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秋田大学の解剖学教室をリードし、我々を厳しく指導して下さった中尾教授は、我々を最後に退官なさるということです。中尾先生のお言葉で最も印象に残ったのは、センスを磨けという一言でした。ほとんどの学生にとって人体は全くといっていいほど未知の対象です。未知の対象にどうやってアプローチしていくのか。その時の対処法を会得するようにという意味なのではないかと勝手に解釈し対象物を単に剖出して喜んでいた初期の態度を脱却することが出来ました。医師の生活は日々進歩する医学を学び続けるまさに生涯学習の連続であろうと思います。今回の実習で少しは磨けたのではないかと思っている私のセンスが、生涯にわたる自己研鑽において有用なものになるのではないかと、楽観的ではありますが、そう思っています。

深夜に及ぶことも少なくなかったこの実習中、一人で御遺体と対峙する機会も多くありました。そんなとき、私は献体なさった方の人生や人柄を想像していました。毎日のように三ヶ月を過ごしてきた御遺体のSさんとも今日でお別れです。核家族で育った僕にとって、これほど長期間をご老人と共にすごした経験はなく、御遺体であるという事さえ最後には忘れてしまうほどに愛着をもっているSさんとの別れは、寂しいです。この場を借りて、心から感謝の言葉を捧げます。本当にありがとうございました。もし、天国というものがあるのなら、Sさん、迷わずそこへいって下さい。未熟な学生のメスで安眠を妨げられることも、もうありませんから。

 

 

 

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