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 貿易関係では、シェラ・レオーネは、1996年に1億4,500万ドルの貿易赤字を記録し、経常収支は1億8,100万ドルの赤字となった。シェラレオーネの主要輸出市場(1994年)は・米国(輸出総額の44・8%)が首位を占め、次いで英国(同17.3%)、ベルキー(同16.8%)、オランダ、ギニアの順となっている。主要輸入市場(1994年)は、米国(輸入総額の42.7%)が首位で、次いでオランダ(同14.2%)、英国(5.7%)、インドネシア、ドイツの順となっている。
 主要輸出商品(1994年)は、金紅石、ダイヤモンド、ボーキサイトの鉱産物のほか、カカオ豆、コーヒーなどである。
 鉱産物の輸出総額(1994年)に占める割合は、84%以上に達している。
 主要輸入商品(1994年)としては、食料および家畜、機械類および輸送機器、化学品、鉱物性燃料および潤滑油などとなっている。
 1995年度(95年7月〜96年6月)の国家予算は、約551億8,700万レオーネ(96年平均1ドル=920.7レオーネ)の赤字を記録した。シェラ・レオーネの対外累積債務は、1996年末現在10億7,900万ドル(このうち、公的債務総額9億6,800万ドル)に達している。
 1985〜95年の期間における年間平均インフレ率は、89.8%に達したが、1995年、96年の消費者物価上昇率は、それぞれ26.0%、23.2%に過ぎなかった。
 1990年初期における失業率は、労働力の約50%に達した。シェラ・レオーネは、アフリカ開発銀行(ADB)の加盟国であり、また、ギニア共和国およびリベリア共和国との経済協力の促進を図るため、マノ河連合(MRU)の加盟国となっている。
 1970年代における国際石油価格の急騰に起因する国内経済の悪化に対応するため、シェラ・レオーネ政府は1980年代の後半に、国際通貨基金(IMF)の勧告にもとづき経済調整計画を導入した。
 しかし、政府の債務返済の連続的な停滞によって、IMFが財政支援を撤廃したことにより、本計画はその後中止となった。
 1991年には密輸出が横行し、適法の輸出収入、特にダイヤモンドの輸出による外貨収入が激減したため、政府は密輸出禁止法令に基づいて、これら輸出商品の商品取引きに制限を課した。
 1991年以降・シェラ・レオーネ南部地方の主要経済地域における紛争によって、農業および鉱業部門が崩壊したため、政府の歳出は大幅に増加した。
 IMFの支援により、1992年4月に導入された経済調整2カ年計画は、厳しい財政規制の導入、外国為替市場の開発、国有企業の民営化を含む構造改革の継続などを目的としたものである。
 1993年には、シェラ・レオーネ南部地方における継続的な叛乱活動により、金およびダイヤモンドの密輸出が増加したため、輸出収入が更に後退し、経済成長を妨げることになった。
 1994年3月には、累積債務の延滞金を支払ったことにより、IMFはシェラ・レオーネが新規借款を受ける資格があると宣言している。

 

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