところ、平成10年4月17日死亡したので、これが取り消された。)がそれぞれ工事責任者として分担し、作業全般の指揮監督に当たっていた。 C取締役会長(以下「作業指揮者」という。)は、起重機を備えた非自航で800トン積みの作業台船(長さ36.0メートル、幅14.0メートル、深さ2.5メートル、以下「台船」という。)1隻、非自航で200立方メートル積みの土運船(長さ28.00メートル、幅8.00メートル、深さ2.85メートル、以下「土運船」という。)1隻及び引船和丸を指揮し、平成8年2月中旬から約1箇月間の予定で、持木港の浚渫工事を開始し、その作業の指揮監督に当たっていた。 翌3月14日、作業指揮者は、台船を持木川川口近くの海岸から東方約15メートル離れた地点に、船首をほぼ北に向け、その船首両舷から直径50ミリメートル(以下「ミリ」という。)の化学合成繊維製ロープをそれぞれ約40メートル延ばして北側の陸上にとり、船尾からは重量1.5トンの錨3個を南側沖合に投入し、呼び径26ミリの錨鎖をそれぞれ約80メートル延ばして係止し、同船の右舷側に空船の土運船の左舷側を係留していたが、同日夜半に、台湾付近で発生した低気圧が急に発達して九州地方へ接近し、南寄りの風浪が強くなったので、無人の台船と土運船の保船状態が心配になり、これらの係船索の状況や点検のため、湯之港に係留していた和丸を急遽(きょ)出航させることとし、自宅で待機していたB受審人及び作業員2人にその乗船と出航を命じた。 こうして、機関室囲壁後部に曳航用フックを備えた、1軸の鋼製引船である和丸は、B受審人ほか作業員2人が乗り組み、台船及び土運船の状況を見回る目的で、船首0.7メートル船尾1.7メートルの喫水をもって、翌15日02時00分湯之港を出航して、持木港に向かい、同時05分ごろ台船の船尾に船首を接舷し、作業員1人が乗り移ったところ、折からの強い南寄りの風浪に流され、台船の左舷側から5メートル離れた、西側の海岸から10メートル東方にあたる、持木港の浚渫現場に乗り揚げた。 乗揚後、B受審人は、和丸を固定するため、台船に移乗した作業員と協力して和丸の右舷船首から化学合成繊維製の直径28ミリのロープと同舷船尾から同製の直径50ミリのロープをそれぞれ台船にとり、左舷船首から同製の直径26ミリのロープ1本を海岸に送り、湯之港で和丸の出航を見送ったのち自動車で持木港に来ていた、作業指導者がこれを同海岸の大石に取り付け、夜明けと引き潮を待って07時ごろ作業員1人とともに潮の引いた海岸に降りて同船から離れた。 07時10分作業指揮者は、会社においてB、A両受審人などと和丸の引き降ろし作業の打合わせを行い、高潮時の15時30分ごろを目安に和丸を引き降ろすことに決め、会社に出勤してきた社員を2組に分け、1組の10人を海岸からパワーシャベルで和丸船尾部周辺の海底を掘削する作業に当たらせ、他の組にA受審人ほか作業員2人を付けて土運船及び和丸の係船索の再点検などに当たらせることとした。 そして、07時30分A受審人は、作業員Dほか1人と伝馬船で台船に乗船し、台船、土運船及び和丸の係船索の点検などに当たり、11時ごろ早い昼食を台船上でとって休憩していたところ、和丸の船尾が海底の掘削と波浪の影響により、大きく揺れ動いて台船側に接近するようになったので、11時50分ごろ瀬戸口作業員を和丸に移乗させ、和丸を台船側に引き付けられるように係船索を締め付けるとともに、台船の化学合成繊維製で、直径60ミリのロープ2本を和丸の右舷船首と船尾に増掛けして暫(しばら)く様子を見ているうち、作業指揮者から湯之港に係留の聡丸に乗船して持木港に回航したうえ、和丸を曳航して引き降ろすように指示されたので、14時ごろ台船から下船し、作業員2人を連れて湯之港に赴き、聡丸に乗船したものであった。 15時05分A受審人は、南西の激しい風浪の中、和丸の乗揚地点付近に着き、船尾甲板にコイルの状態で積まれ、いつも使用している両端にアイの入った、直径60ミリで8本撚(よ)りの化学合成繊維製ロープ2本を結び付け、その長さが73.43メートルとしたものを曳索として使用することとし、同索の強度が約半分になっていたことに気付かないまま、その一端を聡丸の曳航フックにかけ、他端のアイを和丸に送り、風浪に耐えながら出来る限り持木川の川口から離れるように、船首を湯之港に向くほぼ120度(真方位、以下同じ。)に保ち、西側の海岸に立って作業を指揮する、作業指揮者からの手信号の合図により、2基の機関を回転数毎分2,300にかけて全速力前進で曳航を開始したところ、曳索が緊張して危険を感じたので、作業員2人をそれぞれ船首甲板の船橋近くに退避させ、同作業指揮者の合図と曳索の状況を報告するように指示して、自らは専ら前方を向いて舵輪をもって操船に当たった。 一方、B受審人は、会社での作業の打合わせを終え、いったん自宅に帰って食事をとって休息したのち、10時ごろ出社し、13時ごろ再度和丸に乗船し、既に乗船していたD作業員とハンドレッドを使用し、船体周辺の測深などに当たっているうち、15時05分ごろ聡丸が到着し、同船から曳索が送られてきたので、同索のアイを和丸の曳航フックにとり、やがて作業指揮者の合図により、聡丸が和丸を曳航して曳索が緊張したので、いままで曳航作業中に同索が何度も切断して危険となった経験を有していたことから、D作業員に対して曳索が切断して飛んでくるおそれがあるから注意するように指示した。 しかし、B受審人は、15時15分作業指揮者が和丸に乗船して船上から聡丸に合図を送り、曳航を再開したころ再び曳索が緊張し、これが切断して船首方に跳ね返り作業員が負傷するおそれが生じたが、測深に専念して安全な場所に退避することを同作業指揮者に具申せず、また、D作業員を船橋などの安全な場所に退避させる安全措置をとらないまま、機関室囲壁後部の左舷側の甲板上に位置して測深に当たっていたところ、15時20分、鹿児島市桜島燃埼南端から028度590メートルの地点において、曳索が和丸側から38.2メートルのところで切断して跳ね、同指揮者の膝を擦って船首側近くにいた同作業員を強打した。 作業指揮者は、聡丸が和丸を曳航して引き降ろすにあたり、聡丸が曳索を和丸に取ったとき、曳索が曳航中に緊張し、切断して跳ねて作業員などを強打するおそれがあったが、両船の船長に対して作業員を安全な場所に退避させるなどの安全措置をとることなく、曳航を数回試みたのち、いったん曳航を取り止め、和丸に乗船して再び曳航の合図を聡丸に送り、同船の機関室囲壁の右舷側中央部の甲板上で、船尾から8.0メートルの位置において、右舷側を向いて海底の状況を見ていたとき、前示のとおり切断した曳索が同指揮者の両膝を擦って跳ねた。 また、D作業員は、15日早朝出社して和丸の乗揚を知り、ヘルメットを被(かぶ)り、安全靴を履いて手袋をはめ、いったんA受審人と台船に乗船して作業に当たったのち、和丸に移乗して台船との係船索の増締めなどを行い、その後和丸に乗船してきたB受審人の下で聡丸から曳索をとる作業に従事し、曳航が開始された際、同受審人から曳索が切断するおそれがあるから注意するように言われたものの、そのまま船体周辺の測深などに当たり、そのうち作業指揮者が同船に乗船してきたが、安全な場所へ避難することなく測深作業を続け、機関室囲壁右舷側の甲板上で、同作業指揮者から船首方に1.4メートル、舷側から0.4メートルのところで、右舷側を向いて測深していたとき、前示のとおり、切断して跳ね返った曳索がヘルメット上から左側後頭部を強打し、頭を船尾側にして仰向けに転倒した。 当時、天候は曇で風力5の南西風が吹き、潮候は上げ潮の末期で、15日11時50分鹿児島地方気象台から強風波浪注意報が発表されていた。 曳索切断後、作業指揮者は、後方を振り返ってD作業員が倒れているのに気付き、救急車を手配してB受審人とともに同作業員を和丸から降ろし、病院に搬送するなどの事後措置に当たった。 また、B受審人は、台船の作業員の大声を聞き、事故の発生を知り、作業指揮者の下でD作業員を和丸から降ろすなどの事後措置に当たった。 その結果、和丸は、翌朝の高潮時に自力離礁し、同船及び聡丸には損傷がなく、D作業員が約2箇月の入院を要する脳挫傷を負った。
(原因) 本件作業員負傷は、鹿児島県鹿児島市湯之持木港において、乗り揚げた和丸を聡丸が曳航して引き降ろす際、緊張した曳索から作業員を安全な場所へ退避させるなどの安全措置が不十分で、切断した同索が跳ねて和丸の作業員の頭を強打したことによって発生したものである。 作業指揮者が、作業員に対する安全措置をとらなかったことは、本件発生の原因となる。
(受審人の所為) B受審人は、鹿児島県鹿児島市湯之持木港において、乗り揚げた和丸に乗船し、作業指揮者の下で同船を聡丸が曳航して引き降ろす作業に従事する場合、曳索が緊張して切断し、乗船中の作業員などに当たって負傷するおそれがあったから、作業員に対して曳索から離れた安全な場所に退避する措置をとるとともに、作業指揮者にその旨を具申するなど安全措置をとるべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、作業員に対して一度、曳索から離れるように指示したものの、その後作業員とともに専ら和丸周辺の測深に従事して、安全な場所に退避する措置をとらず、作業指揮者にもその旨を具申しなかった職務上の過失により、緊張した曳索が切断して跳ね返り、作業員の頭を強打し、約2箇月の入院治療を要する脳挫傷などを負わせるに至った。 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。 |