
なお、最近10年間におけるパラグアイ国籍船(1,000G/T以上の鋼造船)の推移をみると、次の通りである。
(B)海運事情と保有船主の実態
パラグアイは内陸国であるため、他の南米諸国と異なり、小規模な河川輸送、内水路輸送が中心となっている。
このため、海運業の規模は小さく、その発展も近隣諸国に比べ遅れている。
しかし、その河川輸送および内水路輸送は、パラグアイ経済にとって重要な輸送手段として、国内のみならず近隣諸国との貿易にも利用されている。
輸出入の貨物輸送の大半(約75%)をパラグアイ川およびパラナ川を利用した河川輸送で行っており、その大部分はアルゼンチンのブエノスアイレス港、ウルグアイのモンテビデオ港で、外航船と河川航船との間で積替えを行っている。
パラグアイは、1811年の独立以来、近隣国と戦争、内紛、クーデターなどが続き、政情が不安定であったため、海運業の発展のための政策は施されておらず、第二次世界大戦後に漸く国立商船隊(F.M.E.)が設立された。
政府は、国立商船隊設立を契機に自国船による海運業の育成を図ったが、当初の計画を十分に達成するには至らなかった。
公共事業・通信省がパラグアイ海運行政を担当したが、実質的には海運政策はF.M.E.により決定されてきた。
1960年代にパラグアイ政府の要望を受け、日本からパラグアイ船舶増強のための第1回の
円借款供与が行われた。
1971年には法律第48号により、自国船優先政策がとられ、河川輸送、海上輸送の50%が自国船でなけれせばならない条項が盛り込まれて、自国海運・造船業の発展が試みられた。
1976年には新5ヵ年計画がJICAの支援により着手され、1982年に日本政府は河川輸送増強のための第2回の円借款供与を実施している。
1984年頃には海運業の競争力の不足、海運基盤の未確立のため、1971年に公布された自国船優先主義は形骸化した。船舶増強のために円借款が行われたにも係らず、パラグアイ商船隊の強化が計画されたほど進んでいなかったことなどを背景に、1984年にJICAはパラグアイ船舶拡充計画に関しフィジビリティー調査を行った。この調査で船舶拡充のための提案が行われたが、結局のところ計画通りには進まず、パラグアイの海運業は低迷を続けた。
1993年には、海運不況と文民政権への交代も重なり、自国船優先主義が撤廃された。
1995年には遂にF.M.E.が民営化され、現在もこの流れは続いており、パラグアイの海運業界は再編成されつつあるのが現状である。
なお、日本は国立商船隊拡充計画に対して円借款ならびに輸銀資金等により、1983〜84年にかけて1,500DWカーゴ×2隻、6,000DWカーゴ×2隻、2,900DWカーゴ×2隻、1,200PSプッシャーボート×2隻、300PSプッシャーボート×1隻、2,400PSプッシャーボート×2隻、2,000m3バージ×4隻、800DWバージ×10隻、360DWバージ×20隻(総額185億円)の船舶を輸出しており、現在も活躍している船舶もある。
内航輸送においては、殆どの貨物輸送はパラグアイ国籍の船舶によって輸送されており、これらのパラグアイ国籍船の中には、アルゼンチンの海運会社に所有されているものもある。また、外航輸送においてもパラグアイ国籍船が主流を占めているが、一部は便宜置籍船として外国の海運会社に所有されているパラグアイ国籍船もある。(パラグアイ船籍は・課税される税金およびその他の船舶管理コストが低いため、便宜置籍船として広く利用されている)
近年、メルコスール(南米南部共同市場)域内における海運および河川輸送の増加、またイドロビーア(パラグアイ川、パラナ川)を通じての近隣諸国間の輸送についても注目されており、今後パラグアイの海運業の重要性が再認識される可能性は大いにある。
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