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(3) 1985年の経済不況と公企業の民営化

1960年代から1980年代前半にかけて順調に成長してきたシンガポール経済も、1985年に深刻な経済不況に直面する。1985年4月に設立された経済委員会は、国内経済が直面している状況を詳細に分析し、不況を克服し経済運営の新しい指針を示すべく経済活動の民営化を提案した。しかし、国内が深刻な不況のおりに、経済を牽引する優良企業である公企業をいきなり民営化しても、経済の活性化に即効力を発揮するとは考えにくい。しかも、造船会社や石油精製企業を代表とする装置産業の買い手を国内で見つけるのは容易なことではない。公企業の民営化は短期的な不況対策というよりは、むしろ長期的な視点に立つ国内産業構造の漸進的な体質改善を目的とした政策と考えることができよう。

1986年、シンガポール政府は民間企業と直接に競合し、将来的に政府の特別なサポートは不必要と考える40の公企業を選び、およそ10年をかけて民営化することを発表した。この方針のもとに、テマセク持ち株会社はシンガポール航空、ネプチューン・オリエント・ライン、ナショナル・プリンター、ナショナル・アイロン、スティール・ミルズ、資源開発会社(不動産会社)、センバワング・シップヤード、ジュロン・シップヤードの株式を市場で売却した。

今後も、このような方法で公企業の民営化が漸次進められると考えられている。その一方で、政府は少なくとも民営化される企業の発行株式のうち30%を保有し、民営化された企業に経営幹部として政府関係者を送り込むことを明言している。

 

(4) 民営化による国内産業の体質改善

1960年代、シンガポール政府が国内経済の構造改革に着手した頃、国内経済は深刻な状況にあり、構造改革は追い風を受けて順調に進んだ。イギリスの撤退による国内経済の一時的な落ち込み、雇用問題の深刻化、中継貿易の停滞などの問題は政界と経済界の間の緊張感を増しつつあった。その一方で、ASEAN諸国の急速な経済成長に助けられ、シンガポールは外国貿易を成長させて外国資本の流入を促すことができた。この方策により国内の所得と雇用機会が増し、住宅、社会保険、教育、および医療などのサービスを国営企業が一元的に供給することにより国民全体の福利厚生が改善した。国内経済が急速に成長している間は、政府がコントロールする公企業による市場への介入と経済規制は正当化されやすい環境にあるといえよう。

しかし、そのような政府の経済戦略にも限界があった。第一の限界として、地元資本の私企業の成長が公企業によって抑制される傾向にあり、また外国企業が地元の優秀な人材を占有しがちである。これを問題視した政府は、1979年から1981年の高度成長期にハイテク産業と高付加価値産業にターゲットをあてた経済構造改革を促すため、これらの産業において高賃金政策を実施し地元企業に優秀な人材を集めようとした。その当時は、政府の優遇政策によって地元の私企業を育成する緊急性はそれほど感じられなかったものの、不況期に入るとハイテク化の波に乗れなかった地元の小企業は次々と消滅していった。

 

 

 

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