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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成8年4月5日01時00分 関門港若松区 2 船舶の要目 船種船名
貨物船第八久美丸 総トン数 199.21トン 全長 55.30メートル 登録長
52.21メートル 幅 9.00メートル 深さ 5.10メートル 満載喫水
3.25メートル 船型 全通二層甲板船尾船橋型 載荷重量 696トン 機関の種類
ディーゼル機関 出力 588キロワット 航行区域 沿海区域 3 事実の経過 3-1 第八久美丸 (1) 船体構造 第八久美丸(以下「久美丸」という。)は、主として鋼材の国内輸送の目的で広島県豊田郡東野町の新日本重工業株式会社おいて昭和56年11月に建造された船尾船橋型貨物船で、フレーム配置を横肋骨式構造とし、上甲板下には、全通の中甲板が1層設けられ、船首から順に船首水タンク、船首倉庫、錨鎖庫、貨物倉及び機関室がそれぞれ配置され、上甲板上には船尾楼が設けられていた。また、船尾楼前部には、長さ33メートル幅約9メート深さ4メートルで、倉内載貨容積1,194立方メートルの貨物倉が1個設けられ、同貨物倉上には長さ27.6メートル幅6.6メートルの倉口が開口し、倉口周囲に高さ1.1メートルのハッチコーミングを巡らせて鋼製ハッチカバーで閉鎖されるようになっていた。一方、倉内の中甲板の倉口は、ハッチボード及びハッチビームで閉鎖されるようになっていたが、昭和57年11月にそれらが撤去されて開口している状態であった。 ハッチカバー閉鎖中の貨物倉の出入口としては、船首倉庫に通じる倉内前部隔壁と機関室上段右舷側に通じる倉内後部隔壁右舷側とに縦1.20メートル横0.60メートルの鋼製水密扉がそれぞれ設けられ、船尾楼前部の上甲板には1辺0.60メートルのエスケープハッチが1個設けられていた。 貨物倉下部は縦肋骨式二重底となっており、二重底には、船首水タンク後部から順に1番バラストタンク、2番両舷バラストタンク、3番両舷バラストタンク及び4番両舷バラストタンクがそれぞれ配置されていた。 機関室には、その下段に両舷清水タンク、燃料タンク、船尾水タンク及びボイドスペースが、上段船尾方に機関室倉庫及び操舵機室がそれぞれ設けられていた。 船尾楼の構造物は、上から順にコンパス甲板、航海船橋甲板、ボート甲板及び船尾楼甲板と呼ばれており、航海船橋甲板には操舵室が、ボート甲板には冷房装置を備えた長さ4.00メートル、幅7.30メートル、高さ1.40メートルの甲板倉庫が、船尾楼甲板には、前部に右舷側から順に船長室、一等航海士室及び機関長室の各船員室が、通路を隔てた中央部の機関室囲壁を挟んで右舷側に食堂及び賄室が、左舷側に娯楽室、浴室及び便所がそれぞれ設けられていた。 (2) 倉内通風装置 倉内通風装置は、自然通風装置のみで、機械式通風装置が装備されておらず、貨物倉の船尾側の両舷側天井から縦22センチメートル(以下「センチ」という。)横55センチの倉内通風用ダクトが、船尾楼前面の上甲板上でそれぞれ居住区前面に沿って立ち上がり、上甲板上2.64メートルのところで前示甲板倉庫の両舷側に入り、同倉庫の前後部の隔壁で直径46センチのフランジによりそれぞれ結合されて同倉庫内を貫通し、同倉庫後部の排気口に至ってそこから倉内で発生したガスが大気中に放出される構造となっていた。 ところが、倉内通風用ダクトは、いつしか甲板倉庫内で2本とも前後部の隔壁のフランジ部分から取り外されて撤去されており、前部左舷側のフランジ開口部は板で閉鎖されていたものの、前部右舷側のフランジ開口部は開放されたままの状態であったので、倉内で発生したガスが、同開口部から甲板倉庫内に侵入し、更に同倉庫内の左舷側後部床面を貫通して船橋に通じる電路の隙間(すきま)や左舷側後部に設置してある冷房装置の空気取入口から各船員室に漏れるおそれがあった。 (3)用船形態 久美丸は、平成7年2月27日から3年間の用船期間で有限会社FからG株式会社に裸用船されると同時に、マンニング会社の有限会社Hから派遣された船長、機関長及び一等航海士の3人が乗り組んで、これをI株式会社(同社は平成8年7月1日J株式会社と合併して社名がBに変更された。)に1年間の用船期間で定期用船され、その後、同期間が更に同9年2月27日まで延長された。 3-2 受審人及び指定海難関係人 (1) 「受審人A」 A受審人は、専ら外航貨物船に24年の乗船履歴を有し、その間、航海士及び船長の職を執り、島根県浜田市の自宅で休暇下船していたところ、平成8年4月3日夕方、有限会社Hから、久美丸の船長Lが食中毒で緊急下船するので、その後任として山口県宇部港で至急乗船するように依頼され、翌4日13時00分同港に停泊中の久美丸に乗船した。 (2) 「指定海難関係人B」 指定海難関係人B(以下「B」という。)は、主として内航運送業や近海部門の海上運送事業、港湾運送事業、船舶の売買等の業務を営んでおり、総務部、内航営業部、近海営業部及び船舶事業部の4部門が設けられ、内航船は、久美丸のほか社船、用船を含め8隻を、外航船はすべて用船で13隻を運航していた。また、内航営業部は、積荷の運送及び用船の契約関係並びに船舶の運航管理業務を担当し、船舶事業部は、海務関係や工務関係等の船舶管理業務を担当していた。しかしながら、Bは、久美丸の用船期間中、G株式会社と船舶管理委託契約を締結し、事実上、船員の配乗業務を除くすべての船舶管理業務を行っていたものの、久美丸の用船開始時も、その後数回にわたる訪船時にも倉内通風装置の状態を点検しなかったので、倉内で発生したガスが居住区内に侵入する構造となっていることに気付かなかった。 一方、Bは、久美丸を専ら鋼材などの一般貨物の国内輸送に供する目的として用船したが、その後、ばら積み貨物の運送も始めたものの、危険物の運送を行う予定がなかったので、危険物船舶運送及び貯蔵規則(昭和32年運輸省令第30号、以下「危規則」という。)に定める危険物運送船適合証の交付を受けていなかった。また、Bは、フェロシリコン以外の合金鉄の運送実績はあったものの、同貨物の運送は今回がはじめてであった。 (3) 「指定海難関係人C」 指定海難関係人C(以下「C」という。)は、昭和23年2月12日、海上運送業、港湾運送事業、港湾荷役事業、はしけ運送事業、倉庫業、貨物運送取扱事業、損害保険代理業及び通関業等の業務を目的として設立され、業務部、営業部、管理部及び総務部の4部門が設けられ、主として大阪港内のばら貨物基地において、原塩、石炭、鉄鉱石、合金鉄等のばら積み貨物の揚荷役や、積替え等の港湾荷役及び港湾運送の業務を行っていた。また、Cは、合金鉄のうちフェロシリコンの取扱いを20年以上にわたって行っていた。 (4) 「指定海難関係人D」 指定海難関係人D(以下「D」という。)は、昭和41年4月5日、海上運送業、内航海運業及び船舶代理店業等の業務を目的として設立され、東京及び大阪に各営業所を設け、内航船の社船3隻、用船2隻を運航していた。また、同社は、関連会社として株式会社Kを設立し、Dの北九州本社のほか東京及び大阪の営業所内にそれぞれ事務所を設置して船舶代理店業務を行っていた。また、Dは、フェロシリコンの運送を10年以上にわたって行っていた。 (5) 「指定海難関係人E」 指定海難関係人E(以下「E」という。)は、昭和23年3月2日、海上運送業、貨物運送取扱業及び港湾運送業等の業務を目的として設立され、富山県の伏木富山港における港湾荷役及び港湾運送に従事し、一方、東京支店において港湾部門、内航部門及び外航部門等の営業活動が行われていた。また、Eは、フェロシリコンの運送を20年以上にわたって行っていた。 3-3 フェロシリコンの危険性及びこれに対する規制等 (1) フェロシリコンの輸入 フェロシリコンは、ケイ石、鉄くず及び還元剤としてのコークブリーズ等を原料として製造された鉄とシリコンの合金で、主として製鉄用脱酸素剤に使用され、わが国では昭和32年に約42万トン生産されたが、その後徐々に生産が減少し、平成7年からは国内生産がほぼ中止されて、現在ではそのすべてを輸入に頼り、ブラジル連邦共和国、中華人民共和国、アメリカ合衆国及びノルウェー王国などから年間約55万トン輸入されている。 ところで合金鉄には、フェロシリコンのほか、フェロマンガン、フェロクロム、フェロモリブデン、フェロバナジウム、フェロニオブ、フェロタングステン及びシリコマンガンなどがあるが、そのうち危規則の規定において危険物に指定されているのは、フェロシリコンのみである。 (2) フェロシリコンの化学的危険性 フェロシリコンは、比重が2.6から5.4の範囲でシリコンの含有率が高いほど比重が小さく、シリコン含有率が75質量パーセント(以下「パーセント」という。)における融点が摂氏1,350度で、製造後、鉱石の表面や内部に残留した不純物が空気中の水分と反応すると、人体に有害なリン化水素ガス及びヒ化水素ガスが発生する。 フェロシリコンから発生するリン化水素ガスは、純度の高いものは無臭であるが、通常不純物により、カーバイト、魚粉、にんにくなどの臭いを発し、自然発火し易く、その蒸気比重は1.2で空気よりやや重く、発火点は摂氏100度である。 (3) フェロシリコンの人体への影響 フェロシリコンから発生するリン化水素ガスは、これを吸入すると人体への影響は非常に大きく、低濃度では、嘔(おう)吐、下痢、胸の狭窄(きょうさく)、頭痛、めまい等が起こり、高濃度では、これらに続いて強い呼吸困難とともに気管支炎、肺水腫、意識不明、全身痙攣(けいれん)などが起こり死に至る。また、多くの場合、その症状から食中毒としばしば間違えられることがある。 リン化水素ガスの毒性は、人体への許容濃度が0.3ppmで、7ppmで数時間後にわずかに中毒症状を示し、100ppmないし200ppmでは30分ないし1時間後に重症、400ppmないし600ppmでは、30分ないし1時間で死に至らしめるほどで、その毒性は非常に強い。したがって、フェロシリコンを取り扱う場合は、まず、ガス検知器によりリン化水素ガス及びヒ化水素ガス濃度を測定して、その結果が許容濃度以上であれば換気するか、どうしてもガス濃度の高い場所に入らなければならない場合は、リン化水素ガス用防毒マスクか、自蔵式呼吸具を着用しなけばならない。また、万一同ガスを吸入した場合には、直ちに新鮮な空気のあるところに移動して更衣やうがいをし、必要ならば、酸素吸入を施して医師の手当を受けなければならない。 (4) フェロシリコンの法的規制 フェロシリコンは、そのシリコンの含有率が30パーセント以上90パーセント未満のものについては、危規則の船舶による危険物の運送基準等を定める告示(昭和54年運輸省告示第549号、以下「告示」という。)において危険物に指定され、可燃性物質類のうち水反応可燃性物質に分類されている。また、同告示において、フェロシリコンをばら積み運送する場合の積載の方法として、甲板下に積載し、食品類及び腐食性物質と同一の船倉又は区画に積載しないこと、換気良好な場所に積載し、乾燥状態に保つこと、通風装置は機械式通風装置で防爆型のもの又は排気ガスが電気回路から離れた場所を通るようにしたものであること、通風装置の排気口は、排気ガスが居住場所に侵入することのないように配置されていること、機関室と貨物倉との間の隔壁は、ガス漏れしない構造になっていること、船内に2組以上の自蔵式呼吸具を備えること、2組以上のリン化水素ガス及びヒ化水素ガス用のガス検知器を備え、その測定結果を記録すること等が規定されている。さらに、危規則においては、同規則に定める危険物を船舶で運送しようとする場合には、事前に危険物であることを船長に通知して積込みの許可を受けなければ当該危険物を船舶に持ち込んではならないと規定されている。また、船長は、船舶の所在地を管轄する地方運輸局長から、運送することのできる危険物の分類又は項目及び当該危険物の積載場所を指定されたうえ交付される危険物運送船適合証を船内に備えていなければ、危規則に定める当該危険物を運送してはならないと規定されている。 また、危規則において、危険物の荷送人は、あらかじめ荷送人及び荷受人の氏名又は名称及び住所、危険物の分類・項目・品名・副次危険性・個数・質量などを記載した危険物明細書を船舶所有者又は船長に提出しなければならないと規定されている。しかしながら、同明細書の提出は、内航船のように国内の各港間の運送において沿海区域を航する場合には免除されている。 一方、シリコンの含有率が25パーセント以上30パーセント以下又は90パーセントを超えるフェロシリコンについては、ガス発生の危険性が少ないため、危規則において危険物に指定されず、同物質をばら積みして運送する場合は、特殊貨物船舶運送規則(昭和39年運輸省令第62号)が適用され、その積載の方法が、同規則に基づく、固体化学物質及び船舶による固体化学物質の積載の方法を定める告示(平成5年運輸省告示第757号)において定められている。 また、わが国に輸入されるフェロシリコンのほとんどが、シリコン含有率が30パーセント以上90パーセント未満の範囲内で、危規則に定める危険物に該当している。 一方、港則法(昭和23年法律第174号)では、危険物を積載した船舶は、特定港においては、港長の指示した場所でなければ停泊し又は停留してはならない旨及び、船舶は危険物の積込み、積替え又は荷卸しをするには港長の許可を受けなければならない旨が規定されている。しかしながら、同法施行規則の危険物の種類を定める告示(昭和54年運輸省告示第547号)において、フェロシリコンは同告示に定める危険物から除外されている。 (5) 運送契約における規制 昭和45年社団法人日本海運集会所書式制定委員会制定の運送契約書(内航用)や成約覚書(内航用)の契約条項においては、荷送人は、有毒性やその他の危険性を有する貨物を船舶で運送するときは、船体、他の積載貨物及び人命に危害を及ぼすおそれがあるため、あらかじめ積荷が危険物であることを運送人及び船長に通知して、その承認を得なければならない旨の規定がなされている。 また、商法(明治32年法律第48号)の規定では、荷送人が、関係法令や運送契約に違反して危険物を船舶に積み込んだ場合には、船長は、これらの違法船積品をいつでも陸揚できるほか、船体、人命又は積荷に危害を及ぼすおそれがあるときは、これを放棄でき、運送人はその損害賠償の責を負わないと規定されている。 3-4 久美丸の運航 (1) 運送契約締結から大阪港入港まで Cは、平成8年3月28日、輸入商社である三菱商事株式会社から、同月31日、中華人民共和国上海港から大阪港に入港予定の貨物船ルーハイ302(中華人民共和国籍、総トン数1,310トン)に積載されたフェロシリコン961.670トンを翌4月1日に内航船2隻に積み換えたうえ、受荷主である東京製鐵株式会社の岡山県水島工場と北九州市若松区にある同社九州工場にそれぞれ運送するよう依頼された。 ところで、Cは、フェロシリコンが水濡れすると有毒なリン化水素ガスを発生することを十分に知っており、同社のばら貨物基地でフェロシリコンの船内荷役を開始する前には、倉内のリン化水素ガス濃度を測定し、同ガス濃度が許容濃度以下であることを確認してから倉内に作業員を入れるなどして、港湾労働者の災害防止に当たっていた。しかしながら、Cは、3月29日、10年来のフェロシリコンの取引があるDと大阪港から関門港若松区までの同貨物の運送契約を締結する際、フェロシリコンが危規則に定める危険物に該当するかどうかの確認を十分に行わず、内航海運業者間ではフェロシリコンが水濡れすると有毒ガスを発生することを十分知っているはずなので、改めて通知することもないと思い、運送人であるDに対して、積荷が危規則に定める危険物であることも、運送に当たっては同規則に定める積載方法によらなければならないことも通知しなかった。 Dは、10年以上にわたってフェロシリコンを取り扱っていたのでフェロシリコンが水濡れすると有毒ガスを発生することを十分知っていた。しかしながら、Dは、Eと大阪港から関門港若松区までの同貨物の運送契約を締結する際、フェロシリコンが危規則に定める危険物に該当するかどうかの確認を十分に行わず、水濡れさえしなければ大丈夫と思い、運送人であるEに対して積荷が合金鉄とのみ通知しただけで、積荷の品名が合金鉄のうちのフェロシリコンで危規則に定める危険物であることも、運送するに当たっては同規則に定める積載方法によらなければならないことも通知しなかった。 Eは、フェロシリコンの取扱いを20年以上にわたって行っていたので、フェロシリコンが水濡れすると有毒ガスを発生することを十分知っていた。しかしながら、Eは、3月29日、仲介業者の泉海運株式会社を介してBと大阪港から関門港まで合金鉄の運送を久美丸で行う運送契約を締結する際、積荷が合金鉄のうちフェロシリコンであるかどうかの確認を行わず、運送人であるBに対して積荷が合金鉄とのみ通知しただけで、積荷の品名がフェロシリコンで危規則に定める危険物であることも、同貨物を運送するに当たっては同規則に定める積載方法によらなければならないことも通知しなかった。 Bは、広島県金輪ドックで修理中の久美丸の積荷を捜していたところ、3月29日、Eから大阪港積み関門港若松区の東京製鐵九州工場揚げの合金鉄480トンの運送を依頼された。しかしながら、Bは、荷送人であるEから積荷が合金鉄のうちのフェロシリコンで危規則に定める危険物であることも、同貨物を運送するに当たっては同規則に定める積載方法によらなければならないことも通知されなかったので、積荷が普通の貨物である合金鉄で危険物ではないと信じて運送契約を締結するとともに、L船長に対して、積荷が合金鉄であることのみを通知した。 (2) 大阪港入港から積荷完了までの経緯 L船長は、3月29日金輪ドックで久美丸に乗船したばかりであったが、Bから大阪港積み関門港揚げの合金鉄480トンの船積み指示を受けた際、積荷の性状等について特に通知がなかったので、積荷の合金鉄は危険物でないと信じて、翌30日14時25分同ドックを発して大阪港に向け航行し、翌31日04時55分同港の検疫錨地に至って投錨仮泊した。 L船長は、投錨後、晴天であったので倉口を開放して倉内を十分に乾燥させたのち、翌4月1日07時15分櫻島埠頭梅町桟橋の内側に右舷付けで着桟した。L船長は、着桟時に乗船してきた代理店業務も兼務するD大阪営業所の担当者や荷役作業を担当するC業務部員から、積荷が合金鉄のうちフェロシリコンで危規則に定める危険物であることも、同貨物を運送するに当たっては同規則に定める積載方法によらなければならないことも知らされなかった。 こうして、L船長は積荷が危険物と知らされないまま、同日08時20分、梅町桟橋外側の大型船バースに左舷着けされている貨物船ルーハイ302の1番貨物倉から移動式ガントリークレーンを使用して久美丸へのフェロシリコンの積替え作業が開始され、10時10分積荷作業が終了した。 L船長は、荷役終了後、Dの代理店業務担当者が作成した積荷役協定書に品名がフェロシリコンで数量が480トンと記載されていたものの、積荷が危険物であることを知らされなかったので、フェロシリコンが合金鉄の一種で普通の貨物と思い、同協定書に署名した。 (3) 大阪港出港から関門港停泊中までの経緯 久美丸は、L船長のほか機関長M、一等航海士Nが乗り組み、フェロシリコン480トンを積載し、船首2.45メートル船尾3.39メートルの喫水をもって、4月1日13時45分大阪港櫻島埠頭梅町桟橋を離桟し、その後、同港検疫錨地に投錨仮泊して積荷の通関手続きを待ったのち、15時00分大阪港を発し、関門港若松区東京製鐵桟橋に向かった。 L船長は、発航後、機関長を機関当直に当たらせ、船橋当直を一等航海士と適宜交替しながら瀬戸内海を西行し、翌2日14時50分関門海峡東口に達したのち、同17時55分、関門港の若松洞海湾口防波堤灯台から234度(真方位、以下同じ。)1,150メートルの地点に投錨して翌3日朝の着桟予定時刻まで仮泊した。 (4) 関門港から山口県宇部港に迷走した経緯 L船長は、投錨した後、4月2日18時15分夕食を右舷側後方の食堂ですませたのち自室で休息していたところ、20時ごろから下痢や嘔吐の症状があり、その後その症状が翌3日早朝まで繰り返し続いた。 L船長は、4月3日06時20分東京製鐵桟橋に着桟するため抜錨することとし、船橋で操船に当たるつもりで昇橋しようとして階段を昇り始めたところ、足がもつれて手すりにつかまらないと昇橋できない状態となっており、このとき他の乗組員も同じ中毒症状となっていることを知ったものの、まさか、積荷のフェロシリコンから発生したリン化水素ガスによる中毒にかかっているとは思わなかった。 こうして、L船長は、06時30分抜錨したのち東京製鐵桟橋に向かったが、意識がもうろうとして07時05分若戸大橋を通過したつもりが関門橋を通過し、その後ジャイロコンパスの目盛の数字が読み取れない状態となり、周防灘西部を宇部港方面に向け迷走し、09時37分少し前同港芝中東岸壁付近に達して、同岸壁を若松区の東京製鐵桟橋と思い違いし、着桟を試みたところ09時37分、船首部が同岸壁コンクリート部分を擦過し、続いて同岸壁に係留中の貨物船プロスパー(パナマ共和国籍、総トン数2,818トン)の船尾にその右舷側後部が接触し、更に同港内を迷走していたところ、不審な行動に気付いた宇部海上保安署の巡視艇に発見され、乗船してきた海上保安官の指示により12時05分芝中東岸壁に着岸させられた。 L船長は、12時30分、乗組員の中毒症状に気付いた同保安署の手配による救急車でM機関長、N一等航海土とともに、字部市内の病院に運ばれて治療のため入院した。 (5) 宇部港停泊中の関係者の対応 Bは、久美丸の乗組員全員が宇部港で入院下船したとの報告を宇部海上保安署から受けて、直ちに交替の乗組員の手配をマンニング会社に依頼するとともに、船舶事業部次長Oを現地の事故処理に当たらせるため宇部港に派遣した。 O船舶事業部次長は、4月3日19時10分芝中東岸壁に係留中の無人の久美丸を訪船し、20時15分、新たに乗船した機関長P及び同時45分に乗船した一等航海士Qと面談したのち、21時15分一旦久美丸を下船した。 翌4月4日08時00分、久美丸を訪船したO船舶事業部次長は、Q一等航海士から、居住区内に異臭がするので調査して欲しいとの依頼を受けて船内の点検を開始し、機関室と貨物倉後部隔壁右舷側の鋼製水密扉を開けて倉内に入ったところ、カーバイトのような強い不快臭が発生していることを確認し、宇部港で入院下船した乗組員3人の中毒の原因は積荷から発生したガスではないかとの疑いを持ち、直ちにB本社営業部に対して、積荷の性状を調査するよう依頼した。 しかしながら、O船舶事業部次長は、倉内で発生した不快臭が居住区内にも侵入したのではないかとの疑いを強めたものの、その後、宇部海上保安署の事情聴収及び山口県宇部港湾管理事務所との打合せ等に気を奪われ、その侵入経路の調査を十分に行わなかった。こうして同人は、2本の倉内通風用ダクトが居住区内の船橋と船員室の間の甲板倉庫内でそれぞれ同ダクトのフランジ部分から取り外され、左舷側は板で閉鎖されていたものの右舷側は開放された状態になっていることも、そこから倉内で発生したリン化水素ガスが同倉庫内に侵入したのち、同倉庫床面を貫通する電路の隙間や冷房装置の空気取入口から船員室に漏れていることにも気付かず、右舷側の同フランジ開口部を閉鎖するなどして居住区内への有毒ガス侵入防止の措置を講じなかった。 一方、Bは、宇部港に派遣したO船舶事業部次長から、倉内の積荷から強い不快臭が発生しており、この不快臭が下船した乗組員の中毒に関係している疑いがあるので、積荷の性状を調査して報告して欲しい旨の依頼を受けた。しかしながら、Bは、本船が宇部港に迷走したことにより、荷送人のEに対して遠慮もあって、同社に積荷の性状についての調査を徹底して行うよう依頼せず、また、自らも本船に保管してある積荷役協定書や荷送り状に記載されている積荷の品名を確認したり、積地代理店に積荷の品名の確認の問い合わせを行って、積荷が危規則に定める危険物に該当するかどうかの調査を行わなかった。 こうして、Bは、Eから積荷の臭いは人体に無害であるとの連絡を受け、O船舶事業部次長にその旨を報告した。しかし、Bは、乗組員の中毒は積荷のガスによるものとの疑いを強めた同次長から積荷の性状についての調査依頼が再度あったものの、依然としてその調査を徹底して行わず、宇部港からの本船の早出しのみを気遣い、積荷がフェロシリコンで危規則で定める危険物であることを同次長に知らせなかった。 また、Eは、4月4日朝、Bから積荷から臭いがするので、積荷の合金鉄の性状を調査して欲しい旨の依頼を受けたが、合金鉄のうちには水濡れして有毒ガスを発生するフェロシリコンがあることを知っていたものの、荷送人であるDに対して積荷の正式な品名や危険物に該当するかどうかの確認を行わず、字部港からの本船の早出しのみを気遣って、依然として積荷がフェロシリコンで危規則に定める危険物であることをBに通知しなかった。 一方、A受審人は、4月4日13時00分久美丸に乗船したとき、倉口のハッチカバーが約5メートル開放されており、倉内に石炭のような黒く光る形状をした貨物がばら積みされているのを認めて、O船舶事業部次長に積荷の性状について尋ねたところ、積荷は今まで何回も積んでいるもので、危険物ではなく全く心配ないものであると告げられた。 こうしてA受審人は、O船舶事業部次長から、積荷が水濡れすると有毒なリン化水素ガスを発生するフェロシリコンで危規則に定める危険物に該当し同規則にその積載方法が規定されていることも、本船の乗組員が中毒症状を起して宇部港に迷走したことも知らされないまま、出港の準備が整い次第直ちに関門港に向け出港するよう依頼された。 (6) 宇部港出港から乗組員死傷に至るまでの経緯 A受審人は、宇部港で新たに乗船したP機関長、Q一等航海士及び甲板員Rの4人で乗り組み、同月4日13時35分、宇部港を発し、関門港若松区東京製鐵桟橋に向かった。発航後、A受審人は、単独で船橋当直に当たって進行し、19時00分関門港若松洞海湾口防波堤灯台から230度980メートルの若松区第5区に至って投錨仮泊した。A受審人は、投錨後、若松の代理店と電話で明日の着桟予定時刻の確認を行ったのち食堂で夕食をとり、21時30分ごろ自室で休息した。 翌4月5日01時00分、A受審人は、自室で休息中、R甲板員からP機関長が居住区通路で倒れている旨の報告を受け、直ちに若松海上保安部にその旨を連絡し、P機関長(昭和12年3月12日生)は01時40分同保安部が手配した救急車で北九州市内の病院に運ばれたが、積荷から発生したリン化水素ガス中毒のため03時06分死亡が確認された。また、Q一等航海士とR甲板員が同ガスによる中毒症状を起こし、03時00分同市内の病院に治療のため運ばれた。 当時、天候は晴で風はほとんどなく、視界は良好であった。 3-5 事件発生後とられた措置等 (1) キソー化学工業株式会社による残留ガス検査 本件発生後の4月6日夕刻と翌7日朝、フェロシリコンを積載して錨泊中の久美丸船上において、キソー化学工業株式会社によるリン化水素ガス濃度の測定が行われた。その結果、貨物倉内で50ppm、甲板倉庫内50ppm、船長室4.7ppm、一等航海士室3ppm、機関長室1.5ppm、機関室0.7ppmのリン化水素ガスが検出され、また、機関長及び一等航海士の居室の毛布、布団などの寝具から3ppmを超えるいずれも人体への影響の許容濃度である0.3ppmを大巾に超える高濃度の同ガスが検出された。 (2) 若松海上保安部による発煙テスト 4月9日、揚荷を終えて空倉となり東京製鐡桟橋沖合に錨泊中の久美丸船上において、A受審人立会いのうえ若松海上保安部による、倉内から居住区へのガスの侵入経路を検査する発煙テストが行われた。その結果、倉内で発生させた煙が倉内通風用ダクトを経由して船橋と船員室の間の甲板倉庫内前面隔壁の右舷側の同ダクトフランジの開口部分から多量の煙が噴出して同倉庫内に充満し、これらの煙が同倉庫床面を貫通している電路の隙間や居住区冷房装置空気取入口を経由して、機関長室天井裏に侵入し、そこから各船員室天井部の船内放送用スピーカー、照明灯などの隙間やパンカールーブルから各船員室内に漏れることが確認された。また、機関長室天井裏から同室左舷側後部の壁を電路が貫通していたため、同室に漏れる煙の量が、他の船員室に比べて一段と多いことが判明した。 (3) フェロシリコンの分析結果 久美丸で運送されたフェロシリコンのサンプルの分析が東京製鐡株式会社九州工場の依頼で北九州市の環境テクノス株式会社によって行われた。その成分の分析結果は、フェロシリコンの塊のサンプルでは、シリコンが72.3パーセント、りんが0.018パーセント、アルミニウムが1.54パーセントであった。一方、フェロシリコンの粉のサンプルでは、シリコンが66.2パーセント、りんが0.016パーセント、アルミニウムが1.62パーセントであった。また、水分値は塊のサンプルでは0.21パーセント、粉のサンプルでは0.60パーセントであった。 (4) 倉内通風装置の改良工事 久美丸は、関門港若松区の東京製鐵桟橋で積荷のフェロシリコンが全量揚荷された後、広島県上島造船所に回航され、そこで、倉内の排気が居住区内に侵入しないよう、甲板倉庫内前面隔壁の2箇所で開口していた倉内通風用ダクトが鉄板で完全に密閉されたうえ、同ダクトは船尾楼の前面壁に新設された自然通風筒に接続され、そこから倉内で発生したガスが大気中に放出されるよう改良工事が施された。 (5) 再発防止措置等 Bは、本件発生後、社長名で、営業部に対しては、合金鉄の運送契約を締結する際、事前に荷送人に対して品名の確認を徹底して行うとともに、危険物であるフェロシリコンを危険物運送船適合証の交付を受けていない一般貨物船で運送しないよう作業基準を作成し周知徹底させた。一方、船長に対しては、船積みを指示された品名と、積荷終了後に発行される荷役協定書中記載の品名とに相違がある場合、速やかに営業部に報告するよう指示し、また、一般貨物船にフェロシリコンなどの危険物を積み込ませてはならない旨、同作業基準で周知徹底させた。 Cは、本件発生後、フェロシリコンの運送を委託する際、運送人及び船長に対して、当該貨物が危規則の告示で定める危険物に該当し、水濡れすると有毒なリン化水素ガスを発生するのでその取扱いに十分注意するよう文書で通知することとした。 Dは、本件発生後、危険物であるフェロシリコンの運送業務を取り止めた。 Eは、本件発生後、危険物であるフェロシリコンの運送業務を取り止めた。
(原因) 本件乗組員死傷は、危険物に指定されたフェロシリコンのばら積み運送を行う際、荷送人及び運送人が、同物質の危険性についての配慮が不十分で、倉内で発生した有毒なリン化水素ガスが、倉内通風用ダクトを経由して居住区甲板倉庫内に侵入し、同倉庫床面を貫通する電路などの隙間から船員室に漏れ、乗組員がこれを吸入したことによって発生したものである。
(受審人等の所為) Bが、運航管理している久美丸の乗組員に中毒症状が生じて関門港から宇部港に迷走したうえ、積荷から不快臭が発生していることを認めた際、積荷の危険性についての調査を徹底して行わなかったことは、本件発生の原因となる。 Bに対しては、その後、作業基準を作成するなどして安全運航に努めている点に徴し、勧告しない。 Cが、荷送人としてフェロシリコンの運送を委託する際、運送人に対して危険物であることを通知しなかったことは、本件発生の原因となる。 Cに対しては、その後、フェロシリコンの運送を委託する際、運送人に対して危険物であることを通知している点に徴し、勧告しない。 Dが、荷送人としてフェロシリコンの運送を委託する際、運送人に対して危険物であることを通知しなかったことは、本件発生の原因となる。 Dに対しては、その後、フェロシリコンの運送業務を取り止めている点に徴し、勧告しない。 Eが、荷送人としてフェロシリコンの運送を委託する際、運送人に対して危険物であることを通知しなかったことは、本件発生の原因となる。 Eに対しては、その後、フェロシリコンの運送業務を取り止めている点に徴し、勧告しない。 A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。 |